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Vol.517 福島での意味

医療ガバナンス学会 (2012年6月13日 06:00)


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南相馬市立総合病院
神経内科 小鷹 昌明
2012年6月13日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


「MRICの記事を読みましたが、本当のご意見をお聞かせください」ということで、数回程度インタビューを受けた。それらは、医療系ジャーナリストやテレビ局ディレクター、写真家、新聞記者、難病患者支援団体、あるいは個人的な研究目的でやってきた人たちであった。
質問の中心は、決まって「なぜ、大学病院を辞めたのか? 目的は?」ということであった。
一言、「かつての自分を取り戻すため」と言えれば格好いいのかもしれないが、暫定的に「私の中にも、まだまだチャレンジグでエキサイティングな部分が残さ れているのか」、「被災地の人たちとのネットワークとはどういうものなのか」、「医療を中心とする街の復興には何が必要なのか」、延いては、「感動や生き がいをどうすれば味わうことができて、いかにすれば、それを持続させられるのか」、そして、「そのためにはどのように個性を引き出せばよいのか」など、思 いつくまま漠然と回答した。

しかし、そのような返答では十分な理解を得られないらしく、「なぜ、福島県浜通りの、この放射線被爆地帯なのか?」というように、質問は続いた。
確かに私は、大学病院を退職するにあたり、「准教授など、成りたくても成れないのだよ」という説得を何度も受けた。
“成りたくても成れないものにようやく成れる”という満足を得たいのか、”やりたかったらすぐやらせてもらえる”という納得を求めたいのか。結局、私は後 者を選択しただけである。それは、「発動したいことが発動できて、発言したいことが発言できる」という現場で、すなわち、思想に則って生きられる境遇であ る。
無論どこへ行ったとしても、私の言説がすべて正しいわけではけっしてないし、やりたい行動がすべて許されるわけでもない。

赴任して2ヵ月が経とうとする中で、この土地にもだいぶ慣れてきた。桜は散り、新緑の眩しさも一段落したこの時期に、インタビューを受ける度に自問自答してきた”ここに来た理由”について、再度考察を加える。

人間は本来、我が儘で、身勝手で、自分よがりな生き物である。
若い頃の私は、状況を省みずに行動し、周りを振り回し、周りからも翻弄されてきた。「変化や変革を求めていくことが人生だ」という考え方しかできなかったし、常に”正解”にたどりつくよう”意味”を求め、”等価”を条件に人生をやり過ごしてきた。
歳を重ねるごとに、”適応”や”維持”といったものが行動の原則であると感じるようになってからは、”正解”を得ることではなく”成熟”を待つことが、生きるうえでも、医療を行ううえでも大切であると認識するようになった。
“正解”は即断即決を理想とするが、”成熟”は時間が大切である。神経難病のような患者を診たり、周囲の仲間との同調を図ったりしていくには、私自身も長 期的な視野のもとで、長いスパンをかけて自分の置かれている立場を理解し、心身の変調に素直に従い、これまで見えていたものが見えなくなり、見えていな かったものが視界に入り、次第に変化する世の中の相貌を解釈する大切さを自覚するようになった。
そういう”定常状態”というか、”低目安定”を生きるための術を考えるようになり、その一環として、成るべくして成っていく”システムとしての機能”の重要性にも気付かされてきた。
そして、私は、この南相馬市を訪れた。

就任して間もなく、私はこの病院で一人目の患者を看取った。高齢者の広範囲な脳梗塞で、来院したときには既に昏睡状態であった。「せめて一命を取り留めなければ」と、施した救急処置によって小康状態を保つことができた。
縁もゆかりもない、右も左も分からない、知り合いなど誰もいないこの土地の患者に対して、それはもう、ただ医師の責務として、条件反射的に行った医療行為であった。
残念ながら、患者は3日後に亡くなった。

この患者は超高齢であり、過去にいくつもの疾病を抱えてきたし、正直を言えば、いつお迎えが来てもおかしくない方だった。
もちろん医師として、特別な事情がなければ人命救助は当たり前であり、延命処置にも積極的である。それは、どのような患者、どのような現場、どのような状 況においても同様である。だから、「この人ひとりを助けることに、どんな意味があるのだろう」などと考える余地は、当然ない。いくら私とて、そのような想 いは、感覚として身に付いている。
そういうことを考えると、世の中というものも「偶然その場に遭遇し、意外にも手を差し伸べることになり、行きがかり上そうなった」という行為の集まりで成 り立って欲しいと願う。「たまたまそこに出くわしてしまったが故に、巻き込まれて、なんだか知らないけどいろいろやってしまった」という、言ってみれば、 そういう合理的でないものに人は動かされるし、意味付けは後からなされるものである。

“意味”とは、ある価値に則った合理性のことだが、意味があることの方が正しくて、そうした価値観でしか物事が動かない世の中よりも、偶然居合わせてしまった状況で、意味を度外視して行動できる世の中の方が、ずっと暮らしやすいような気がする。
医療行為で言うならば、私と偶然出会わなかった違う誰かの診療は、違う誰かの手によって、本能的でもよいから円滑に行われて欲しい。「異なる地域の誰かの 相手は、その地域の誰かがやってくれるだろう」と思えば、さほど気にせず、それほどプレッシャーにも感じず、それぞれの地域で、それぞれの医療者が余裕を 持って働いていける。
私がこの地に来て、最初に感じた理想としての医療は、「当たり前のことが当たり前になされる体制」についてであった。

