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Vol.85 被災地の脳神経外科の1年間 Slow and steady wins the race!

医療ガバナンス学会 (2013年4月5日 06:00)


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福島県立医大災害医療支援講座准教授
南相馬市立総合病院 脳神経外科
松山 純子
2013年4月5日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


私は、2012年4月1日から2013年3月31日までの1年間の任務で福島県立医科大学災害医療支援講座に着任し、福島医大から主に給与をいただき、被 災地病院派遣ということで、南相馬市立総合病院にて脳神経外科の仕事(支援)を行ってきました。1年間は、あっという間に過ぎ、4月からの新たな南東北病 院着任の日が近ついてきて、簡単でもどこかに自分が感じた足跡を残しておこうと思いました。南相馬着任直前、初めて福島から病院の車で川俣、飯舘村を通 り、南相馬へ来たときのghost town状態の飯舘村、草ぼうぼうの元田んぼであった場に野生の猿が居た光景を初めて見たときの、「来たんだ」という感覚も昨日のようです。

南相馬市立総合病院脳神経外科は、科長として副院長を兼任されている及川先生が5年ほど前から居られ、震災直後までは、もう1人ずつ比較的若手の先生が常 勤で働いておられ、震災前と直後のときは、名古屋から太田先生がおられて大変な体験と貢献をされたようですが、この件は太田先生が体験談を出版されていま す。その後、いったん南相馬市立病院はしばらく入院患者は他県などに転院されたり自力で避難退院できる人は退院され、外来のみであり、入院再開後も、 2012年3月(震災後の1年間)までは脳外科常勤は及川先生おひとりで、火、金の福島医大脳外科の先生と多くの東京方面の私立医大から、たくさんの脳外 科の先生方がボランテイア支援にて支えられていたと聞いています。2012年4月から、私と常勤は2人態勢となりました。

この相双地区で南相馬市立総合病院の周囲100㎞(およそ)圏内は他に脳外科の手術をしている病院がないため、手術対象のくも膜下出血や脳内出血、外傷、 慢性硬膜下血腫など以外にTPA投与対象の脳梗塞も宮城県南方などから、わざわざ南相馬に救急車で来ます(確かにTPA投与を行うからには、そこで出血合 併症が起きた時に開頭血腫除去ができる病院という条件があるためですが)。この状態で、夜間、休日、高齢の(??)及川先生と私で交代でほぼ1か月に15 日ずつくらい呼び出し当番を行ってきたのは結構きついものがありました。実は、私は及川先生より2年くらい年上で、脳神経外科入局年度は私は昭和59年、 及川先生は昭和62年です。

手術はこの1年で120例強と記憶しています。血管障害はかなり多く、脳梗塞は毎日のように来て、私も脳血管撮影は、かなりさせていただきました。ただ、 多発外傷はこの地域の大きな問題で、交通事故や転落など、骨盤骨折で塞栓術を要したり、開胸が必要であったり、腹腔内や後腹膜腔出血で来院時からショック をきたしている例など、このなかでも軽傷でゆっくり進行した例は南相馬で何とかなっていても、それ以外は、検査や放射線技師も人員不足で当直ではなく、宅 直性のため、夜間や霧でドクターヘリ(福島医大行)が飛ばない時刻では、まず、助かりません。(この問題は震災前からのようで、もともと医療過疎地域のよ うです。)
患者の退院先は仮設住宅も多く、近くの老健施設も津波で流されており、いったん入院された患者さまのベッドコントロールも大変です。

こんな中、私も時に留守番に来て下さる大学の先生や月1回の土、日のボランテイアの先生方のおかげで、時々学会発表にも行かせていただきました。やはりこ の地区の外に、たまには、学会などにかこつけて(?)出ないと、鬱になってしまいますからね。逆に、今年度は(昨年の9月など)、私が1週間ほど留守番を して及川先生に、親孝行の中国旅行をしていただきました。なるべく科長の及川先生が帰るまで待機できるものは待機しましたが、1人脳外科の留守番中に手術 を待てない患者も時に当然来られたので、福島医大脳外科医局から1人駆けつけていただいて、私と2人で手術した症例も2件ほどでしたが、ありました。この 南相馬での脳外科は私にとって昔懐かしいやり方もありました。私は1984年から10年くらいは大分大学の関連病院で、東北大学から来られた脳外科の先生 がたにも指導いただきましたが、この当時を彷彿させるやり方が残っていました。

さて、福島県入りする際も、災害医療支援講座の方からも、目的として、被災地に医師を派遣して被災地医療を充実させ、それによって、避難中の住民を呼び戻 すことも1つの目的と聞きました。ここで、私は”slow and steady wins the race”と言いたいのです。私は、正直一部のこの南相馬での上層の方が、少々この地域医療を完結できることを住民にアピールし住民を呼び戻すことをあせ るあまり、実際にはこの地域内では現段階ではベストの治療が不可能な時にも、この地域で医療を完結したい、とあせっているのでは、と感じることがありま す。当然、疾患や患者の希望にも左右され(場合によっては経済状況も影響)してこの地でできる範囲内でと希望される場合も多々あるようで、それで致し方な いケースもあります。しかし「地域の特殊性」と称して、いわゆる標準治療である集学的治療(放射線(含ガンマナイフ)・化学療法・分子標的加療など)は行 わず、悪性腫瘍に手術のみ繰り返し、死に至るというのは、特に若い患者さまに対して行っていることは、CR(寛解)もあり得るのにと胸が痛みました。患者 様との相談次第ですが、高度医療を希望されれば、ひとまず、現段階では可能な土地の施設に紹介し、将来はこの土地で完結できるよう、人員、インフラをとと のえて、一歩一歩あせらずにいくしかないと思いました。このことで腫瘍以上に整備が急務なことは、多発外傷の緊急に対処できる、設備と人員でしょう。

また、南相馬はつい最近まで、小児科医の人員不足(2名ですが、1月に2人目の先生が着任されたばかり)で、小児科の入院は無理と言われていました。今年 1月に4歳の小児のくも膜嚢胞を伴った硬膜下血腫が来た際、私は、一緒に救急車で福島医大へ搬送し、医大で緊急手術になり、今、児は元気で、親からも感謝 いただいていますが、この際も、この地で行わないと評判が落ちると言ってきた方はいました。これも同じことで、将来は南相馬で完結できる人員と設備が先決 ですが、その段階段階に応じた対応をしながら、少しずつ復興はすすんでいくと思います。あせれば、後戻りしてしまいます。
Slow and steady wins the race, 私はゆっくりマイペース過ぎかもしれませんが座右の友の1つです。

数少ない脳腫瘍の中で、悪性リンパ腫や多発骨髄腫など血液系腫瘍を続けてみることになったのは気になりました。特に前者は線量の比較的高かった小高の方 で、何十年もかかるリサーチになりそうですが(リサーチを行うとすれば)、様々な腫瘍発生との関連も勉強していく必要がありそうです。予想としてはネガテ イヴデータとなりそうにも思いますが。

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