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Vol. 326 『ボストン便り』(17回目) 「声の民主主義」

医療ガバナンス学会 (2010年10月18日 06:00)


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細田 満和子(ほそだ みわこ)
2010年10月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


紹介:ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独 特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関 する話題をお届けします。
(ブログはこちら→http://blog.goo.ne.jp/miwakohosoda/)

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を経て、02年から 05年まで日本学術振興会特別研究員。05年から08年までコロンビア大学メイルマン公衆衛生校アソシエイト。08年9月より現職。主著に『「チーム医 療」の理念と現実』(日本看護協会出版会、オンデマンド版)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)。

「声の民主主義」

ジョン・ダワーの『戦争の文化』

ボストンにいてよかったと思うことのひとつは、アカデミック界の有名人に折に触れて出会えることです。これまでに、ノーベル経済学賞を受賞したアマル ティア・セン氏、医療におけるナラティブを広めたアーサー・クラインマン氏、元国連難民高等弁務官の緒方貞子氏などの講演に出かけていっては、それぞれの 著書にサインをしていただいています。つい先日は『戦争の文化Culture of War』を上梓したばかりのMIT名誉教授ジョン・ダワー氏の講演を聴きに行ってきました。
ダワー氏といえば、戦争の最高責任者の罪を不問にして、その戦争最高責任者さえも被害者に仕立てて「敗北」の痛みを国民全員で分かち合い、それを糧にし て戦後の繁栄を築いてきた日本人を描いた著書『敗北を抱きしめてEmbrace Defeat』で知られています。『戦争の文化』では、二つのグラウンド・ゼロを対比させ、戦争が記号としてばく進していった近現代のアメリカの歴史が描 かれています。ふたつのグラウンド・ゼロとは、原子爆弾の投下された1945年のヒロシマとナガサキ、そして自爆テロで超高層ビルが倒壊した2001年の ニューヨークのワールド・トレード・センター跡地、いわゆる911の現場のことです。
この本には実に120枚もの写真が掲載され、戦争が画像として生々しく印象付けられています。日本に関していれば、これまでにあまり見ることのなかった ようなアメリカの雑誌に掲載されていた戦時から戦後にかけての写真も数多く載っているので、あの戦争について改めて考える機会となりました。
この日のために、初めてパワーポイントで資料を作ったというダワー氏は、講演の中でもそうした写真を紹介してくれました。その一枚に、東京空襲で黒焦げ になってうつぶせに倒れる女性とそばに転がる小さな塊のような赤ん坊の写真がありました。女性の背中だけはあまり焦げていません。それは子どもを背負って 逃げまどっていたからでしょう。ダワー氏は「ひどい、本当にひどい。悲劇だ」と震えた声で説明をしていました。

想像力の限界

ダワー氏は二つの戦争、第二次世界大戦とイラク戦争が、アメリカにおいて共通のキーワードで語られ、共通のイメージで思い起こされてきたことを指摘しま す。それらは、「Day of Infamy(汚名の日)」や「We will never forget(われわれは決して忘れない)」という言葉であり、日本の真珠湾攻撃や「カミカゼ特攻隊」、テロリストたちのワールド・トレード・センターへ の追突や自爆のイメージでした。ダワー氏は、出版直後のボストン・グローブ誌のインタビューにこのように語っています。

「(ワールド・トレード・センターが崩壊した時)私は、新聞の見出しが『Infamy(汚名)』や『Day of Infamy(汚名の日)』となっていたことに興味を惹かれました。911は、すぐに真珠湾と日本のことに結び付けられたのです。これらはこれまで私が慣 れ親しんできたものです。メディアは次々に、911の攻撃をかつての日本のしたことに例えてきました。それらは自爆者、カミカゼなどです。911に対する スローガン『We will never forget(われわれは決して忘れない)』も『Remember Pearl Harbor (真珠湾攻撃を思い出せ)』を髣髴させるものでした。こうしたイメージは、アメリカ人に怒りを覚えさせ、報復を誓わせるのです。」

911後のアメリカでは、起こった事実そのものよりもアナロジーをマスメディア(もちろん政治的圧力がたっぷりかかっている)が強く押し出すことで、戦争のイメージが作り上げられていった、とダワー氏は分析します。

