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Vol.23091 G7広島サミットが開催されたことを受けて

医療ガバナンス学会 (2023年5月26日 06:00)


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*この記事は、5月24日に公開された講談社現代ビジネスの記事からの転載です。

ほりメンタルクリニック
堀有伸

2023年5月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

G7広島サミットが開催された。さまざまな意見があるだろうが、世界と日本に取って得たところの大きい、成功と呼べる会議だったと思う。G7の首脳が揃って原爆死没者慰霊碑に献花を捧げるシーンには、胸が熱くなるものを感じた。
ウクライナのゼレンスキー大統領をはじめ、インド、インドネシア、ベトナム、韓国、ブラジル、オーストラリア、クック諸島、コモロの招待国の首脳を迎えた上で、核兵器廃絶の理念を掲げてのロシアによるウクライナ侵攻についての強い非難を行ったこと、それを議長国の日本が取りまとめたことの意義は大きく、岸田首相をはじめとした関係者の貢献の大きさを思う。

一方で今回の成功は、複雑でトリッキーな状況でかすかな機会を日本がとらえたことの結果だと考える。「次にどう動くべきか」は、依然として不透明なままである。その点についての心理を分析してみたい。

補助線として引用したいのが、加藤典洋の『戦後入門』の中の次のような記述である。「吉田(筆者注:茂)が基礎を作り、その後、池田勇人、佐藤栄作の政権担当期をつうじて作り上げられる政治システム」は、次の顕教と密教を調和させつつ運用することだとされた。
顕教:日本と米国はよきパートナーで・日本は無条件降伏によって戦前とは違う価値観の上に立ち・しかも憲法九条によって平和主義のうえに立脚しているとみる解釈のシステム
密教:日本は米国の従属下にあり・戦前と戦後はつながっており・しかも憲法九条のもと自衛隊と米軍基地を存置しているとみる解釈のシステム

岸田首相の今回のサミットの舵取りは、この自民党の伝統を復活させ、この二つのシステムを見事に使い分けて運用した内容だったと言えるだろう。これは思想的には安倍政権時代のものよりも肯定的に評価できる。安倍政権の時代には、今回のサミットとは異なり、もっぱら顕教の精神への攻撃、密教の精神の強化と思えるような運用が多かったからだ。

加藤のこの密教と顕教という表現にはお手本となる先行者がいる。鶴見俊輔と久野収が、戦前の日本の政治システムについて、次のような説明を行っていたことである。
顕教:天皇を無限の権威と権力を持つ絶対君主とみる解釈のシステム
密教:天皇の権威と権力を憲法その他によって限界づけられた制限君主とみる解釈のシステム
この二つを巧妙に使い分けて運用することで、明治政府は前進していった。しかし時代の変化の中で、「天皇機関説」が排斥されるなど「顕教による密教征伐」と呼べる状況が出現し、日本は太平洋戦争への道を突き進んだ。法による統治を重視する方のシステムを軽視した時に、日本の政治は長期的な指針を失い、目の前の状況に翻弄されるようになる。そのような歴史的経緯の中で、岸田首相という現在の日本のリーダーが、一方のシステムだけを重視するのではなく、二つの解釈のシステムを意図的かつ主体的に運用したことは頼もしく感じられるのである。

一方で、「オモテとウラの使い分け」とも理解できる「二つの解釈のシステムの使い分け」という政治手法の限界も、やはり存在する。確かにそのやり方でも、今回のように複雑でやや日本が押し込まれた状況で、少ない機会を拾うという成功は可能である。しかし、それは再現性・継続性に乏しい。「ウラオモテのない理念」を掲げた政治姿勢は、単調な印象を与えるかもしれないが、一貫した行動指針を与えてくれる。これは短期的な不利益を生じたとしても、長期的なビジョンを達成するためには必要なものである。現在の日本の政治からは、そういったものは見えてこない。
そしてやはり、今回のG7のように「広島」「被爆地」を強調して世界を動かしているのにもかかわらず、日本が「核兵器禁止条約」に参加しないことは、首尾一貫性を欠いていると批判されても仕方ないだろう。

状況によって自在に二つのシステムの使い分けが可能な政治姿勢を続けていることは、間違った機会に、戦後の密教(アメリカの属国である)の方向に進んでしまう危うさを抱え続けていることを意味する。「しゃもじ」の方向に浮かれ過ぎるようなことがあってはならない。欧米のドライな感覚では、対中国との対立姿勢が今後もし強まってしまった場合に、日本に現在のウクライナの立場を押しつけようとする動きも出るだろう。そのことは日本の国益を考えるならば、絶対に回避されなければならない。その時に日本が「核廃絶」のような価値に真剣にコミットしているならば、機を見て利を拾うことに専念した場合と異なり、欧米の人々に取って、日本をレスペクトする根拠になるだろう。

日本の政治における思想的な課題は、顕教と密教のシステムを意識的な決断のもとに統合し、一貫性のある独立した主体性を確立していくことである。これは困難な課題であり、真剣に取り組んだ人は多くはない。

自民党の中にある戦後の密教を顕教(憲法九条)に優先させようとする傾向には注意すべきだと考えているが、ひたすらに顕教の立場から密教を批判することも、望ましい状況ではない。あまりに教条的になり過ぎてしまい、事態が硬直化する。道義的に、すでに私たちは、アメリカの核の庇護の下で平和と経済的繁栄を享受してしまったことの負債を負っている。日米の「核密約」のことは一般の国民は知らされていなかったとはいえ、現在はそれが曝露され、意志があれば簡単にその情報を知ることができるようになっている。その状況を生きてきた/生きている当事者として、核廃絶のような理念をいかに実現するのかについて責任のある行動を引き受けていく必要がある。その覚悟なく、倫理的な高みから現状を非難するだけのような思想的な立場は、現状とこれからの日本において、多数の支持を受けるのが難しい。

 

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