医療ガバナンス学会 (2013年5月13日 06:00)
私が、この地に来て自慢できることがひとつある。いや、たいして自慢にはならないので言い改めるが、「この病院においての唯一の医師」と言ってもいいこと は、勤務中、常にワイシャツとネクタイと革靴でいることである。そして、それを毎日ローテーションしている。これは、私が大学病院時代から貫いてきたこと だ。
まあ、ごくたまにではあるが、「先生はお洒落ですね」と言われることがあるのだから、それはそれで悪くないと思っている。
そんなことを言うと、早速、「医療技術とはいっさい関係ない」とか、「格好だけでは意味がない」という声が聞こえてくるのではないか。あるいは、「別に社会人として普通だろう」という意見もあるであろう。
もっとしつこく言うなら、「感染の観点から考えれば、ネクタイというのは病院の服装としては相応しくない」とか、「洗濯された白衣を身にまとっていた方が清潔だし、たとえ汚れたとしてもすぐに着替えられるではないか」ということもあるかもしれない。
確かに私も、私服でラインナップしたワイシャツやネクタイ、革靴のメリットよりは、白衣の上下やスクラブ、クロックスでいる機能的メリットの方が圧倒的に 多いと思う。返り血や分泌物を浴びる可能性のある診療科では、なおさらのことであり、要するに、「患者と間近に接することがないから、そういうことができ るのだ」という意見に対して、正面から反論できるほどの理由はない。
が、しかし、「病院勤務中は、きちんとした私服を着るメリットはほとんどない」という一点においてのみ、ワイシャツとネクタイと革靴でいる意味がある。つまり、正論はあるにせよ、これはこれで、私にとってひとつのスタイルを示すことができるからである。
「哲学」というと大袈裟だが、私におけるこだわりのひとつに、”ひと手間かける”ということがある。いまの時代に、燃費の悪いJEEPに乗り、機械式腕時 計やグッドイヤーウェルト製法の紐革靴やロック式のアタッシュケースや吸引式万年筆を使用していることも(逆に、電子書籍を嫌い、Facebookやスマ ホを伝達ツールとして使用しないことも)、すべてそういうことなのかもしれない。
さらにこういうことを言うと、また地元の人から顰蹙(ひんしゅく)を買うかもしれないが、そういう手間のかかることを惜しまない性格だから、最寄りのイン ターチェンジから1時間30分もかかる飯舘村から矢木沢峠越えの、この地に赴任してきたのかもしれないし、南相馬市を秘境的な場所として(あるいは、ムー ミン谷やマチュピチュ、桃源郷、アルカディア、天空の城だとか言って)、高速道路やトンネルなどは通さずに、「アクセスに”ひと手間”かかる」というこの 境遇を、このまま残したいと願ってしまうのである。
この地を復興させていくために、もちろん除線や雇用や教育や福祉など、加速度的に進めなければならないことはたくさんあるけれど、その一方で、成熟を待つように、じっくり見つめ直さなければならないこともある。
それは、”個人の思考”である。そして、きっとそれは”変わらない自分”と、”変わるべき自分”とに気づくことなのではないか。
冒頭で述べたように、私には多分、長年の歳月によって培われてきた変な”執着”というものがある(服装や通信グッズ[と言うのかな]以外に、冠婚葬祭には なるべく行かないとか、ベストセラー小説は読まないとか、個人的な飲み会には行くが、目的のない大勢の飲み会には行かないとか、スケジュール管理には皮手 帳を使うとか、揚げ物の入った弁当は買わないとか、食べ放題や行列のできる店には入らないとか、ホワイトデーのお返しにはチョコ以外のものを選ぶと か……)。
若いときには気が付かなかったことだけど、40歳を過ぎてくると、人間は自分で自分を立ち上げ、腑分けし、維持していかなければならない。そのためには、 若い頃以上の”こだわり”というか、”思い入れ”というか、”流儀”のようなものが必要になってくる。そういうことで築かれた性質というのは、おそらく変 えられないのだと思う。そして、そういうものが、却って人間の確執や融通のなさや硬直性を生み出すこともあるかもしれないが、でもきっと、それが――勝手 な意見かもしれないけど――「社会で成熟する」ということなのだろう。
私たちの地道な活動が知られてきたためか、今年度に入って、当院には日本中からたくさんの研修医や医(看護)学生が実習や見学に来ている。まさに”研修バブル”のように。
そういう若い連中を相手にしていると、こちらもいろいろと刺激になる。地域医療というものの重要性と同時に、「被災地からはじめられる教育もあるのだな」ということを再認識させられる。
私自身、長年の医療人生のなかで神経内科医として確立してきた手法は、もちろんある。だが、それをどのように患者に施していくかということになると、それ は、その土地固有の風土や人柄に左右される部分が大きい。だから大学病院での教育と、この南相馬市での教育とでは、伝える手法が明らかに異なる。
