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Vol.062 障害とどう付き合うか ~吃音を抱えて生きた人生を振り返って~

医療ガバナンス学会 (2021年4月1日 06:00)


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エッセイスト
一ツ橋二の禄

2021年4月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

米国のバイデン大統領が吃音症であることを告白してからか、
最近ではNHKでも朝ドラの主人公が吃音でセリフを述べたり、それをテーマとしたドラマを作成したりと一躍注目を集めているようだ。

実は私も長年吃音に悩んできた1人である。
と書くと、私と仕事でお付合いいただいている方々の多くは意外に思われるかもしれない。
私の吃音はいわゆる連発型というタイプだそうで、ア行やカ行の言葉の最初が連発してしまうのだが、
なぜか仕事中、特に背広を着てネクタイを締めると不思議と吃音は消える。
花粉症の人が「適度な緊張があると発症しない」といわれるが、それと似ているように思う。

ところが、今でも家に帰ると途端に吃音が連発する。
父もひどい吃音症だったから遺伝性であることは間違いなく、子供の頃、家族は心配して有名な大学病院で高名な先生に診てもらったこともある。
その先生は「歌を歌うように話しなさい」と説われたが、子供心に「ミュージカルじゃあるまいし、そんなことできるわけないじゃないか」と思って聞き流し、結局治らなかった。

最初に自分の吃音を意識したのは小学校に上がった頃だったと思う。
しかし、巷間言われるように友達からからかわれたり、笑われたりした記憶はない。
そこで、それはなぜだったんだろうかと考えた。
答は、今に比べてクラスに多くの障害者がいたからではないか、と思う。

例えば、私の近所には盲目に近い弱視の少年がいて、私は他の友人たちと一緒に毎朝彼の手を引いて登校していた。
自ら進んで申し出た記憶はないので、おそらく担任の先生に言われたのだと思う。
面白かったのは、各教科の先生の顔をみんなで彼に想像させるのだ。
「目は出目金みたいにギョロっとしてて、口も犬みたいに大きくて出っ歯だ」などというと、
「そりゃ、美人じゃないな。今日は授業サボろう」などと彼がいうので、みんなで大笑いした。
学校の廊下で他の生徒が部屋から飛び出してくるのを彼が先に察し、激突せずに済んだこともある。

また、毎日のように遊んでいた野球チームにも、小児マヒで片足の不自由な子がいた。
ところが彼はめっぽう足が速く内野ゴロでもセーフになって、相手チームが唖然としていたのを仲間の喝采と共に思い出す。

さらに、知能障害の子もいた。昔は一緒くたに知恵遅れといったが、今でいうと何だろうか?
そんな子にはすこぶる勉強のできるクラス委員の女子が放課後残って教えていた。
私も学校を休んだ翌日などはその女子の横で一緒に教えを聞いていたが、ビシビシッとあまりに厳しいので途中から退散して野球チームに合流した。

昭和30年代だから、ひとクラス50人前後の人数だったと思う。
そこに思い出すだけで4~5人の障害者がいたわけで、私のような予備軍も含めればもっと多くいただろう。
ところが中学に上がる頃になると、障害のある子はそれぞれ特別な訓練を受けられる学校に通うようになった。

その方が社会に出てから苦労しないで済むということだろうが、健常者と隔離されて彼らの生活は本当に楽しいのだろうか、と疑問に思ってしまう。
せめて義務教育の間くらいは一般の学校に通えるようにしてもらえないか。
その方が障害者と健常者の間の意識の壁を少しでも低くすることができるように思う。

この拙文を書き終えた頃、女房殿に「俺を吃音症だと気が付いたのはいつ頃だ?」と聞いたところ、
「私、あなたが吃音症だと思ったことはないけど、なんで?」と彼女は答えた。

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