医療ガバナンス学会 (2012年12月17日 06:00)
医療者たちのラジオ番組『医療の放送室』がスタートしました
南相馬市立総合病院神経内科
小鷹 昌明
2012年12月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
私は、この街に来ている医療支援者たちの”胸のうち”を広く南相馬市民に知っていただくために、このような企画を提案した。何回かの交渉の末、エフエム局 のマネージャーからGOサインが出て、11月より放送がスタートした(あいにく、電波が弱く南相馬市内でしか傍受できないので、広く皆様にお聴かせできな いのが残念であるが)。
栄えある第1回目の出演者は、7年間をこの市立病院で過ごし、震災直後、医師が4人になっても避難することなく働き続けた、外科医(現在、在宅診療科医)の根本剛先生である。
想いを伝えることにより、やりたいことが実行に移せ、目標を成就させるための一助になればいいと考えている。だから、南相馬市への願いや希望などを、かけ値なしに、気兼ねなくお聞かせいただければありがたい。
私が、なぜこのような試みを企てたのか。
これまで何度も述べてきたことだが、震災から、もうすぐ2年が経とうとするこの時期、「人々の考えがひじょうに多様化、悪く言えばコンフリクトしてきてい る」ということである。さまざまな形で分断され、平等性の揺らいでいるこの地域で交わされる会話は、「補償の額や住居の有無、仕事のあるなし、避難したか しないか」である。
一枚岩になれない人々のこの状況に対して、私たち外部支援者は何をしたらいいのか? したいことが、本当に住民に受け入れられるのか? どう取り組めば、役立つ支援になるのか?
そういうことを広く市民に問い、そして、可能ならば一緒に考え、両面で築いていきたいのである。
根底から崩れるような大きな事故に遭遇して、”自分にとっての優先順位”が、皮を剥がされるように表面化した。自分にとって一番大切なのは、家族なのか、親なのか、仕事なのか、仲間なのか、それよりも何よりも自分が大切なのか?
人間として、もっとも明かされたくない部分の”踏絵”を踏まされた。それは、本当に辛いことだった。取り繕うにしても、誠実になるにしても、この、むき出 しにされた内面をどのように修復していくのか。そういうことが、この街の人の、これからの人生における最重要課題となってしまった。
「政治的に正しい手法」なんてものも、「模範的な対応」なんてものもないのだから、さまざまな形で傷を負ったそれぞれの人が、おのおのやり方で、その爪痕を癒やしている。
ある人はボランティアに精力を傾け、ある人は引きこもり、ある人はうつ病を発症し、ある人は酒をあおり、ある人は黙ってジッと耐え、ある人は考えないよう にし、ある人は補償を頼りに生きている。皆、必死に生き方を考え、思考を巡らせ、迷い、悩んでいる。働いている人も何とか自分を支えているし、呆然とテレ ビを見ている人だって、その経験に馴染むために必要な時間を割いている。
さらに述べるなら、この震災は、人間の”自動操舵”のような部分を欠落させてしまった。大袈裟に言えば軌道を失わせた。
「朝は自然に何時に起きる」とか、「夕方はいつも散歩をする」というようなところから、「鍵はここに置く」とか、「風呂は何時に入る」というようなところまで、普段、何とはなしに無意識にやっていたことを、いちいち点検しなくてはならなくなった。
「今度いつ地震がくるのか」、「放射線は大丈夫なのか」、「いつになったら元の場所に住めるのか」、そんなことをいつも考えながら、普段なら当たり前にやっていたことでも、それを一旦解体し、点検しなければ前に進めなくなった。
繰り返しになるが、「原子力発電所の爆発」という、どう思考を凝らしたとしても応用の効かない事態を前に、過去の体験の追随をいくら志向しても、新しい考えは生まれてこない。
建設的な意見が出ないのは、建設的だからであり、復興が遅いのは、復興の成功を望みすぎているからである。
「勝手な意見」と言われるかもしれないが、それでも私は、ひとつの都、ひとつの街が活性化するためには、やはり”異邦人”の力は大きいと思っている。初め てその土地へ来た人の方が、却ってその土地の本当の良さを発見したり、文化を再構築したりする例がたくさんあるからである。