限られた資源内で完結させなければならない医療を模索し、そのなかで最良の医術を考える必要があるからである。
そのためには古い慣習にとらわれずに、私たち自身が、この地での教育スキルを身に付けるべく変わらなければならない。そうしなければ、適切な技術を伝える ことはできないし、それ以前に正当な診療にも追い付いていけない。正直を言うなら、それは私たちにとって、思ったよりもしんどい作業かもしれない。
もちろん、若者には若い世代なりの無遠慮や非常識があって、ときどきうんざりもさせられる。しかし、若い人たちの傲慢さや無神経さは、それだけが独立して 機能しているので、権力やしがらみには直接結びつかない。「被災地でのこれは、こういうことだよ」と教えれば、それ以上の反発はないし、なによりも根の深 さがまったくない。自分のこれまでの執着にこだわらなければ、そのぶんだけ若い人を相手にしているとほっとした気持ちになれる。
そういう感覚というのは、この被災地にいる私たちとっては、もしかしたら結構大切なことなのかもしれない。
この地で私は、”スタイルを変えない自分”と、”スタイルを変えなければならない自分”とが交錯している。環境に合わせて思考回路や生活様式を変えなけれ ばならないことは、当たり前のこととして理解できる。だから私は、何度も何度も想像する。被災地の南相馬市にいることを再確認する(いまだに、朝起きる と、「ここはどこだっけ」というような感覚に襲われることがある)。
さまざまな仕組みと成り行きとタイミングとが、私をこの場所に運んできた。ある種の既成事実としてこの地に向かわせた。「不思議だな」と首をひねりつつ、「いや、別にそんなに不思議なことではない」と頷きつつ、変われる自分を変えようと思って日々暮らしている。
そんなにあっさり言い切れることではないかもしれないが、人生とはおそらくそういうものなのかもしれない。これまでの人生は、訳がわからずその場を潜り抜 けてきた。その結果として、いまの自分がある。後になってみれば、「自分があの時、ああ変化したのはそういうことだったのか」と腑に落ちるのだが、その時 点では何が何だかわからないでいる。でも、よくわからないからこそ、人生にはきっと意味がある。
どこでどうなるか先が見えないからこそ、人は必死になり、そこで自分を立ち上げ、対応し、維持していこうとする。被災地に来たことも、きっとそういうことなのかもしれない。
服装に話を戻す。
医師などという専門職は、自己裁量の幅が大きい。裏返してみれば、他人に管理されない職業である。その分、自分の仕事は自分で切り盛りしていかなければな らず、自分の行動は自分で決定する。そして、その結果の責任は自分が負うという、いわば”自由の重荷”を背負っているわけである。
だからこそ、それぞれが自身に合ったこだわりを持つことは、悪いことではないだろう。服装や持ち物など、自分なりに凝ってみると案外楽しいものだ。ただこ れは個人個人思うところはあるであろうし、「診療が第一でそんなものに金を懸けるのはナンセンス」と考える人もいるだろう。それはそれでいい。私の言いた いのは、「何でもいいからセルフ・イメージを上げていく工夫が大事だ」ということであり、「変えない自分も大切だが、変わるべき自分を追求する姿勢も持ち 続けるべきだ」ということである。
それは、この被災地においては特に大切なことのような気がする。
ただ、お金の話をするのもなんだが、私の場合、ワイシャツやパンツ、その他のクリーニング代は、月額にして7,000円くらいである。これはタバコ1日1 箱、ビール1日1缶より圧倒的に安いし、飲み代2回分くらいに相当する。私はそのどちらもやらないし、食費も相当安上がりにできている。
要は、何に金を懸けるかということは極めて個人的な問題であり、私は食費や嗜好品よりも、クリーニング代(と書籍代)に多くを懸けるというだけである。
私は、この地に赴任してしばらくはネクタイを着用して出勤していた。それは、大学病院時代から続けていたスタイルだったし、「最初くらいは真面目な格好を していた方がいいだろう」という打算的な考えもあった。そして、1ヵ月ほどしてから、「もう、さすがにいいのではないか」と、ノーネクタイで出勤した。
そうしたところが、看護師をはじめ多くの職員に、「あれ、今日の先生どうしちゃったのですか。いつもきちんとネクタイを締めているのに」と、残念がられ た。「神経内科なのだし、被災地病院といっても先生くらいの人は、きちんとしたお洒落な格好をしていた方が、疲れていない街をアピールできて絶対素敵です よ」と。
被災地でも都会と遜色のない格好をする。正直を言うと、そのことだけで私はワイシャツとネクタイと革靴でいるのかもしれない。