医療ガバナンス学会 (2011年11月7日 06:00)
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー
細田 満和子(ほそだ みわこ)
2011年11月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●『アイ・リメンバー・ミー』
「ともに挑もう!慢性疲労症候群(CFS)」と題する上映会とシンポジウムが、秋晴れの10月23日(日)に東大駒場キャンパスで開催されました。午前中 は、『アイ・リメンバー・ミー』というCFSのドキュメンタリー映画の上映会が、監督でCFS患者のキム・シュナイダー氏をお迎えした交流会と共に行われ ました。続いて午後は、CFSに関する専門家として3人の医師―関西福祉科学大学の倉恒弘彦氏、静風荘病院の天野惠子氏、聖マリアンナ医科大学の山野嘉久 氏―とアメリカの患者会と交流のあった私がシンポジストとして呼ばれ、それぞれの話をして会場や主催者などの質問に応じるやり取りが行われました。
このイベントは、21年もCFSを患っている篠原三恵子氏が代表を務める「慢性疲労症候群(CFS)をともに考える会」が丸1年をかけて準備したものでし た。会は、「ずっとおとなしく患者をしていた」という篠原氏が、一念発起して2010年2月に結成したばかりの新しい会です。
篠原氏が会を作ろうと思い立ったのは、行政からの福祉サービスの障壁があまりにも高く一人では太刀打ちできないと思ったこと、自分以外にもたくさんの患者 がこの病気で苦しんでいること、そしてドキュメンタリー映画『アイ・リメンバー・ミー』と出会ったことなどがきっかけでした。篠原氏は『アイ・リメン バー・ミー』を初めて観た時、この病気の認知を広めるためにうってつけの作品だと確信し、ベッドの上で寝たまますべての台詞を翻訳しました。この詳細は、 篠原氏ご自身が昨年9月発行のMRIC 291号に書かれていらっしゃいますので是非ご覧ください。
『アイ・リメンバー・ミー』は、2000年に公開されたアメリカの作品で、デンバー映画祭でベスト・ドキュメンタリー賞を受賞しています。監督のキム氏 は、自らがCFSになった経験から、原因不明で周囲からもなかなか理解されないこの不可解な病気について、過去に集団発生した場所を訪ねて当時を知る人々 にインタビューしたり、実際の患者の証言を交えたりしながら、病気とそれを巡る人々―患者、医師、家族など―の苦悩と挑戦、そしてほのかな希望を描き出し ています。映画の中には、キム監督自身の映像もちりばめられ、かつての自分とは異なるようになってしまった自分を探す長い迷路のような道のりを、手探りで 歩みつつ、それでも自分を見失わない姿を見せてくれています。
●ニューヨークでの約束
私がキム氏にお会いしたのは、ちょうど今から1年前の2010年11月のことでした。ボストンからニューヨークまで、初めてバスを利用して行き、キム氏に 指定されたイースト・ヴィレッジのこぢんまりとした暖かな雰囲気のイタリアン・レストランで待ち合わせをしました。少し遅れて現れたキム氏は、映画の中の いかにもタフで自立したニューヨーカーという印象とは逆に、穏やかで柔和な風情の小柄な女性でした。多少緊張していたので、正直言って安心しました。ワイ ンを傾けつつキム氏の映画に関するお話を聴いた後、今回ニューヨークまで会いに来た最大の使命、翌年の10月に日本の患者会が企画しているCFSの一大認 知キャンペーンに合わせ、来日してくれるかどうかを打診しました。キム氏はその頃には今取り組んでいるプロジェクトが終わっているから喜んで来日したい、 と答えて下さいました。
そこから、今年2011年10月23日まで、篠原氏をはじめとする会の皆さんの準備は、膨大なものだったと思います。会の共同代表で、篠原氏の翻訳をもと に日本語の字幕付きDVDを作成した映画監督の有原誠治氏、ご家族に患者のいる何人もの会員の方々、篠原氏の地元の政治家の方々、さまざまな専門の何人も の医師の方々、そのほか多くの支援者たちが、この認知キャンペーンのために時間を惜しまず協力してきました。
●病名変更の提案―筋痛性脳髄膜炎(ME)
上映会は好評で、キム氏の思いが大勢の観客にダイレクトに伝わったようでした。監督挨拶でキム氏は、「この病気に関するアドボケイターと医療者、そして観 客の皆様が一丸となって努力すれば、日本、そして世界中で、この病気を巡る状況はきっと変わってくるでしょう」とおっしゃり、今、まさに変わろうとしてい る日本の現場に居合わせたことを喜んでいらっしゃいました。
