医療ガバナンス学会 (2022年1月13日 06:00)
私立灘高等学校2年
林慶一郎
2022年1月13日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
しかし、活動するために制約を受けてそれに従っても、身の回りのイベントは中止して五輪を行い、その上ワクチンを接種しろと政府は言った。接種する気になれなかった。政府の利権のための尻拭いに、協力するつもりはない。
加えて、ワクチンの治験が上手く言っていない、後遺症が残るかもという話を聞くと、仮に大丈夫だと言われても不安を増幅させられる。接種直後に運動をしたら死ぬかもしれないと言われる薬物で、それも自分の体内に入れるものだ。慎重になるのは当然のことであり、それぞれで決めるべきことだ。
ワクチンを打たない若者は迷惑だと言われていたが、ワクチンを押し付けてくる方が迷惑だ。打つかどうかの自由は認めらていると言いながら、大人は打てと言っているのと同じだった。「親が打てというから打ちたくない」と、わがままを言っているようでこれは本質的だ。若者は自由を献上しているのに、あまり踏み込まず中途半端な政策に見えた。感染対策の観点では正しくないこともあった。そんな都合の良い政府や大人、またそんな社会にワクチンを打てと言われるから、そのワクチンには嫌悪感を覚える。ワクチンは、ある種コロナハラスメントの象徴のようなものだ。mRNAワクチンの知識を説明されてもどうでも良かった。例えばワクチンの特効薬が冷えピタのようなものであっても、同様の嫌悪感はあったはずだ。副反応やアナフィラキシーが怖いというのは単なる逃げ口上だった。
言葉では説明できないがワクチンに抵抗がある、といった思いがあった。特に海外で際立った、ワクチンを陰謀論で考える人々の心にも、政治の言いなりになっていることへの抵抗が、背景としてあったのではないだろうか。みんな、青春を台無しにしたコロナ禍を憎んでいた。ここで「コロナ」ではなく「コロナ禍」を憎んでいると書いたのは、コロナによる政府、大人、雰囲気から受ける圧力も、コロナウイルス同様に嫌悪の対象だからだ。この憎ましい状況をワクチンという手法で解決していく経緯が、若年層には「克服」にはならず、「敗北」あるいはコロナ禍を迎合するということになってしまう。ワクチンを打たなかったのは、若者による抗議だと考えて良い。マスクを着けていないとバレるが、ワクチンは打ったか打っていないか分からない。一つの自己表現として、ワクチン拒否は感染症対策の政策への不満が表れたと言えるだろう。
本当に打って欲しいのであれば、嘆願すれば良かった。まずは国民の活動を制限しながら、中々感染症対策の成果が出ないこと、五輪を開催させてもらうことについて、断りを入れるべきだった。そうすれば少しでも理解を得られ、少しはワクチン嫌悪も取り除かれたのではないだろうか。
政府中枢の方々が身を粉にして戦った結果だということは理解している。経済活動をもっと促進するべきだったと言いたいのではない。しかしこの度の未曾有の国難に際して、国民の心からの協力を得るためにも、最大限の説明責任を果たすべきだったと考える。
著者:林慶一郎
私立灘高等学校2年生。神戸大学GSC実践ステージ生、量子コンピュータ関連の研究を行う。ロボカップアジア大会2021入賞。科学系の活動の一方でAIG高校生外交官などの社会系の活動も行う。2021春から医療ガバナンス研究所にてインターン活動。