
医療ガバナンス学会 (2026年2月26日 08:00)
インターン初日の記憶は鮮明だ。医療ガバナンス研究所理事長の上昌広先生に「高輪という地名の由来を言えるか」と問われ、私は黙った。続いて自分の出身地や出身大学について、「弘前大学の歴史は?」「津軽の成り立ちは?」どれも答えられなかった。上研究室では、そうした問いへのなんとなくが通用しない。固有名詞と具体を持って、簡潔に答える。それができなければ、その日の学びが生まれる。私の場合、午後はそのまま高輪の街へ出て、普段なら見過ごしていた標柱の解説を読み、資料館を巡ることになった。
最初は正直、なぜ地名の由来がインターンの学びなのかと思った。しかし街を歩きながら、その問いへの答えが見えてきた。高輪が東海道の出入口として江戸の表玄関を担っていたこと、坂が多い地形の理由、泉岳寺や東禅寺の由来。その文脈を持って街に立つと、目の前の景色が違って見えた。知識とは暗記ではなく、現実をより立体的に読むためのレンズだ。歴史を知ることで、人も、街も、言葉も、一段奥まで見えるようになる。
この感覚は、インターン期間中に訪れた福井でも体験していた。福井城址のそばに立ったとき、その本丸に県庁がそびえ立つ景色に、私は青森・弘前の面影を重ねた。弘前城の外濠側には市役所がある。城が政治の中心だった時代の名残が、現代の行政の中心としてそのまま残っている。二つの城下町の構造的な類似だ。そしてその類似は街並みだけに留まらない。弘前は津軽藩4万6千石の城下町として、福井は越前松平家32万石の城下町として、それぞれ江戸時代に栄えた。そして両地域は、北前船の寄港地として栄えた歴史を共有している。弘前藩の外港・鯵ヶ沢の白八幡宮には、大阪・加賀・越前など諸国の廻船問屋の名が刻まれており、福井からも人が行き来していた証が残る。
歴史を知るとは、こういうことだ。出来事に対する解像度が、根本から変わる。高輪の標柱を読んだとき、弘前と福井の城下町構造が重なったとき、私は同じ感覚を得た。歴史は過去の話ではなく、現在を立体的に見るためのレンズである。
この原理は、東北・青森という自分の原点を振り返るときにも働いた。東北の日本海側三県は全域が特別豪雪地帯に指定され、秋田・青森・山形の日照時間は全国最低水準に並ぶ。その厳しい自然環境が育んだ食や文化は誇るべき財産だが、同時に諦め、内向き、他責という気質も、知らぬ間に空気のように染み込んでいる。そのことを客観的に理解しているかどうかで、自分自身の言動を省みる精度がまるで変わる。
翻って、上研究室が提起する問いはこうだ。「どこで学ぶかではなく、誰のもとで学ぶか」。これは、私が福井で耳にした言葉と完全に重なる。「優れたリーダーのもとで修行せよ」と。システムではなく人。組織ではなくリーダー。この視点の転換が、医学生が陥りがちな罠「大きな病院で、しっかりしたシステムのもとで学べばいい」を打ち破る。
上研究室には、政治家、オリンピックメダリスト、大企業経営者、他分野の研究者が日常的に出入りする。彼らに共通しているのは、一切、肩書きで威圧しないことだ。物腰は柔らかく、どんな相手にも対等に向き合う。だからこそ、こちらの受け取り方が問われる。相手の出身地や背景を知っていれば、同じ言葉でも届き方やそこから生まれる疑問が変わる。歴史を学ぶことは、一流の言葉を一段深く解釈するための準備だった。
「この記者がどんな人か調べてご覧」研究室には毎朝、五紙の新聞が届く。同じ出来事を扱った記事でも、見出しも切り口も新聞社ごとに異なる。その差異を読むには、書き手がどんな時代を生き、どんな立場から記事を書いているかを想像する必要がある。書き手の出身地、育った環境、所属する組織の歴史、そうした文脈を重ねることで、記事の本質が見えてくる。毎朝の紙面はそのトレーニングの場だった。
インターン期間中、最も印象に残った原則を最後に記す。
上先生は飲み会を重んじる。理由はただ一つ、仲良くなれるから。私はその言葉を信じ、殆どの晩を飲み会に充てた。結果は明快だった。めちゃくちゃ仲良くなった。理屈よりも共に過ごした時間が、人と人を結ぶ。その単純な真理が、このインターンで得た最大の発見かもしれない。
場所を変え、人を変え、時間を変える。その先に初めて、見えてくるものがある。北前船の時代、人々は商機を求めて海を渡った。現代の若者が求めるのは、学びと実践の場だ。私にとってそれが上研究室だった。私はそのバトンを、次の誰かへ渡す番だと思っている。この体験記を読んで、一人でも多くの学生がこのチャンスを掴むことを願っている。