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Vol.356  『ボストン便り』(第32回)大統領のディナー:人々の声を聴くということ

医療ガバナンス学会 (2012年1月6日 06:00)


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ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー
細田 満和子(ほそだ みわこ)
2012年1月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


紹介:ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独 特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関 する話題をお届けします。
(ブログはこちら→http://blog.goo.ne.jp/miwakohosoda/)

●4人のゲスト
11月のある木曜日、アメリカ大統領のバラク・オバマ氏は、ホワイトハウスにおいてディナーを主催しました。ゲストは、どこかの国の王様や首相ではなく て、教師としての退職金を取り崩しながら3人の息子を大学に行かせている女性、二種類のがんを患いつつ保険会社と支払いのことで闘っている母を持つシング ルファザーの男性、3人の子どもの賛同を得られないまま新しい事業に取り組もうとしている初老の男性、そして2008年の選挙戦で民主党を応援した無名の アーティストの女性の4人です。オバマ氏は、ミシェル夫人と共にゲストを温かく迎い入れ、彼ら/彼女らの話を聴きました。背後に、同じ悩みや希望を持った 多くの人々が控えていることを思いながら。

このディナーの話は、「オーガナイジング・フォー・アメリカ」という、民主党オバマ支持者の登録しているメーリング・リストで流されたものです。この話の すぐあとには、実際にこのディナーに招かれたアーティストの女性がその時の様子を書いた文章が流されました。オバマ氏のディナーは、政治がワシントンのロ ビイストや利益団体に左右されるのではなくて、彼が「you」と呼びかける、一人一人の国民のためになされるべきことを象徴するものでした。

●かつての闘い
ディナーに招待して、困難に直面している人々の生の声を聞くとは、なんとスマートなやり方でしょう。これがアメリカ式というものなのでしょうか。ある意味 でそうなのかもしれませんが、ここに至るまでには長い厳しい為政者と人々との闘争の歴史があったことも、アメリカ社会のもうひとつの真実です。

つい最近、かねてより親交のあったマサチューセッツ脳障害者協会(BIA-MA)から、1990年に成立した障碍者差別を禁止する「障碍を持つアメリカ人 法(American with Disability Act: ADA)」が成立するまでの、障碍者運動の一端を映し出した映像を紹介してもらいました。それは衝撃的な映像でした。足の不自由な方々が車椅子から降り て、ホワイトハウスの階段を腕の力で這い登る姿。警官に追い払われて散り散りにされないように、互いの車いすや体を太い鎖で縛っている姿。警官に車椅子を 倒されて、地面に横たわる姿。「障碍を持つアメリカ人法」は、障碍者が、文字通り体を張って、命を懸けて成立させたものなのだと、震えるような思いがしま した。

「障碍を持つアメリカ人法」が成立した時、署名をしたのは当時大統領だったジョージ・ブッシュ氏でした。その時の写真を見ると、署名をするブッシュ氏の両 脇に、にこやかに微笑んでいるスーツ姿の車いすの障碍者の姿が映っています。このスナップ・ショットができるまでには、これほどまでの激しい闘いがあった とは、障碍者の歴史の光と影を見た思いがしました。

●日本でもあった闘い
翻って日本でも、障碍者たちは為政者や社会に向けて声を上げてきました。例えば1970年代後期の「青い芝」という脳性マヒの方々の運動は、日本における 障碍者の歴史の画期になる出来事でした。事の次第は、1976年に神奈川県川崎市において、市交通局と東急バスが車椅子のままのバス乗車を拒否したことか ら始まりました。この処遇を不当だとして、1977年になって、「神奈川青い芝」等は激しい抗議行動を起こしました。
当然当局は、抗議行動を抑えにかかり、闘争になりました。その激しさは、アメリカの障碍者たちの運動に勝るとも劣らないものでした。こうした運動は、国連 の指定した1981年の国際障害者年に向けたいくつかの制度改正に影響を与え、日本の障碍者を取り巻く状況は少しずつ改善するようになりました。

