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Vol.23124 福島第一原発からの処理水の放出について

医療ガバナンス学会 (2023年7月18日 06:00)


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この記事は、2023年7月15日に公開された講談社現代ビジネスの記事を転載したものです。

ほりメンタルクリニック
堀 有伸

2023年7月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

私は自分がリベラル寄りの人間だと思っている。東日本大震災・原発事故の後、2012年4月から福島県南相馬市に移住して働くことを選択した。今でも時々、日本の政府や文化について、それが画一的なありようを国民に強制しているように感じられる面については、批判的な文章を書いて発表することを続けている。
しかし困ったことに、「リベラル」的な言動を行うとされている人たちと、考え方が異なる、と気づくことが増えてきた。現在、東京電力福島第一原子力発電所から処理水を放出することが話題になっている。私はこれについては容認やむなし、と考えている。放出されるとされる水に含まれる線量が十分に低いと測定されていること、また、医療被曝や世界の他の原発から放出される水との比較から、そう考えるのが妥当だろう。それでも原発事故という大きな失敗を犯した日本政府と東京電力を牽制する意味で、ある程度の抵抗を示すのは妥当かもしれない。しかし現状のようにとにかく絶対反対、そのためには科学的とされる権威の全てを否定するという勢いでの抗議活動には共感しないし、「リベラル」な言説が日本社会で影響力を増すことを目的とするならば、悪手とみなせる望ましくない選択だと思えるのだ。

原発事故から日本社会が学ぶべき最大の教訓の一つは、「内輪の人間関係の空気に逆らっても、外部の視点を意識した、客観的かつ科学的な事実や法則を重視しなければならない」場面が存在することを、しっかりと認識するべきだということだろう。「堅苦しいことを言わずに、融通が利く」ことを徳があることとみなして重視する傾向が日本人には強い。
しかし、ここぞという場面では、愚直に頑固にならなければならない。
原発事故に関しては、津波による大きな被害が原発に生じうることを警告した学会等の報告を、東京電力が無視したことを批判したブログを、以前に講談社現代ビジネスに寄稿したことがあった。
原発事故に国の責任はないのか…最高裁判決に対する「大きな違和感」(堀 有伸)
https://gendai.media/articles/-/97005

他には、国会事故調を主導した黒川清が、『規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす』という著作の中で教えてくれたことを思い出している。いわゆる先進国と呼ばれる国々では、社会に大きな影響を及ぼす事件・事故が発生した場合に、国会が主導で調査委員会を立ち上げ、その出来事についての分析を行い、今後の対策を検討することが普通に行われている。しかし日本では、原発事故後に立ち上がった事故調査委員会が憲政史上はじめての試みだったそうだ。
私はこのような日本の問題点が改善されて、さまざまな出来事について、外部の客観的な視点を踏まえた分析が科学的な手法を尊重しながら行われ、その結果が重視され反映される社会になってほしいと思っている。
そこから、今回の処理水の放出と関連して、科学の権威を全否定して感情的な判断を優越させるべし、という主張が行われることについて賛同する気持ちになれないのである。
「IAEAのような機関は日本政府からお金をもらっているから信用できない」と陰謀論的に主張するならば、「反原発運動も特定の政党や外国の勢力から支援を受けているから信用できない」と陰謀論で返されて、泥沼にはまっていくばかりではないか、という懸念を抱いている。

今回の処理水放出について強い反対を示している人々の論拠の一つは、「福島で被災した人たちの心を傷つけるから」というものである。
福島県内で仕事をしている精神科医としては、自分の専門性・日々の業務にダイレクトに関わるところなので、もちろん関心がある。

ここから書くことは、私個人の意見である。私はいくつかの精神医学と関連した学会や勉強会に所属しているが、今回示す見解をそれらの団体に共通のものと思わないでほしい。同じ精神科医でも、別の意見を持つ人がたくさんいるだろうし、私のことを「冷たい」と考える人もいるだろう。

直接影響を受ける漁業関係者たちは別にすると、普通に福島に生活している人は、今回処理水を放出することについて、そこまで関心がないのではないか、と感じている。他に気がかりなことが、たくさんあるのだから。
その上で、今回の処理水の放出について、「リベラル」な人たちが擁護するような形で、国や東電への怒りを表現することを許容し続けることが、長期的な目で見た時に、本当に本人たちの癒し・回復につながる寄り添い方なのかという点について、私は疑問を持っている。

