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Vol.22079 コロナの空気感染を認めただけで済む話ではない

医療ガバナンス学会 (2022年4月13日 06:00)


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伊沢二郎

2022年4月13日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

「今更空気感染、感染症ムラは世界の笑い者になった」

先日、感染研・脇田隆字所長は新型コロナの感染経路は空気感染で在る事を認めた。世界に向けて恥ずかしいから小声で言ってもらいたいものだ。
今年一月迄は相変わらず飛沫・接触と言っていたことからの大転換です。有識者の公開質問状に抗し切れないと考えてのことでしょう。
これについては医療ガバナンス研究所、諸先生方はクルーズ船の頃にその可能性を指摘していた

いくら公開質問状に抗し切れないからといって、科学の世界でこんな手のひら返しが有るんだろうか。
それだけこれ迄の見解が科学的根拠に基付かない感染症ムラ内の、な~な~関係の産物なのだろう。
凡そこの人達は科学とは縁遠い連中と言わざる得ない。

これ迄都度だされる尾身会長初め分科会専門家らしき人のコメントにしても何時もながら、なるほどと思った試しがない。その技術レベルへの感想はメディア報道同等以下、ざっとこんなもんです。恐らく多くの方々も同様の思いでしょう。

今日現在(4/6)コロナによる死亡者は28,387名。
今更ながら“コロナは空気感染です”と言われても全く承服できることではない。
多くの臨床医方々は、コロナは早期診断・即治療が施されれば死に至る病気ではないと言われている。しかし診断前に検査に辿り着くのに時間を浪費されては助かる命も救えない。これ迄の死亡者の多くは本来なら救えた命だ。

この度空気感染を認めたことは、単に遅きに失しただけで済む話ではない。
感染経路の前提が飛沫感染か空気感染かでは感染を抑制する対応が大きく異なる。

飛沫感染であれば調査範囲はマスクをせず飛沫を浴びる範囲で済む。これが空気感染となれば、不特定多数の感染者が点状に市中に存在する。これ迄の濃厚接触者だけを追う線の調査は市中蔓延抑制の点では全く意味が無い事をやっていたことになる。

なのにこれすら形式的に済ませようとする、自ら所属する保健所のやり方に疑問を持った保健師から以前、本メルマガに内部告発文が投稿された。それによれば、形式的な調査に疑いを持ったクラスター発生の当該事業者自ら再調査したら別途二名の陽性者が出た事例があった。

事程左様に感染症ムラは発生当初からコロナ陽性者数を見た目上低く抑えたかったようだ。
クラスター調査責任者の押谷仁教授は一波当初、NHK特別番組の取材に、「検査数を抑えていることが今日本がこう云う状態に踏み止まっている」との主旨を述べている。

そりゃそうでしょう。検査を抑えれば陽性者は隠れてしまい表向きの数字は当然低くなる。この状況を海外先進国は当初、格別と見ていたようだが全く意味の無いことだった。
意味が無いことをやっていたに止まらず、無症状の陽性者により市中感染を際限無く蔓延させたこと、検査を抑制している結果治療迄の時間を浪費させ、救えた命を死に至らしめた。

厚労省初代医務技監の鈴木康裕氏は一昨年八月退官前、各県保険当局にPCRの行政検査対象者はコロナ陽性確定者及びこれと疑う余地のない者に限定する旨を、ご丁寧にも問答集を添えて伝えた。得体の知れないコロナを心配し国民の多くがPCR検査を熱望している最中のことだ。

押谷教授のコメントにもあるように医系技官初め感染症ムラは検査抑制を意図的にやってきた。市中蔓延を引き起こす無症状陽性者には全く目が行ってない。
これが医系技官初め感染症ムラ専門家がやてきた大罪とも言える行為だ。

いくらレベルに難がある感染症ムラだとしても、検査抑制方針がもたらす結果が分からなかったはずがない。本当に分からなかったとすればその任に当たる能力が著しく足りないことになる。即刻辞職してもらいたい。

