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Vol. 244 多剤大量処方と妻の死のストーリー (その1/2)

医療ガバナンス学会 (2010年7月23日 07:00)


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-それは、ただの不眠の受診から始まった-
元会社社長 中川 聡

2010年7月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


私の妻は、軽い不眠で心療内科クリニックの門をたたき、最後は薬物中毒により命を失いました。これは、彼女の死の原因を追及し続け、5年でたどり着いた私の見解です。
自殺対策で、うつ病の早期発見が叫ばれています。ですが、その受け皿である精神科、心療内科にそれを受け止めるだけの能力は果たしてあるのでしょうか?

【治療の経緯】

・初診
不眠と軽い頭痛で訪れたクリニックで最初に処方されたのは、ごく一般的な抗不安剤と睡眠導入剤と鎮痛剤でした。
当時の私は、会社を設立し、事業が軌道に乗り始めた時期でした。仕事や付き合いでの飲酒、タクシーでの深夜に帰宅することも多く、夜にさびしい思いをさせたと思います。悪い夫であったと言われても仕方ありません。そのことが妻の不眠の原因であったのだろうと思います。

・4ヶ月後
通院開始後わずか4カ月で、薬は10種類18錠になりました。いわゆる多剤大量処方の始まりです。
不眠の診断に対し、抗うつ剤、抗精神薬、抗不安剤などの薬が複数処方されました。
一度、一緒に病院に行ってくれと言われたことがあります。当時の私は、大の医者嫌いで、特に心療内科と聞いて、「そんなところに行くな。」と答えました。それから彼女は、私に内緒で病院に通うようになりました。

・17ヶ月後
薬はさらに増えました。12種類24錠。
ここで、私が特に問題視しているバルビツレート酸系睡眠薬が登場します。
この頃の彼女は、(今から思えば)薬の副作用とおもわれる肥満が始まりました。私は、彼女に対して、徐々に女性としての興味を失っていきました。このあたりからあらゆる面での悪循環が始まりました。

・初診から23ヶ月後
多剤大量処方はそのままで、もう一つの問題の薬、別のバルビツレート酸系の薬が登場します。この薬は、ネット上では『飲む拘束衣』などと呼ばれ、覚せい剤の離脱症状を抑える時に使用されます。

・初診から25ヵ月後から4年間
別のクリニックに転院。多剤大量処方ではあるが、バルビツレート酸系の薬は姿を消します。バルビツレート酸系の薬を無くすために、他の薬の量が増えてしまったとの当時の主治医の記録があります。この医師が、バルビツレート酸系の薬のリスクを正しく把握していたことが分かります。

・亡くなる7カ月前
もとのクリニックに戻りました。
これから、亡くなるまで7カ月間、同一の処方が続きます。
多剤大量処方に加え、バルビツレート酸系の薬が復活します。そして抗うつ剤SSRI。
処方された薬は、13種類40錠。問題のバルビツレート酸の睡眠薬の一つは、3剤の合剤であるので、実質15種類です。
この頃の彼女は、明らかに運動能力が低下していました。何も無いところでも良く転びました、夜はトイレに行けず、おむつをして寝るようになりました。また知り合いに意味不明な電話をするようになりました。抗うつ剤SSRIの影響だと思われます。
また、遅く帰ってくると、玄関の扉に鎌が張り付けてありぎょっとしたこともあります。こんなことは彼女の性格上あり得ないのですが、今から思えば攻撃性の副作用が出ていたのだと思います。
さすがに、あまりの様子のおかしさに、彼女のご両親に相談を始めました。おかしくなるのは決まって夜でした。しかし。昼間になると普通に受け答えが出来るために、私は判断を誤りました。私の一番の後悔は、病院に通っているから重大なことにはなるまいと高をくくっていたことです。

・初診から7年と5カ月目
冬のある朝、彼女は亡くなっていました。
自宅で亡くなった為、司法解剖に回されました。3ヶ月後に知らされた死因は、薬物中毒でした。

今から、5年と半年前のことです。
その時から、私自身の贖罪と犯人を求める長い旅が始まりました。

最初の容疑者は、私自身と薬を処方した彼女の主治医です。

【原因の追究】

(1)医師の説明

まず、驚いたのは、彼女に処方されていた薬の量です。
こんなに沢山の種類と量を必要とする病気があるとは、にわかに信じられませんでした。
事情を聴きに、クリニックを訪れるとその医師は留守でした。家族にご不幸があり、不在ということだった。しかし、なぜか、クリニックは開いていました。無視察で薬を処方しているのではないかという疑いを持ちました。
医師と会えたのは、妻の死後、2週間後でした。
私は、医師に疑問をぶつけました。
何故、こんなに沢山の薬がでているのかと。医師は、「これでも、眠れない人は居る。」とだけ答えました。納得のできない私は、妻の死に関してどう考えているのか文章にしてくれと言い、一旦その場から立ち去りました。医師は文章にすることに同意しましたが、その約束はいまだに果たされていません。
これ以降、連絡は不可能となりました。従業員には緘口令が引かれ、弁護士を前面に立てて、私とのコンタクトを拒絶したからです。私に裁判という手段が頭をかすめたのはこの時が初めてでした。

(2)ネットによる情報収集

それから、医師や薬剤師と名のつく人を見つけると、片っ端から質問攻めにしました。
しかし、誰からも、私を納得させる説明は得られることはありませんでした。
私に最初に情報をくれたのは、インターネットでした。ネット上では、すでに精神医療を非難する声と擁護する声が、互いに罵声を浴びせるような勢いで論争されていました。この問題が、「一医師の問題ではなくて、精神医療自体の問題を含んでいること」を理解しました。容疑者に精神医療そのものが加わりました。
多剤大量処方という言葉もネットで初めて知りました。
ネットの力は強力でした。情報の量でいえば、凄まじい量の情報が得られました。しかし、裏付けのある情報をその膨大な情報の中から探し出すのは不可能に思えました。

(3)うつ病受診キャンペーン

その頃、『2週間気分が落ち込んだら病院へ』といったキャンペーンCMがTVに流れました。このCMは実に不思議なCMでした。CMのスポンサーが誰だか分からない所謂イメージCMでした。結局スポンサーは製薬会社であることが後から分かりました。あたかも政府広報かと勘違いしかねないものでした。私は不信感を憶えました。
容疑者に製薬会社とTV局が加わりました。
精神医療そのものに疑問を持ち始めた私には、このキャンペーンが悪魔の囁きに聞こえました。そこに行って、何か解決するのかと。

(4)裁判を阻む壁

いざ、裁判を起こそうと思う段階になって、単純な疑問がわきあがりました。何故、同じような裁判は起きていないのかということです。ネット上にはあんなに被害者が溢れているのに。けれど、その理由はすぐに分かりました。

・裁判費用の問題(訴訟そのものではなくて殆どは弁護士費用)。
・裁判では、相手が医師(その道のプロ)であるのに対して、原告側に立証責任があること。
・診断も曖昧だが、副作用も曖昧、その曖昧な物をさらに多剤大量処方という悪弊が覆い隠していること。曖昧な物を証明するのは不可能であること。
・なにより被害者の気力が続かない事。
・最大の壁は、医師に与えられた裁量権(処方権)の大きさにあること。
・日本人には、裁判に対する漠然とした抵抗感があること。

こうした理由で、なかなか裁判まで辿りつかないのです。
私の場合は、長い社長経験で、裁判に対する抵抗感がありませんでした。
結果、独身になったこともあり、何とか裁判費用を工面することが可能でした。
(その2/2に続く)

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