「真珠湾攻撃も911のテロも、我々の想像力の限界から生じました。我々は他者を見ることができなかったのです。事が起こる前に、彼らの動機や彼らの能力を理解することができなかったのです。」

自由の国での言論の不自由さ

ダワー氏の本の中では、戦後辿った日本とイラクの状況の違いにも言及されています。日本ではアメリカ軍の占領下でもある程度、市民生活は平和的に営ま れ、戦後の高度成長が用意されていきました。また、アメリカの雑誌記事などによると、アメリカ人は日本風生活様式を身につけようとさえしていた、というこ とでした。ところがイラクでは、占領下で人々の生活はアメリカ軍によって脅かされたままでした。何も武器など持っていない市民に対しても、少しでも疑わし いとなると銃口が突きつけられる光景は珍しくないといいます。
それではどこにこの違いがあるのか。ダワー氏は、この違いは日本とイラクにあるのではない、アメリカ自身にあるのだ、と言いました。そして、それまで話 していたマイクから離れ、まるで録音されては困るのでここだけの話にしてくれ、という風にこう話しました。この違いは、ブッシュ政権のアメリカが寛容性を なくし、イラクに対して厳しい態度を取り続けてきたから生じてきたのだと。
違いがアメリカ自身にあるという答えは予想できましたが、私はむしろダワー氏が、このことが記録として残るのを恐れるように、マイクから離れて話したこ とに驚きました。自由の国アメリカでさえ、政府を批判するにはこれほどまでに慎重になる必要があるのか。興味深いとともに、背筋が寒くなる思いがしまし た。
ふと、これと同じような思いを、つい最近感じたことを思い出しました。それは、ポリオの予防ワクチン被害をめぐることでした。

ポリオ・ワクチン被害と報道

今年9月中ごろ神奈川県藤沢市でポリオのワクチン接種によってポリオにかかった女児のことが日本で大きな話題になったと思います。わたしもウェブ上の新聞でこの記事を見ました。
ワクチンには副作用がつき物と考えられていますが、ポリオの場合、問題はそう簡単ではないといいます。日本では、現在に至るまで予防接種に生ワクチンが 使われているのです。これは先進国としては例外的です。欧米ではすでに副作用のほとんど見られない不活化ワクチンに移行し、韓国、台湾、香港もすでに不活 化に切り替えています。中国は現在切り替えを進行中だといいます。
どうして日本では未だに生ワクチンのままなのでしょうか。その理由として指摘されているのが、日本で不活化ワクチンの開発に成功していないことがあげら れています。それなら海外で使われている不活化ワクチンを輸入すればいいのではないかと考えられるのですが、そうすると厚生労働省の天下り機関であるワク チン会社が打撃を受けるので輸入もできないそうです。これも疑問に思うことではありますが、もう一つ疑問に思うことが、このポリオ・ワクチン被害に関する 一連の報道に関してありました。

すなわち、生ワクチンによるポリオ被害者の数が過少に公表されているということです。厚生労働省は、生ワクチンによるポリオの発症を440万人に1人と 発表しています。ところが、WHO(世界保健機関)では、2004年に100万人に2~4人と、アメリカのCDC(疾病管理センター)も同じく100万人 に2~4人と公表しています。そして現在それが標準として世界で使われています。それではどうして日本だけが例外的に440万人に1人といっているので しょう。そこには、生ワクチンの安全性を宣伝したい意図と、その製造元を守りたいという意図があると考えられています。また、どういう訳か、日本だけが生 ワクチンによるポリオ発症数を、WHOに報告さえしていないといいます。
この件に関して以前から疑義を唱えてきた団体に、ポリオの会があります。ポリオの会は、ポリオにかかった患者の会で、従来から不活化ワクチンへの切り替 えを政府に要望し、この夏からは署名活動を行っています。ポリオの会では、独自の調査と平成元年からの19年間で80例の一次感染があったという福田元総 理の答弁書を根拠に、生ワクチンによるポリオ被害者は25万人に1人という数字を出しています。
藤沢市で被害者が出た時、ポリオの会はテレビや新聞から取材を受け、この数字に関して詳細に説明し、記者も理解したようだったといいます。しかし各報道機関は、厚生労働省の使用する440万人に1人という数字を使わざるを得なかったということです。
それはどうしてなのでしょうか。どうやら「記者クラブ」の存在が関わっているということです。厚生労働省には「記者クラブ」というのがあって、このメン バーでないと省からの発表は聞けません。「記者クラブ」のメンバーは、クラブ自身が決めます。しかしながら「記者クラブ」は、厚生労働省のビルの中に設置 されていて、かなり大きな部屋を格安の価格で提供されています。ここに利益相反(conflict of interest)がないとは言い難いでしょう。どの省にもこうした「記者クラブ」が存在し、報道機関は省を明確に非難したり、省の意向に反する記事を出 したりすることを自主規制しているといいます。民主党政権になり、「記者クラブ」の場だけではなく、オープンに記者会見をする大臣も出てきましたが、厚生 労働大臣はオープンにしてこなかったそうです。
にわかに信じがたい話にも聞こえますが、もしそうだとしたら明らかに言論統制なのではないでしょうか。言論の自由の保障された国で、実は政府を批判することにサンクション(制裁)があるということは、かなり恐ろしいことだと思います。