私たちの今の気持ちは、「だからどうする」である。私たちのやろうとしていることは、提言だけではない。「こんなことやったらいいのではないか」とか、 「こういうことをお薦めする」という次元ではなく、「明日、これをやる」とか、「来週、どうする」という世界で生きている。
この街の心情を一言で表すなら、「それぞれが、ものすごく多くのバリエーションを考えているが、本当にこれでいいのだろうかと躊躇している」ということである。
だから、考えと行動とを同時に進めることである。そして、その想いが的を射ているのか、ちぐはぐな行動ではないのか、そういうことを確認しながら作業を進めていくことが重要である。
そういう意味で、私は「地元の人はそんなことは考えていない」とか、「外部からの意見は不謹慎だ」とか言うような人がいたとしても、深くそういう理由を尋 ね、結果として、そこで仮に一歩か二歩後退することがあったとしても、その方が結局は復興の近道であると自覚するようになった。
「想いを言語化することが、いかにこの街では大切か」ということに気付き、私は、自分の言説の正当性を確かめたくなった。
話しを戻すが、そこで”ラジオ”である。
ラジオというのは、ややこしい仕掛けのない極めてシンプルな情報媒体である。映像はなく音声だけのメディアであるが故に、言葉がすべてである。誤魔化しようのない、修飾のしようのない、語りだけの世界である。
だからきっと話し手も、言葉の選び方、会話の紡ぎ方、理論の進め方などが自然と丁寧になる。相手の矛盾点を衝くのではなく共通点を探す。相手の言説を遮る のではなく、じっくり耳を傾けて、対話を重ねていくことができる。パーソナリティーやゲストの送り出す言葉が、親しみ深く解りやすく有機的に噛み合い、話 すことの基本的なコンセプトに大きなズレがなければ、お互いを少しずつ前向きにさせる。
そういう中で、本当の議論をしていきたい。
きっと私たちのできることは、ちょっと勇気付けてあげることだけなのかもしれない。その「ちょっと希望を与える」という言葉が、4万8千人に届けば、それはそれで素晴らしいことである。
この地では、自分の行動を支えてくれる”芯”というか、”骨格”というか、”武器”のようなものが必要である。そのことに気付いた時点で、私には”言葉”と”文字”しかなかった。
ただ、私にとって「言葉や文字を綴る」ということの基本は、どこまでも個人レベルであった。独りで、誰の力も借りず、自らの内的な世界を掘り下げていく作業であった。
言葉や文字の力というか、価値は、「残すこと」と「動かすこと」であろう。いま、ここでのこの事実を次の世代に残すことであり、でき得るならば、人の心を動かすことである。
ラジオを通じて、独りの作業から2人、3人、そして大勢の作業へと拡大させたい。
確かに、「この街に突如現れた人間が、何を語って何を実行できるのか」という根本的な、そして懐疑的な質問があるかもしれない。
それはよく解る。私たちも試行錯誤であり、だから、説得力のある新しい事実を見つけなければならない。それには、この街の現状を伝えることである。長い長 い紆余曲折が続き、途中には解体があり、再構築があるであろう。それは骨の折れる、そして時間のかかる作業かもしれない。
「震災が発生して良かったこと」などと言うと、また「不謹慎な奴だ」と言われかねないが、それでも敢えて、個人的な一言が許されるならば、私はやはり、「私をこの地に導いてくれてありがとう」と答えるだろう。
人間が生きるための、もっとも大切なヒントを与えてくれた。いったいどういう文明を作っていかなければならないのかを気付かせてくれた。”福島”を伝えることが重要だし、そうしなければ、きっと世の中は、またどこかで軌道を失う。
そんな話題を、ラジオの中から伝えていきたい。いろいろな医療関係者をゲストに迎えて、医療職から発信する情報によって、この街の活性化を目指したい。
次のようなナレーションが流れてきたら、しばし耳を傾けていただき、一緒にこの街の現実と将来とを考えていってもらいたい。
『「医療の放送室!」 このコーナーは、南相馬市にやってきた研修医や学生、足を運んでいる医療関係者の皆さんを、インタビュー形式で紹介していくコー ナーです。病気に関わる人はこの街をどう見ているのか? 南相馬で学べることは? 医療から願う街の復興とはなにか? ・・・また、そのために必要な「健 康で快適に暮らすための工夫」など、南相馬市と市民に向けて、医療の専門家たちがお話しする10分間です。』