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Vol.22103 故宮澤保夫・星槎グループ会長のこと

医療ガバナンス学会 (2022年5月24日 06:00)


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上 昌広

2022年5月24日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

2022年5月23日は、星槎グループの創業者である宮澤保夫会長が亡くなってから二回目の命日だった。東日本大震災以降、私たちのグループは福島県で活動を続けているが、現在があるのは宮澤会長なしではあり得ない。日本の教育、スポーツの振興に大きな足跡を残した宮澤会長について、本稿でご紹介したい。

私が宮澤会長と知りあったのは2006年だった。当時、私は東京大学医科学研究所(医科研)に在籍しており、財務省から医科研に出向していた中井徳太郎教授(当時、現環境省事務次官)から「無茶苦茶実力がある面白い人がいる」と言われた。中井教授の紹介で三人で会食したが、宮澤会長のオーラはすぐにわかった。私が、これまでお会いしたことがない逸材だった。それから16年間のお付き合いとなる。

宮澤会長が一生をかけて作り上げたのが星槎グループだ。北京冬季五輪フィギュアスケートで銀メダルを獲得した鍵山優真選手が今春卒業した学校といえば、ご記憶の方も多いだろう。まずは、その説明だ。

星槎グループとは神奈川県大磯町に拠点を置く学校法人・社会福祉法人・NPO法人・農業生産法人などで構成されるグループだ。もとは1972年、神奈川県下の私立高校の教員だった宮澤氏が、アパートの一室に鶴ヶ峰セミナー(現ツルセミ)という塾を始めたのがきっかけだ。その後、1985年には技能教育施設の宮澤学園高等部(現星槎学園)が開校。1999年には広域通信制高校の星槎国際高校、2005年に星槎中学校、2006年には全日制の星槎高校を開校した。また、2004年には北海道芦別市に星槎大学を開校している。

スポーツにも力をいれている。前出の鍵山選手以外に、星槎国際湘南高校の女子サッカー部は2019年に全国制覇した強豪だし、小久保真旺氏は、星槎国際川口高校在籍中の2020年に史上最年少で全日本選手権フェンシングサーブルで優勝した。

東京五輪では、エリトリア、ブータン、ミャンマーの選手団を小田原市とともに受け入れた。これは宮澤氏が長年支援してきた国だ。ブータン王室は来日の度に宮澤氏を訪問するし、2015年の北京世界陸上の男子マラソンで優勝し、リオ五輪で4位に入賞したゲブレスラシエ選手は、宮澤氏が支援した。北京世界陸上の優勝インタビューでは、宮澤氏への感謝を述べている。

ただ、星槎グループの本業はスポーツではない。学習障害や発達障害を抱える生徒を対象とした一貫教育だ。宮澤氏をはじめ、スタッフは弱者に優しい。星槎グループが、スポーツの分野で急成長したのは、このためだ。優秀な指導者が集まってくる。かつてサッカー部を支援したのは奥寺康彦氏だし、桐蔭学園野球部監督を務め、元巨人軍監督の高橋由伸氏などを育てた土屋恵三郎氏が、現在、星槎国際湘南高校で監督を務めている。何を隠そう、私も宮澤会長の人柄に惹かれ、お付き合いをさせて頂いた。前出の中井氏も環境省事務次官の要職の傍ら、客員教授として教鞭を執っている。

星槎グループの特徴は、宮澤会長の周囲に集う先生方が優しいことだ。そして、行動力もある。東日本大震災では、その行動力が遺憾なく発揮された。震災直後の2011年3月17日から、福島県郡山市と仙台市にある学習センターに救援物質を運ぶべく、星槎グループの生徒や職員が被災地に入った。幸い、何れの学習センターも被害は軽かったが、そこで「南相馬市が酷いことになっている」と聞きつけたスタッフは、そのまま南相馬市へと向かった。防災無線を駆使して、現地の情報を収集した。

