医療ガバナンス学会 (2025年3月17日 09:00)
神奈川県議会議員
小川久仁子
2025年3月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
本県の障がい福祉行政を担い、県立障害者支援施設を県から委託を受ける形で生まれた共同会。ある時は県副知事が理事長に就任するくらい、重きを置かれた社会福祉法人であった。それが時を経て、社会の流れから取り残され、旧態依然としたケアを継続し、挙句の果てに、凄惨な津久井やまゆり園事件を引き起こしてしまった。
それだけでは収まらず、傘下の愛名やまゆり園園長が女児レイプ事件を起こし、懲戒免職、その後も入所者への虐待事件が発覚し、指定管理者としての信頼を失っている。
津久井やまゆり園の凄惨な事件が発生する前の状況は、虐待事件が発覚した県立中井やまゆり園や、愛名やまゆり園の状況と酷似していたと私は推測してる。障がいを持つ方々を人間としてではなく、忌避すべきものとして職員は対応している。施設の中で起きていることを園ぐるみ、法人くるみで隠ぺいしてきた経過が、いまさらながら、愛名やまゆり園第三者委員会の報告書から読み取れる。
(https://www.pref.kanagawa.jp/documents/116430/10_sankoshiryo.pdf)
そもそも、共同会は、県職員、障害者の方々の家族、NPO関係者などが、共同して、障がい福祉の理想を求め、県内福祉従事者の大学とも呼べる実践施設を実現するという目的を掲げていた。本県福祉職員が退職後、数多く共同会に再就職してきたし、出向することもあった。県立中井やまゆり園の幹部職員も、共同会と同じ人脈の職員達が幹部として赴任してきた。その結果、県関係の障害者支援施設は、時の経過とともに、社会の流れに取り残された旧態依然としたケア概念を継承し、虐待行為を繰り返してきたのだと私は推測している。障害に対する同じ概念を持つ同じラインの人達が、県立、指定管理問わず、県関係の障害者支援施設では、職員人事とケア方針を支配してきたのだ。
障がい福祉という専門性を持つ一部の限られた職員たちが、同じ考えを持つ人脈を結成し、その仲間が、共同会傘下の施設への再就職をしてきたのである。
この人事の偏りを私が最初に疑ったのは、ある職員の不自然な共同会への再就職を知った時だった。指定管理料と自立支援法による給付額とのダブりにより多額の純資産をつみ上げていた共同会への疑問点が監査で指摘され、 平成25年3月の厚生常任委員会でこの問題について私は質疑した。その時に、共同会をかばうような答弁していた当該課長が、共同会のある園の園長として再就職したことを後に私は知ったのだった。しかも、その時の返還額は甘い調査の結果によるものであったので、その後も複数回にわたり返還額が発生するという不始末になったのである。
私は、機会あるごとに、共同会の資産調査をしてきた。調査の度に共同会の純資産は不自然に増額してきたし、議会で追及する度に返還額が発生してきた。不当に得た資産の返還を渋る、共同会のありように、社会福祉法人としての資格があるのかという疑問を私は感じてきた。
津久井やまゆり園の凄惨な事件が発生した時でさえ、当時の理事長は、共同会のあり方を反省もせず、共同会傘下の複数施設から職員がサポートに来てくれるから、立ち直れたのだと、シャーシャーと視察に行った私の前で言い放った。傘下の施設数が多く、系列のグループホームなども増設して、巨大化した共同会であるが故に、目が行き届かず凄惨な事件が発生した可能性が高いのに、巨大だから助かったとばかりの発言だったのである。
ただただ利益を追求し、入所する障害者の方々への心あるケアをないがしろにしてきた可能性が高い、と私は共同会の在り方を疑っていた。また同時にケアをする職員の心のケアをないがしろにしてきたからこそ起きた津久井やまゆり園事件であるとも、私は疑っていた。疑う私の前で、理事長の反省の無い言葉は何回も発せられた。
何回視察を重ねても、視察時には、虐待の証拠は得られない。だからこそ、オーソライズされた会計状況を精査して、共同会を批判してきたのだった。確固たる証拠としての数字を調査したのである。その調査から、共同会がどっぷりと指定管理者という立場につかり、向上心に欠ける障がい福祉の現場を継続してきたことが推測できる。だからこそ、津久井やまゆり園事件が発生し、現状があるのだ。
