医療ガバナンス学会 (2010年12月3日 06:00)
ところが、このエコチル調査が既存の医療を破壊しようとしていることは、あまり知られていない。国民の健康に資するはずの学術調査が、一方で国民の健康を 守る医療を破壊する。なぜこのような矛盾が起きるのか?現在の日本の行政を象徴する問題点が、この騒動には隠されていた。エコチル調査では、10万人の妊 婦さんを対象として尿中や血液中の有害物質を調べ、生まれた子供が13歳になるまでの健康状態を追跡してその関係を調べる研究である。ところがこの調査で は、新生児の臍帯血も調べることになっている。10数年前であれば臍帯血は廃棄物である。出産後に胎盤とともに捨てられる存在であった。しかしながら、臍 帯血は今や白血病患者さんにとっては命の源となる存在だ。臍帯血の中には血液を産生する造血幹細胞が含まれていることが分かり、これを用いた移植医療に望 みをつなぐ白血病患者も多い。日本でも1997年頃から臍帯血移植が始まり、1999年には全国規模の「臍帯血バンクネットワーク」が設立された。今や臍 帯血移植件数は年間800件を超え、日本は世界でも指折りの臍帯血移植大国である。ところが、エコチル調査では臍帯血移植のことは一顧だにされず、環境省 の補助金が医療を破壊する一歩手前になっている。
エコチル調査では10mlの臍帯血を用いて化学物質の濃度を調べる。臍帯血移植で必要なのは臍帯血中の細胞成分であるが、胎盤から取れる臍帯血の総量は 30~50ml程度。移植に必要な細胞数は臍帯血全量を用いても足りないことが多く、移植に使えるものは全体の数分の1程度だ。10mlを別に使われた ら、移植に使える臍帯血はなくなってしまう。エコチル調査は平成16年頃から計画されていたというが、関係団体である「臍帯血バンクネットワーク」での説 明会が行われたのは平成22年11月になってからだ。それ以前に、地区別の臍帯血バンクに打診があったケースもあって、「臍帯血移植の提供施設は調査対象 から外してほしい」との要望が出されていた。しかし11月の説明会資料では、その要望は受け入れられておらず、約3割の施設が重複していることが発覚して 大騒ぎになった。説明に来た担当者は「これまでも、臍帯血移植にいささかの影響も出ないように配慮してきたし、実施にあたっても僅かなりとも影響が出ない ように配慮する」と答弁したが、配慮があったとはとても思えない。僅かどころか、大打撃である。移植に必要な臍帯血の本数は現行でも足りず、今後新規の臍 帯血採取施設が見込めなくなるばかりか現行の採取施設が3割も減るのである。
産科施設が臍帯血バンクよりエコチル調査に走るには理由がある。臍帯血バンクに臍帯血を提供して得られる協力謝礼は1本5,000円から15,000円ほ どである。しかも実際に移植に使える細胞数を満たした場合に限る。移植の際は人体に注入する臍帯血であるため、無菌操作も必要になるなど煩雑な点もあり、 実費を考慮すると臍帯血採取に協力する産科施設はボランティアに近い。ところがエコチル調査に協力すると、もれなく1本20,000円の謝礼がもらえるの だ。臍帯血バンクネットワークへの補助金は、毎年わずか5億円程度。それでは当然足りずに、経営危機問題が今年発覚したのは記憶に新しいところだ。臍帯血 移植事業の運営資金は、全く足りていない。臍帯血バンクネットワークの職員はわずか2人。事務所を借りる資金もなく、オフィスは日本赤十字社に間借り状態 だ。追加の職員も雇えずに会議の議事録の整備もままならない。日常の臍帯血移植の処理に加え、東海大学で起きた臍帯血紛失事件や東北臍帯血バンクの経営危 機問題など、頻発するトラブルの処理に忙殺されている。そこに二次トラブルが起きないか危惧されていたことに加え、今度は環境省と来た。
一方で、単なる調査に880億円。天下り官僚の給与がどれくらいを占めるのか知らないが、この国は、どこまで医療を軽視すれば気が済むのか。
事態がこうなるまで放置されていた理由は何か?縦割り行政で省庁間の連絡が悪いか、それとも厚労省のアピールが弱いのか?他の省庁が札束で医療を破壊するのを、国民の命を預かる省庁が抗議もせずに傍観している。闇は、深い・・。