医療ガバナンス学会 (2012年6月28日 06:00)
●山武長生夷隅医療圏
塩田記念病院(旧福島孝徳記念病院)、塩田病院はそれぞれ、千葉県長生郡長柄町、千葉県勝浦市に位置し、山武長生夷隅医療圏に属する。この医療圏は、千葉 県の九十九里浜に沿って不自然に細長く伸びている。二次医療圏データベース(2012年6月1日版)によれば、人口467,762人、10万人当たりの勤 務医師数は43人(全国平均123人)と極端に少ない。2000年代半ば、県立東金病院、国保成東病院、公立長生病院などが医師不足のために、連鎖的に診 療を縮小せざるを得なくなり、医療崩壊の最前線として有名になった。
細長いのには理由がある。この医療圏は、平成20年度の千葉県保健医療計画で初めて設定された。救命救急センターを持つ東千葉メディカルセンター(300 床規模)の建設に予算をつぎ込みやすくするために、山武地区がそれまでの印旛山武医療圏から切り離されて、長生夷隅医療圏に組み込まれた。
●亀田総合病院
亀田総合病院は安房医療圏に属するが、圏外からの患者が増加し続けている。平成23年度の入院全体に占める安房医療圏の患者は45%にすぎない。北東に隣接する山武長生夷隅医療圏のみならず、北隣りの君津医療圏からの患者も増えつつある。加えて、団塊の世代が高齢化するのに伴い、首都圏で医療・介護需要が急激に増加しつつある。亀田総合病院への首都圏からの患者も年々増加している。
平成23年度、亀田総合病院救命救急センターは、28,329人の患者を診療した。このうち、安房医療圏の患者は、15,112人53.3%だった。次いで、山武長生夷隅医療圏からの患者が、7,557人26.7%を占めた。内訳は、夷隅広域圏(いすみ市、勝浦市、大多喜町、御宿町)6392人、茂原市を 含む長生が1077人、山武は88人であり、夷隅の亀田総合病院への依存度は高い。
救急患者が増加する冬期には、毎年病床不足が発生し、しばしば二次救急を止めざるを得なくなっている(「救急の危機到来の恐れ、亀田総合病院固有の問題にあらず」http://www.m3.com/iryoIshin/article/131831/)。首都圏の医療介護需要は今後増加し続ける。現状維 持ではこれに応じきれない。医療介護サービスの供給を増やす努力を継続しなければならない。
●安房地域医療センター
鴨川市の西隣りは館山市である。館山市にあった安房医師会病院は、2000年に、24時間365日の救急医療を目的に移転新築された。労働条件の悪化のため、医師、看護師の退職が相次ぎ、大幅赤字になった。
2008年4月1日、安房医師会病院は、千葉県と、館山市を含む3市1町から、押しつけられる形で、亀田総合病院と関係の深い社会福祉法人太陽会に、負債 込で経営移譲された。移譲後、安房地域医療センターと名称を変えた。亀田総合病院を経営する医療法人鉄蕉会だと贈与税がかかるため、移譲できなかった。よ り公益性の強い、社会福祉法人が引き受けることになった。
無理をしても引き受けた理由は、南房総の救急医療を守るためである。具体的には、館山市から亀田総合病院に搬送される救急患者を減らして、亀田総合病院の 負荷を減らしたかったからである。実際、安房地域医療センターがなければ、直近の2回の冬は乗り切れなかった可能性が高い。安房地域医療センターは、増え 続ける救急患者に対応できるようにするために、救急棟を新設し、2012年5月オープンした。
●塩田病院
夷隅郡市広域市町村圏事務組合によると、夷隅地区で救急医療を実施しているのはいすみ医療センター、塩田病院、小高外科内科、吉田外科内科の4施設だけである。平成23年度それぞれ1,059、3,348、63、429人の救急患者を診療している。
いすみ医療センターは医師不足のため、救急では、かかりつけ患者への対応が中心となっている。小高外科内科、吉田外科内科は外来だけの対応で、入院が必要 な患者は受け入れていない。この地区の救急医療への塩田病院の寄与は極めて大きい。塩田記念病院(旧福島孝徳記念病院)が閉鎖されるような事態になれば、 塩田病院そのものが危うくなる。塩田病院の機能が低下すると、亀田総合病院への負荷が一気に増え、需要に応じきれなくなる可能性がある。一旦崩壊すると、 立て直しは極めて困難になるので、早めに対応しなければならない。
●若手医師のニューフロンティア
2012年5月半ば、医療法人SHIODAから鉄蕉会に支援要請があった。千葉県、夷隅保健所も対応の協議に加わった。夷隅郡市広域市町村圏事務組合は、救急受け入れ状況の情報を提供してくれた。
亀田総合病院では、若手医師に、塩田記念病院(旧福島孝徳記念病院)を存続させないと安房医療圏、山武長生夷隅医療圏、君津医療圏の救急医療が連鎖崩壊す る可能性があることを訴えて、出向希望者を募った。2週間の間に何度か集まりを持った。若手医師から、当面の具体的な存続策が提案された。動き始めて2週 間で、8年目から5年目の医師4名が手を挙げた。7月1日からローテーションを組んで出向の予定である。
日本の医師のキャリア形成にとって、従来は、臨床医であっても、生物学的手法を用いた研究が重視されてきた。遺伝子関連の研究の成果は、抗生物質がもたらしたような大幅な生命予後の改善をもたらさなかった。外科手術についても進歩の余地が大きいとは思えない。
高齢化が猛スピードで進む中、社会的問題への挑戦が、医師にとっての最大のフロンティアになってきた。高齢化、大災害などに伴い発生する医療サービス供給不足への対応は、生物学的研究よりはるかに大きな意味を持つ。
私には、ニューフロンティアに挑戦している尊敬すべき若い友人がいる。福島県で住民に寄り添いつつ内部被ばくの調査を行っている坪倉正治医師、南相馬市の 仮設住宅で高齢者の医療を行っている原澤慶太郎医師である。福島県の浜通りでは、他にも福島県立医大の若手医師を含めて、被災地で新たに働き始めた医師が 何人も存在する。
今回、亀田総合病院の若手医師が示した心意気は、危機的状況にある千葉県の医療に対する新しい解決策のきっかけになる可能性を秘めている。最大限の賛辞を送りたい。