●運動とその成果
青い芝の会の障碍者が、バス乗車拒否に対して行った抗議運動は、1960年代のアメリカにおける公民権運動を彷彿させます。アフリカ系アメリカ人の少女 ローザ・パークスは、バスの座席に座っていた時に、車掌から白人のために席を譲れと言われましたが、これに従わずに罰せられました。ここから大きな問題が 勃発しました。多くの市民がバス会社に対して、差別的な慣例に対してボイコット運動を始めたのです。この運動は瞬く間に全米に広がり、人種による差別を撤 廃する公民権運動Human Rights Movementに繋がりました。この運動の拡がりと影響力は甚大なものがあり、その思想は今日のアメリカ社会を特徴づけるものとなっているといえます。

我が家の娘たちも、幼稚園から小学校低学年に至るまで、毎年繰り返し2月の黒人遺産継承月間(Black Heritage Month)になると、ローザ・パークスやマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの物語を学校で話し合い、差別を許さぬ心、不当なものに対してはたとえ 子どもであったとしても立ち向かう勇気を学んでいました。この様子を見て、これこそがアメリカ教育の基本中の基本なのだと思いました。

ただ、同じバスのボイコット運動でも、日本の青い芝の会とアメリカの公民権運動との間には決定的な違いがあります。それは、のちの社会での受け継がれ方で す。ローザ・パークスは人種差別撤廃の偶像になり、アメリカ中の子どもたちが、その物語を授業で学び、ローザの勇気を讃えて、差別の悪を撲滅させようと 誓っています。一方、青い芝の方は、その存在を知っている人は、ごくわずかの当事者か関係者だけにとどまっています。

今日に至るまで、日本にも社会運動はいくつもありました。1960年代の安保闘争、70年代の公害に対する反対運動、80年代の消費者運動、90年の環境 問題運動、福島第一原発事故後の今日では脱原発運動など。しかし、日本においてそうした運動は、どのくらい評価され、どんな成果を上げ、人々に語り継がれ てきたでしょうか。すべてがそうとは言えませんが、多くの社会運動において、活動家や協力者が偏見にさらされたり、声を上げても聴いてもらえなかったり、 実質的な効果がなかなか上がらなかったりしてきたように思われます。運動をしても社会は変わらないという経験は、声を上げる人々に諦めの念を抱かせてしま います。声を上げる人々が諦念に陥ってしまい、闘いをやめる時、この国はどうなってしまうのだろう、と憂慮せずにはいられません。

●「制度の谷間」からの叫び
それでも今、大変な闘いに挑んでいる人たちがいます。いまだ病気が解明されていなかったり、検査の方法が分かっていなかったり、評価基準ができていないと いう医療側や行政側の都合だけで、身体の不具合を抱えながらも見棄てられるという、「制度の谷間」に陥った人々です。彼ら/彼女らは、自分たちの背後に、 多くの患者(patient、苦しむ人)が、病人や障害者と見なされずに困難に直面していることを思いやり、身体の辛さをおして声をあげ、行動を起こして きています。

これまでMRICで何度か紹介してきた「筋痛性脳髄膜炎/慢性疲労症候群の会」の篠原三恵子さんは、その代表的な人物です。また、福島県在住で、3月の東 日本大震災によって自宅が居住不可能になり東京に避難してこられた佐藤香織さんもそのひとりです。佐藤さんは、8年前から多発性嚢胞腎と多発性肝嚢胞を 患っていて、一昨年には肝臓切除術を受けて60針も縫いました。また、デスモイド腫瘍のため開腹術も行い、他にも気管支喘息、難治性腹水、慢性疼痛、座 位・立位・歩行困難、不安障害などを抱えていて、数メートルの自力歩行も困難な状態です。

しかし、病名がリストに載っていないので障害者手帳は対象外となってしまい、行政からは何の社会的サービスも受けられていません。福島でも、居住している千代田区でも、行政の福祉担当者には支援的な態度で対応されるどころか、サービスはないと門前払いをされているのです。

そればかりではなく、行政の窓口では、理不尽な嫌がらせや、ハラスメントにあたるような言葉による攻撃を受けたともいいます。「区民でない」、「千代田区 では認定されるのは『病状安定者』のみ。あなたはこの2週間、病状不安定で、入院の人は認められない」。このような言葉に、佐藤さんはどれほど傷ついたこ とでしょう。どこへ行っても手帳がないために、一般健常者扱いで、役所や病院から追い出され、住む場所の確保も困難で、幾度も死の恐怖にあったともいいま す。千代田区では、これを見かねた近所の教会信者や主婦などが、相談に乗ってくれたり、世話をしてくださったりしているそうです。