医師の私が言うのも気が引けるが、人助けや人命救助なんてものに、さしたる意味など考えない方がいいのかもしれない。意味を超えた行為だから、人はどんな現場でも、それを実行することができるし、理由など考えずに仕事に没頭できるのである。
そもそも人道的支援などというものは、ものすごく衝動的で、我欲的で、こう言っては何だが自己満足的な行為である。合理的どころか、理性的でも、分別的でもほとんどない。
私がここに来たことも、そういうことなのかもしれない。冒頭の部分で、何とか動機を考えてはみたものの明確な説明ができなかった理由は、結局そういうことのようである。
「何かをしよう」というよりは、無意味、不合理、非論理的、直観的な部分に、単に突き動かされて来た。きっとそれだけだったのかもしれない。

救急車で運ばれて来た女性患者は、頭部外傷だった。仕事中に誤って側溝に落ち、コンクリートに額をぶつけた。擦過傷は骨まで達していた。結果的に5針を縫 う処置となったために、縫合中に何度か痛みを訴えた。しかし、その声は終始明るく、痛みに耐えるというよりは、何かと闘っている形相で、むしろ痛いことを 噛みしめているようだった。
しかし、そうした態度も、現状を聞かせてもらうにつれて涙声に変わった。
聞くところによると、親と息子とを津波で失い、全ての家財を無くした患者自身も、仮設暮らしであった。額の傷と心の傷と、どちらもキズには違いないが、「明るくなければ生きられない」、「笑っていなければがんばれない」と、言葉を絞り出していた。
この患者にとって、本当に痛いのは額の傷ではなかった。そんなものよりは何倍も何倍も辛い、厳しい今の生活実態があった。

意識消失発作の精密検査を目的として入院した女性患者は、やはり仮設入所者であった。車の運転中に突然意識を失い、そのまま自損事故を生じさせた。器質的な疾患は検出されず、問診して判ったことは、鎮痛薬依存ということであった。
絶え間なく自覚する頭痛に対して、市販の鎮痛薬を多量に服用していた。覚醒作用を有する沈痛成分は、初期には不眠を導く。そうした現象を打ち消すために睡眠導入薬も、同時に多用していた。
狭い仮設の部屋内では、いわゆる”嫁姑問題”が絶えなかった。密着した生活環境では、たとえ家族であったとしても、些細なことで人を苛立たせる。「電気を消せ」、「風呂の水を使いすぎるな」、「静かに歩け」などの口論が日常茶飯事であった。
失われた家の権利を巡って家族は対立し、「誰も信用できない」と打ち明けた。だからと言って、どこかで身体を休めることもできず、家計を支えるためには、肉体労働を重ねるしかなかった。
退院のときまで、面会者はいなかった。

どんな世界でも生きていくのは大変である。それは、被災地に限ったことではないかもしれない。しかし、想像を絶するほどの圧倒的な現実が、住民を覆っていた。この険しい日常がこの地を囲っていた。
確かに震災など起こらなくとも、非日常はいかようにも日常の中に潜り込んでくる。小さなトラブルは常に起こっているし、大きなアクシデントだって、いつ発生するとも限らない。雷雨や突風、竜巻や台風、事件や事故など、明日、何があるか分からないのが、今の世の中である。
しかし、偶発的にどんな災害が発生しようと、大きな事故が起ころうと、悲惨な事件が生じようと、当たり前だが、そのようなものに意味などない。余地や予見など、できようにもない。
だから、私は、その瞬間までこの日常を続けるしかないであろうし、多くの人もそうであろう。それが”生きる”ということなのではないか。
結果的にそこが自分に与えられた環境となり、ここで生きるしかないと覚悟したときに、人は初めて口惜しさとか、妬ましさとか、自分の邪悪さとか、罪深さとか、攻撃性とか、生きていくことを考える。

偶然にも昨日は何事もなく、今日を、この瞬間を迎えることができた。だからといって、それがずっと続く保証もない。次には、新しい別の何かが非日常となって発生する。
しかし、この些細な日常が剥ぎ取られて非日常を経験したとしても、絶望を感じたとしても、私たち庶民にできることは、次の日常が回復するまで、ひたすら昨日と同じ暮らしを続けるしかないのではないか。

ここには、耐えている人たちが大勢いる。生きる意味を必死に探している人たちがいる。
だから意味を追求しようとして取り組んでいる人たちや、強い使命感や合理性で行動している人たちを、もちろん否定するつもりはない。メディアや外部の人はそれを求めたがるし、その方がすっきりしていて分かりやすいのも事実である。
インタビュアーたちは、私の”人道的使命感”だとか、”職業的責任感”だとか、”良心的義侠心”だとかいう回答を期待していたようだが、実際のところは、単なる興味や関心だけで、めぐり逢い、立ち入り、成るべくして成るように、たまたまたどり着いてしまった。
そして私は、今、この現場にどういうわけか居合わせている。何の脈絡もなく、なんの因果もなくここにいる。ここで必要なのは合理性でも、論理性でも、ましてや理屈や道理でもなかった。ひたすら、丁寧に患者と対峙するだけの現実的日常だけであった。
もしかすると、それが私にとっての、ここでの”意味”なのかもしれない。

結局、私は何をしに来たのか。何がしたいのか。
福祉や介護だとか、ネットワークだとか、生きがいや感動などと言っているが、もちろん、そうしたものを充実させたいし、実践していく心づもりはある。しかし、だからと言って、それらを極めたり、達せられたりできるとは思っていない。
“システムとしての機能”のためには、長い長い年月をかけた成熟が必要である。出会いや思いつきや触発を繰り返していく中で、少しずつ周囲との協働が構築され、本質というか、意義というか、そういうものが自ずと見えてくるのではないだろうか。
たとえ本質にたどり着けなくとも、その過程を何かに応用して、何か役に立つものとして実行できればそれでいいと思う。今の私の考察から考えると、できることは、結局そういうことなのかもしれない。

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