空気感染についてはクルーズ船騒動の時に少なくとも疑うべきで在るし、海外から無症状者が他に感染させる研究報告が有った時点で感染抑制対策を根底から変えるべきだった。
それでも世界的パンデミックだから日本だけ例外、と云う訳にはいかないが、日本だけが例外の検査抑制方針によりこの日本でどれ程多くの人的・経済的・社会的な弊害、損害を生んだことか。

このような急性感染症のリスクを回避すべく一波当初から、何れの時期やって来る市中蔓延について、臨床医の方々からは流行ピークの山ができるだけ低くなるように対策すべしの声が多く有った。その為にはコロナにうつらず、うつさずが肝要なのでしょうが、取り分け空気感染・無症状者による感染が世界の常識になった以降はこれ迄のミスを認めやり方を変えるべきだった。

個人としてコロナに罹患しないよう注意するのは当然のことだが、分科会が一応公衆衛生の専門家で在るなら、それ以上に他を罹患させない対策を何故徹底しなかった。
一人の感染者の濃厚接触者を追ったところで過半数以上を占める市中の陽性者を放っておいては何の対策にもならない。こんな事素人でも分かることだ。

この過半数以上のコロナ罹患者を何故放置した。行政検査で見つけ出すことは端からやる気が無かったのは明らかだが、感染症法下では量的に出来ることではないだろう。
ならば「何時でも何処でも」の言葉通り民間検査の拡充を促せばよいではないか。それでも掬えない人達には容易にセルフチェック出来るよう対策すれば良い、そんなに難しいことではない。
これだけでも症状の有無に関係なく陽性者として自覚し、自ら他へ感染させない対応を促せる。

しかし日本だけ例外の検査抑制策を続けた結果、検査拡充しようにも資材も検査能力も即座に対応出来ない環境にしてしまった。これは感染症ムラの狙いか、疑念が付きまとう。

以前さいたま市保健所長は記者に検査数が少ない事を問われ、検査を増やせば病床が埋まってしまう、と応え物議を醸した。前述の保健所保健師の内部告発投稿からも感染症ムラの検査抑制方針が川上から川下まで首尾一貫していることが窺える。

何故そんなに検査数を増やすのが嫌なのか、検査数を拡充すれば当然陽性者も増る。この陽性者を自治体は隔離しなければならないから病床はコロナ患者で埋まることでしょう。そうなれば厚労省は何でそんな法律運用にした、と自治体から批判の槍玉にあげられることになる、この事態に陥ることを避けたい。まっ、こんなもんでしょう。

病床が不足するなら野戦病院方式でやれば良いではないか、法の問題が有るなら、コロナ2類相等も運用上のことなのだから2類5類の良いとこ取りの運用で済むことではないのか。しかしこのようなやり方の変更は最低限桁違いの検査数に基づいた実態把握が欠かせない。
検査を増やせば増やす程実態が明確になるが感染症ムラの都合と相反してくる。
自然界には居ないが、自分で張り巡らした法の網に絡んで身動きが取れなくなったクモを見ているようだ。

それでも国民の生命が第一、の使命感が何より優先するのであれば如何様にも出来たはずだが、優先したのは感染症ムラの都合のようだ。
その感染症ムラの都合を優先させるには主要感染経路が、桁違いの検査が必然の空気感染で在ってはまずいと思うのだろう。

しかし主要感染経路が世界で例外の飛沫では通せないと思ったのだろう、やっとの空気感染を認めた。ウクライナ戦争の騒動に隠れるように極めて簡略な説明報告で済ませた。
空気感染を認めたものの、これ程のミスを犯したことの謝罪も今後の感染対策の変更も今だに説明が無い。

28,000名を超える死亡者が海外と比べ多いとか少ないとかのことではない。この中には当たり前の医療を受ける前に重症化して命を落とした人が多くいた、こんな事態を招いた感染症ムラの落ち度について何らの説明が無いことを問題にしているのだ。

これ程の事態をこのままスルーすることなど到底許される話ではない。頭を丸め蟄居謹慎するか、これ迄の方針がミスで在った責任を認めやり方を大胆に変えるのか、責任問題だ。

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