午後のシンポジウムでは、篠原氏によって、慢性疲労症候群(CFS)に代わる筋痛性脳脊髄炎(ME)という病名への変更が提案されました。MEの起源は、 1955年にさかのぼります。その年の夏に、ロンドンのロイアル・フリー・ホスピタルの職員3500人の内、292人がポリオ類似の encephalomyelitisに罹患し、微熱、咽頭痛、頭痛、めまい、視力低下、頚部リンパ節腫脹などの症状がみられました。しだいに複視、知覚異 常、麻痺、筋痛、抑うつなどの症状も表れ、34%に脳神経麻痺がみられ、四肢の運動機能、知覚ともに障害が認めらました。このような病態は典型的なポリオ とは異なるため、イギリスの研究者たちは、ME(Myalgic Encephalomyelitis)と命名しました。イギリスやカナダでは、1988年にアメリカの疾病管理予防センター(CDC)が名付けたCFSで はなく、MEを使用しています。
シンポジウムの一ヶ月前に、カナダで慢性疲労症候群の国際会議が開かれ、ジャーナル・オブ・インターナル・メディシンに既に7月には発表されていた、国際 的合意に基づく新しい診断基準についても話し合われました。その後、最終版が発表され、その抄録には、「広範囲の炎症と多系統にわたる神経病理を強く示 す、つい最近の研究や臨床経験を考慮すると「筋痛性脳脊髄炎」(ME)という用語を使用する方が適切で正確である。MEは根本に潜んでいる病態生理を表す からである。世界保健機関の国際疾病分類(ICD G93.3)において、神経系疾患と分類されていることとも一致する」と書いてあります。この会議には、日本からも代表を送っていますが、おおむね筋痛性 脳脊髄炎とする事に賛成の声が多かったそうです。このことから、多大な誤解をまねく慢性疲労症候群という病名の変更を提案するに至りました。
CFSという病名の変更は、日本の患者たちが長年求めていたものであります。この名前のせいで患者たちは、単に疲労が蓄積されているという、医療者を含む 周囲の人々からの無理解や偏見にさらされてきました。ですからこの病名変更の提案は、患者の願いを実現しようとするものです。
●診断基準の重要性と研究の進度
この会ではシンポジウムに合わせて、二つの冊子を翻訳・製本しました。
一つ目は、カナダ保健省が2003年にまとめた、「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群 臨床医のための臨床症例定義とガイドライン」です。これは、日本疲労学会も加盟している国際慢性疲労症候群学会と、アメリカ・カナダの全ての患者団体が推奨しているものです。
慢性疲労症候群の診断基準は世界にいくつも存在し、日本の診断指針はアメリカのフクダ基準(1994年)に基づいています。フクダ基準では、6ヶ月以上続 く極度の疲労の他に、8つの症状のうち4つが当てはまれば、慢性疲労症候群と診断されます。この8つの症状のうちの2つの症状(労作後24時間以上続く極 度の疲労と、記憶力・集中力の低下)は、慢性疲労症候群の中核症状であるにも関わらず、フクダ基準では必ずしもこの2つの症状を満たす必要がなく、うつ病 の方が含まれる可能性があります。どの診断基準を使用して慢性疲労症候群と診断するかは、今後の研究の進展の方向性を決める上で、大きな鍵となる重要なポ イントです。
二つ目は、「アンソニー・コマロフ・ハーバード大学教授によるマサチューセッツの患者会に向けた2010年の講演のまとめ」です。コマロフ博士は、25年以上慢性疲労症候群の研究をされてこられた世界的な権威、研究がどこまで進んでいるのかを、ご理解いただけます。
この会では、二つの冊子をセットで、実費(500円プラス送料100円)でお分けしています。また、どなたでもホームページからダウンロードできます。慢 性疲労症候群の正しい認知が広がることを願い、一人でも多くの方に読んで頂くことを目的として、この翻訳を公開しています。
●様々な立場からの挑戦と応援
続いてシンポジウムでは、日本における疲労研究の第一人者である倉恒弘彦医師が、2012年度の厚労科研費の公募に応募して、この病気の実態を調査し、病 院を解明し、診療体制を確立するための研究班を立ち上げたい旨を訴えました。また、篠原氏の主治医の天野惠子医師は和温療法を使った治療の可能性を、山野 嘉久医師はいかに障害手帳や年金を取るために患者さんが苦労しているかというお話をしてくださいました。私は、アメリカでも社会保障を受けるためには膨大 な書類と詳細な医療記録が必要で、患者会はそのためのガイドブックを作成したり電話相談を行ったりしていることなどを紹介しました。
当日のコーディネートをして下さった東京保険医協会の申偉秀氏は、地域で開業する医師たちが、まっさきにこの病気を理解し患者に寄り沿い、病診連携を推進 するように呼びかけことを約束しました。この会場を用意して下さった東京大学教養学部教授の山脇直司氏は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活 を営む権利を有する」とする憲法25条を引いて、患者の権利の保障の必要性を語りました。指定発言をお願いしていた難病の会の西田えみ子氏は、難病も含め て一般の理解が不十分な病気の場合、患者は制度の狭間に置かれてしまうので、改善を訴えました。