宮澤会長は無線マニアだ。「災害時には防災無線以外はあまり役立たないんだよ」という。星槎グループは、我々では知り得ない様々な情報を入手していた。南相馬市に入った、星槎グループの先生たちの行動力・生活力は凄まじかった。三橋國嶺氏、大川融氏、山越康彦氏を中心とする先遣チームは市内に入ると即座に、「扇屋」というホテルに宿泊し、翌日は南相馬市役所の隣に部屋を借りて、活動拠点を確保した。

丁度、このころ、当時、医科研で私が指導する大学院生だった坪倉正治医師(現福島県立医科大学教授)が浜通りに入り、星槎グループと合流している。先遣隊に続き、宮澤会長自らが、浜通りに入っていると聞いていたので、坪倉医師が東京を出発する際、「現地に入ったら、宮澤会長に携帯電話で連絡するように」と伝えた。

当時、南相馬市の住民の多くは避難しており、周辺の店は開いていない。旅館が提供したのは朝ご飯だった。星槎グループの先生方は、食事、水、ガソリン、生活雑貨を何処からか調達してきた。我々は、ロジをすべて星槎グループの先生方にお世話になった。

宮澤会長は、星槎グループの先生たちに「被災した方から我々が頼まれた事に対しては全力でやれ。「それはできません」って簡単に返事するな。」と繰り返していた。

この姿勢は、我々にも同様だった。その後、相馬市・飯舘村・川内村などで健康相談会や、相馬市・南相馬市での放射線説明会を行ったが、そういった活動への協力を依頼しても、「そうか、それは本当に良いことだね。絶対に我々は何があっても全面的に支援するからね。」と約束してくれた。そしてその言葉通り、星槎グループの皆さんにロジ面など多大なご支援をいただいた。

宮澤会長は、震災・津波で傷ついた子どもたちの支援、カウンセリングに協力したいと考えていた。子どもたちの精神的障害(PTSD)や教育現場の混乱は、相馬市より南相馬市の方が遙かに酷かった。しかしながら、南相馬市役所や南相馬市の教育委員会との調整がつかなかったようだ。星槎グループの活動は、最終的には相馬市に集約していく。

4月中には東大医科研の私たちの研究室と共同で、相馬市生涯学習センターにオフィスを設けた。そして、ここを拠点に、星槎グループは相馬市教育委員会と連携して、相馬市内の小中学校の生徒のカウンセリングを始めた。特に津波被害の大きかった4つの小中学校を重点的にケアした。その中心は、カウンセリングの専門家である安部雅昭先生と吉田克彦先生だった。安部先生は、2011年だけで生徒103件、教師85件のカウンセリングをこなした。彼らの活動は現在も続いている。

星槎グループの相馬市でのもう一つの活動は、通称「星槎寮」と呼ばれる宿舎の運営である。2011年4月から、相馬市の中心部に位置する、キッチン・ユニットバス・和室が数部屋ある一棟を、星槎グループが運営してくれることとなった。

星槎グループの事務長である尾﨑達也氏が、「寮長」に任命され、合宿所の管理を取り仕切きることとなった。坪倉医師は、尾崎寮長の元、ここの住人となった。そして、星槎寮を拠点に活動を拡げていった。

多い時には一度に男女あわせて20名近くの医師、学生たちが、入れ替わり立ち替わり宿泊した。この頃から、復興需要が高まり、相馬市内の民宿やホテルはいつも満室となっていた。震災後、各地から定期的・不定期に相馬を訪れる医師達やボランティアの学生達にとって、宿泊先の確保は頭の痛い問題だったが、合宿所があるお陰で、「宿が取れないから参加できません」という事もなかった。日中はオフィスで、夜は合宿所での深夜までのディスカッションや飲み会を通じて、さらにネットワークを深めることができるようになった。このようなネットワークが、相馬市の復興を支えていく。

これが宮澤会長の生き方だ。彼は具体的な行動をもって、如何に生きるべきかを示してくれた。私は、彼から多くを学んだ。いくら感謝しても、しすぎるということはない。ご冥福を心から祈りたい。

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