想像する力と民主主義

ダワー氏の「戦争の文化」の論点のひとつは、大きな組織の一部となってしまうと、自分が何をしているのか分からなくなってしまう、ということでした。例 えばロス・アラモスで、部品を作ったり情報交換手をしたりしていた人たちは、自分たちがとてつもない悲劇を生むことになる原子爆弾を開発しているとは思っ てもいなかったといいます。兵士たちもそうです。軍隊という組織の中で、上司の命令を聞くだけの機械に変えられてしまっているので、自分たちが、将来の夢 や家族のある、自分たちと同じ人間を殺していることが想像できなくなっています。
社会学の巨人マックス・ウェーバーは、近代社会における合理的な支配システムを「官僚制」といいました。「官僚制」によって、効率的で生産的な近代資本 主義社会の発展が促されたと評価される一方、それは規則万能で非人間的なものになるといういくつかの弊害も指摘されています。気をつけていただきたいので すが、社会学で「官僚制」という時は、形式と規則があり、階層性を持ち、指示命令系統のある組織をまとめて「官僚制」と呼んでいます。したがって、「官僚 制」は役所だけでなく軍隊や学校や病院やNPOなどあらゆる組織に見られます。そしてそこにいる人間は役所の官僚に限らずとも、「官僚制」による影響を強 く受けていると考えます。
ポリオ・ワクチンに戻れば、厚生労働省という組織の一部になってしまう官僚は、生ワクチンでポリオに罹った子どもの将来、その家族の痛みを想像するとい うことはないのでしょう。ワクチン被害者たちの「自分たち家族を最後の被害者にして欲しい」という叫びは、現状を変えずに組織を維持したい彼らには届いて いないのでしょう。
講演の最後にダワー氏は、このようなことを言っていました。「暴力の連鎖を断ち切らなくてはいけません。そのために私ができることは、つらい事実に誠実 に向き合い、語ってゆくこと、考えてゆくこと、こんな風に本として出すことです」。そしてそれは「民主主義を強化してゆく方法」でもあると言います。
ダワー氏がいみじくも政権批判をする時にマイクから離れたように、批判の声を上げて語ってゆくことは決して簡単なことではありません。たくさんの勇気が いることです。しかし、語ってゆかなくてはならないと思いますし、書いてパブリックなものにする(出版する)ことが大事だと思います。
マーチン・ルーサー・キングはこう言いました。「変革の時代における最大の悲劇は、あしき人々の過激な言葉や行動ではなく善良な人々の沈黙と無関心 だ」。ポリオ・ワクチンの問題に関しては、今、人々は発言し、世の中の関心を高めてきています。このことは、変革がそう遠い事ではないことを予感させ、希 望を感じさせてくれます。

<参考文献>
・ボストン・グローブの記事(2010年9月26日にダウンロード)

http://www.boston.com/ae/books/articles/2010/09/05/in_our_reaction_to_911_echoes_of_pearl_harbor/

・Dower, John, 2010, Culture of War: Pearl Harbor/ Hiroshima/ 9-11/ Iraq, W.W. Norton: NY.
・Dower, John, 1999, Embracing Defeat: Japan in the wake at World War Ⅱ, W.W. Norton: NY.
・ポリオの会、2010、ポリオの会ニュース、2号(通巻第55号)

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