開会のあいさつを述べられたリハビリ医の澤田石順氏は、この日、この場に集まった方々は、希望の芽の種をまいているとおっしゃいました。これが発芽し、花と咲き、また種がまかれるよう願っていると。これはその場にいたすべての方の思いだと思いました。
この場には、患者、家族、支援者、医療者、研究者、メディア関係者など、様々な立場の人たちがいました。そして立場を越えて、この病気に起因する苦しみを 理解し、除去して行くために自分は何ができるかを挑戦し、そのために応援しようとしていました。これは、「医療ガバナンス」とでも言えるような、医療にお ける新しい形なのではないかと思いました。
●「障害の概念の転換」と「社会参加」
上映会とシンポジウムには、各種メディア関係者の取材もたくさん駆けつけていました。特にNHKでは、さっそく当日の夜のニュースでとりあげられました。 どうしてこの「慢性疲労症候群をともに考える会」がこれほどまでに注目を集めているのでしょうか?それは、この会が、いわゆる陳情型やお任せ型ではなく、 患者(当事者)が声をあげ、最大限の努力をして、専門家や政治家やメディアを巻き込みながら、自ら状況を変えてゆこうとしているからなのではないかと思い ます。
篠原氏は壇上で、終始ストレッチャーに横たわったままでしたが、シンポジウムを締めくくる言葉として、患者一人一人がチャレンジして変化を起こそう、と強 い志の感じられる宣言をしました。機能障害や疾病を有する人々の障害の本質とは、様々な社会への参加を妨げている社会的障壁にほかならず、機能障害や疾病 を持つ人々を排除しないようにする義務が社会、公共にあることが確認される必要があります。病気を持つ人々の社会参加を排除して、適切な支援を実施しない 社会の側が障害の原因であるという障害把握の転換を明確化する必要があります。篠原氏はこのことを、身を持って証明してくれているのです。だからこそ、応 援したいと思う人が周りに集まり、メディアも高い関心を寄せているのでしょう。
『アイ・リメンバー・ミー』の上映と篠原氏とキム氏を交えての交流会は、10月25日には東京保険医協会(日本の医療を守る市民の会との共催)で、26日 には東京大学医科学研究所付属病院(港区医師会との共催)でも行われました。いずれの会場でも医療者や患者など多くの方々が集い、謎に満ちたこの病気に関 心を持ち、闘っている人々への共感を持ってくれていたようでした。
最終日の交流会を終えて、短時間でしたが篠原氏とキム氏の対談が行われました。その中でキム氏は、日本に来て全体的に感じたのは、人々が思いやりの気持ち を持っているということだとおっしゃっていました。会場に集う人たちだけでなく、街で会う人の多くが、暖かく迎えてくれているような気がする、と。約10 年前に映画を作り終えた当初はまだ、病気による心の傷も生々しく、自分で作ったにもかかわらず映画を見る気持ちになれなかったけれど、今回日本に来て、こ の映画が受け入れられ、変化のきっかけにもなっていることを知り、自分自身を誇りに思えるようになったとおっしゃっていました。ここに、日本でこの病気 が、医学的だけでなく社会的・心情的に変わってゆく兆しを見出せるような気がしました。
今後も「慢性疲労症候群をともに考える会」は、様々な課題に挑戦してゆくでしょう。課題は、篠原氏自らが訳した世界標準になろうとしている筋痛性脳髄膜炎 の診断基準(「カナダ基準」)の医師達への配布、勉強会やシンポジウムの開催、障害者手帳や年金取得のガイドブック作成、電話相談の体制整備など沢山あり ます。そのためには人員も資金ももっともっと必要な状況なので、NPO法人化して体制を作ろうと準備している段階です。今後、どのような展開となってゆく のか、大いに注目したいところです。
[謝辞]
本稿の執筆に当たっては、「慢性疲労症候群をともに考える会」の代表・篠原三恵子氏に多大なご協力を頂きました。また、同会のホームページも大いに参考にさせて頂きました。ここに感謝の念を記します。
<参考資料>
1) 23日のシンポジウム終了直後に放映されたNHKの夜のニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111023/k10013449101000.html
http://www3.nhk.or.jp/news/newsvideo_top.html
2) 慢性疲労症候群をともに考える会のホームページ
https://sites.google.com/site/cfsnonhome/
3) MRIC Vol.291 慢性疲労症候群の実態を描くドキュメンタリー、篠原三恵子
http://medg.jp/mt/2010/09/vol-291.html