共同会への指定管理については、私が決算特別委員会で質疑を行う度に、不自然な純資産の増額があり、精査をする度に、指定管理料と自立支援法による給付金のダブりが見つかり、共同会から県への返還金が発生してきた。これは、共同会が姿勢を正していないという証拠そのものであった。巨大化した組織ゆえにスケールメリットにより、資産が増加する。配慮の行き届いたケアより利益を優先する。そういう社会福祉法人としてはあり得ない姿勢そのものが、凄惨な事件を発生させ、事件の犯人を生んだものと、私は考えている。その反省が共同会には、微塵も感じられない。当時も現在もである。
虐待事件が発覚した愛名やまゆり園調査の中間報告書を見ても、理事長の厚生常任委員会での答弁を見ても、すっかり津久井やまゆり園事件を忘れているように、私には思える。あれだけの事件を経験したのだから、共同会の在り方を少しは反省する必要があったのに、その経過がみえない。
人手不足、スタッフ不足は介護・福祉の世界では、今は日常的な悩みの種である。評判の高い施設でも、同様の悩みを抱えている。あの凄惨な津久井やまゆり園事件を起こした、共同会に、好んで就職してくる職員さんが、果たしてどのくらいいるだろうか?同じ給与、同じ採用条件であったら、共同会を選択してくれるだろうか?この自覚が全く理事長の答弁には感じられない。事件後に就任したからだろうか?外部から見て、どういう施設だとみられているのか?という客観性が乏しいのではないか?当事者目線でのケアを謳い、毎年鎮魂の為に追悼式を実施していれば、贖罪されると考えているのだろうか?経営者として甘すぎると、私は感じる。
県として、共同会の悪しき体質に、風穴を開け、悪しき福祉の流れを断ち切ろうとした時もあった。令和3年の指定管理者外部評価委員会の共同会からの提案に関しての評価は誠に厳しいものであった。これを受け、法人全体の改革の一環として、理事について抜本的改革を行うことが共同会から示された結果、指定管理を受け、その時に理事長、事務局長などが交代し、現在に至っている。
それ以降、むしろ共同会の虐待事件などが、表に出るようになってきた。共同会が少しずつ変化してきた証拠だと、私は受け止めていた。理事長や園長が交代し、新しい風が入ることによって、時間はかかっても、共同会の体質そのものが変化・改善してくることを期待してきたのだった。
しかし、愛名やまゆり園の第三者検証委員会中間報告を見ると、共同会傘下の他の施設でも同様の虐待が行われているのではないか?という疑念が強く頭をもたげてくる。県は愛名やまゆり園を新しい福祉の地方独立行政法人に統合することを視野に検討すると発表した。また、(「県立障害者支援施設の方向性ビジョン」において、建物の老朽化が進んでいるため、)小規模施設への再整備を進めるとの発表もあり、愛名やまゆり園が新しい出発をすることになる。これは、よい判断だと私は受け止めている。
共同会を設置したのは、本県であるので、民間社会福祉法人ではあるが、代々理事長が県関係者であったことを考えれば、共同会は県が責任をもって方向性を決定するべきであると、私は考えている。愛名やまゆり園を新地独に統合するのであれば、凄惨な事件を起こした津久井やまゆり園も新地独に統合し、事件の責任を県が負っていくべきである。民間法人の施設に、凄惨な事件の負の遺産を背負わせるべきではないからだ。
そして、共同会は解体的に出直すべきだ。これまでの、県の一部の誤った考えを持つ障がい福祉ラインの人々がかかわり、誤った発展をしてきた「かながわ共同会」。県が責任をもって今後の方向性を是正していくべきである。障がい福祉ラインの誤った人事がもたらしてきた、本県障がい者施策の現状を、本県が責任をもって改革するべきなのだ。本県の現在の障がい福祉人事について、すでに是正されていることを、私は承知している。折に触れて私は指摘、提言してきた。しかし、まだ、共同会が運営する障がい福祉現場には、誤った古いケア理念が蔓延している。古い人事ラインの悪影響が残っている。
県直営・指定管理にかかわらず、本県の県立障害者支援施設において、これまでの障害者支援施設を支配してきた人事ラインを一掃し、当事者目線を持つ、穏やかでやさしい障がい者ケアが展開されるよう、改めて人事点検を行うべきであり、その人事の影響を一掃するべきなのだ。
かながわ共同会は自律して、正しく出直し、発展していくために、県からの職員の出向も再検討し、解体的再建を図っていくべきである。
共同会は、神奈川県最大の汚点である。県として、責任をもって自律を見届けるべきである。それが、凄惨な津久井やまゆり園事件で、命を失った方々に対する真の贖罪であろう。