ホテルでの避難が半年以上と長期にわたり、立ち退かなくてはならなくなった時、佐藤さんは都営アパート(新宿区)が避難民への住居を提供しているというこ とを知り、応募して引越しできるようになりました。ただ、その引っ越しの支援も行政はしようとしませんでした。数メートル歩くのも困難な人が、ひとりで 引っ越しをできるわけがありません。何とかならないものかと、東京大学医科学研究所教授の上昌広氏に相談したところ、研究室で学生ボランティアを募集して 下さいました。東京大学医学部2年の塚崎氏と宮脇氏が志願して下さり、引っ越しは無事に行われました。

●闘わなくてもすむために
なぜこのように、身体的にも、精神的にも、経済的にも最も大変な困難を抱えている人たちが、自ら闘わなくてはならないのでしょうか。それは、黙っていたま までは、社会の中で生きてゆくことができないからです。今日、病気や障害を持つ患者といわれる人々が、政治や行政や専門職にむけてさまざまな声をあげてき ています。疾患に関する適切な医療を提供するよう、研究を進めるよう、そして適切な社会サービスを受けられるよう、働きかけをしています。

こうした患者の思いは、私が知る限り、何かを全面的にしてもらおうという過剰な要求ではなく、社会参加をするために少しのヘルプがほしいという、切ない望 みなのだと思います。移動やコミュニケーションが困難な患者は、社会的に疎外された状況に陥っています。そんな時、車いすがあったら、介助があったら、そ の人は社会の中に出てゆくことができます。これは人が生きる上で決定的に重要なことなのです。

社会参加を促進するサービスは社会の側で用意してしかるべきだと思います。ノーベル経済学賞受賞者で、現在ハーバード大学教授であるアマルティア・セン氏 は、人々がなにかを実際にできる自由(機会)があるかどうかを「ケイパビリティcapability」といいました。そして、こうした「ケイパビリティ」 を妨げる政治的、社会的な障壁を取り除き、人々の自由や選択を広げる、すなわち「ケイパビリティ」を高める事が、人権という観点からもとても重要性なこと を指摘しました。

社会参加を妨げている障壁を取り除き、社会参加ができる状況にすることは、途上国においてだけでなく、どの国においても重要だと、以前セン氏とセミナーで お会いした時、インドなまりの早口の英語できっぱりとおっしゃっていました。(余談ですがアメリカでは、母国語なまりの英語を話す人の方が、流暢に英語を 話す人よりも敬意を払われる傾向にある、と何人ものアメリカ人から聞きました。母国語なまりの英語は、大人になってから英語を学んだという努力の証で、複 数語を話せる証拠だからだそうです。)

現在の様に患者が闘わなくてはならないのでは、負担が大きすぎるように思います。アメリカ大統領が困っている人たちをホワイトハウスのディナーに招待し て、彼ら/彼女らの話をよく聴いたように、日本でも首相官邸の晩餐会に招待するように、とまでは望みません。しかし、日本でも人権を大切だと考えるなら ば、少なくとも為政者や行政の人は、門前払いをするのではなく当事者の話をきちんと聴いてしかるべきだと思います。

<参考資料>
1)障害を持つアメリカ人法(ADA)の歴史

2)医療ガバナンス学会MRIC vol.334、多発性嚢胞腎患者、佐藤香織(現在福島県から東京都へ避難中)、「千代田区『難病患者等ホームヘルパー派遣決定通知書』に対して要望書提出~難病患者に対して必要なホームヘルプサービスの提供について(要望書)」

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
星槎大学客員教授。ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を 経て、02年から05年まで日本学術振興会特別研究員。コロンビア大学公衆衛生校アソシエイトを経て08年9月より現職。主著に『「チーム医療」の理念と 現実』(日本看護協会出版会)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)。現在の関心は日米の患者会のアドボカシー活動。

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