ここで怒りや恨みを持つことと、それを表現することを区別していることを強調したい。怒りや恨みを持つこと自体は全く正当である。それを一生抱き続けたとしても、尊重されるべきである。誰も、「そろそろ時間が経ったのだから、忘れなさい・許しなさい」などと、心のありようを強制するべきではない。
しかし、それを表現することについては、社会的に許容される枠があることを自覚し、その枠内で表現することを勧めるべきである。
ひどい被害を受けた直後の混乱が激しい場合には、その枠は相当に広く設定されるべきだ。怒りや恨みが、混乱してバラバラになりそうな心を支える感情ならば、強烈な敵意の表出が行われても仕方がない。しかしそうであっても、秘密の守れる診察室内などの環境の方が望ましい。
私の感覚では、事故から10年以上経過した後で、それなりの手続きを踏まえて蓄積されてきた科学的見解をすべて無視して、「怒り」を国や東電の行動を阻止するという形で表現することを許容し続けることは、社会的な信用を当事者が維持していくための「枠」を超えてしまっている。

くり返しになるが、被害を受けた人が怒りや恨みを抱き、それを表現したとしても、それは正当な権利である。しかし、その表現方法には一定の制限があってしかるべきだ。なぜなら、それらの表現は加害者への攻撃という形を取りやすく、近代的な社会では私刑の執行は禁止されているからである。
それを許容し過ぎた場合に、直接的なペナルティーが行われなかったとしても、当事者の社会的信用の低下や、周囲の人々との関係の悪化という不利益が生じる可能性がある。ひょっとしたら、そういった人々は、抗議活動を共にした人々以外の人々と接するのに居心地の悪さを感じるようになるかもしれない。それらを十分に考慮した上で、「怒り」の表現がどのようになされるべきかが選択されるべきであり、その際に「怒りをあおる」ようなことはなされるべきではない。

一般に、何らかの社会活動・政治活動・宗教活動等においては、体験を言語化する能力の高い被害者・当事者が、そういった活動の集会での登場を頻繁に求められるようになる可能性がある。そのような当事者の一部が、後から傷つきや体調の悪化を体験する場合があり、そのような事態への配慮も必要だろう。

もう一つ、怒りの表現に制限を加えるべき理由がある。これは、精神科の主治医としてトラウマの被害者と関わることのある経験から、私が個人として感じていることである。被害者と一時的にしかかかわらない人物ならば、その怒りをあおって、一緒にカタルシスを感じることで満足できるかもしれない。しかし、主治医のような立場で関り続けることになった場合に、「社会的な権威や科学的な根拠などは一切関係ない。当事者の怒りこそが重要で、寄り添われるべきなのだ」と被害者が信じるようになった場合に、治療経過のどこかの場面で、それが主治医と患者との関係で反復される可能性がある。その場合に、主治医はかなりの苦境に陥るだろう。「社会的な枠」を尊重する姿勢が共有されていることは、治療を継続していくためには必要不可欠な条件なのだ。

しかし同時に、反対の懸念もある。このようにして社会的な問題に着目したり、それについて抗議の意志を示す「リベラル風の」活動自体が、何か道徳的に問題のある、不適切な行為だという空気が強まることも望ましくない。そのような事態が生じないように警戒することも必要である。

放射線被ばくによる健康被害の発生を警戒し、自発的に測定や除染を行い、行政や東京電力にも積極的にそれらの活動を行うことを求めた人々の継続した働きかけが積み重ねられたからこそ、現在の「ほぼ大丈夫」という状況が達成されたと考えるべきだ。思い出されるのは、当初は「3つの誓い」
https://www.tepco.co.jp/fukushima_hq/compensation/oath/index-j.html
などを発表していた東京電力が、その後に放射線被ばくによる直接的な健康被害が軽微とするエビデンスが集まってくるにしたがって、ADRから示された和解案などを拒否する事例が増えていったことである。直接的な示威行動がなければ、もっとほしいままに国や東京電力が振る舞うのではないかと不信感を抱かせる要素は、常にあった。原発事故によってもたらされた災厄の影響を最小限にしたいという思いで活動した人々の思いと献身は、間違いなく顕彰されるべきなのである。
しかしそれだけに、ここで「処理水」の扱いをめぐって、「科学的な知見など意味がない」というような過剰な主張を行うことで、原発事故に関する「社会的な活動」全般がいかがわしいものとみなされるようになってはならない。

原発事故による怒りや恨みの表現として、放射線被ばくによる直接的な健康被害以外の問題への追求という手段が、もっと着目されるべきである。
すでに述べてきたような、国内の組織間の不適切な関係性が正常化されるようにモニターし、批判するような活動にさらに関心が向かってもよいと考えている。
原発事故による健康被害については、震災関連死の増加など、避難等のストレスによって被災者が経験した既存疾患の悪化、災害弱者と呼ばれる層に生じた健康被害、精神的問題の発生や悪化などの、間接的な健康被害が存在したことを示すエビデンスが集積しつつある。そのようなことに着目し、是正を求めていくことも、怒りの表現として適切だろう。

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