医療ガバナンス学会 (2013年6月8日 06:00)
●星槎とブータンの長いおつきあい
ボストンから日本に活動の拠点を移して約1年になりますが、この間、一番多く訪れた国はブータンでした。昨年5月を皮切りに、今年の3月までに合計3回行 きました。ブータンはそれまでの私にとっては全く縁のなかった国ですが、星槎の一員であるおかげでこのように頻繁に赴くようになりました。
今ではブータンは日本でもよく知られるようになりましたが、星槎グループ会長の宮澤保夫氏が20年以上前に初めてブータンを訪れたとき、ブータンは秘境中 の秘境でした。宮澤氏はそこでたくさんの友達を作り、ブータンとの長い交流が始まりました。初めは宮澤氏の個人的なものでしたが、やがて組織的、継続的な 協力関係を持つものに発展し、1995年には、横浜ブータン王国友好協会が設立されました。また、宮澤氏は先代国王のお姉さまで、現国王の叔母様に当たる アシケサン王女ご一家とも懇意で、アシケサン王女が設立に寄与し、2006年に開校したロイヤル・ティンプー・カレッジ(RTC)と星槎大学は姉妹校にな りました。その際に、両校で交換留学の約束が交わされました。この約束に基づいて、まずは2012年2月に、ブータンから10名の学生が日本に訪れ、日本 の伝統文化や最新技術に触れ、星槎の大学生や高校生、教職員と交流しました。
●ブータン視察旅行
私が星槎大学の専任教員になったのは2012年4月からだったので、実はこの第1回のブータンからの学生さんたちとは直接は会っていません。そして同年5 月のゴールデンウィークに子どもたちを水族館に連れて行っている時に、「ブータンに行かない?」と宮澤氏から突然電話があり、ブータンに視察に行くことに なったのです。
初めて訪れたブータンは、なんとなく懐かしい昔の日本という印象でした。同行した星槎の井上理事長は「建設ラッシュでこの数年ずいぶん変わってきている」 とおっしゃっていましたが、それでも首都ティンプーさえも山間の小さな町という風情でした。新しい建物もブータンの伝統的な建築様式を踏襲していました し、町の至る所に寺院や僧院があり、昔ながらの仏教に根付いた生活が営まれている感じがしました。
このブータン訪問の目的のひとつは、ブータンの高校生に、毎年2名ずつ2年間、日本にサッカー留学の機会を提供する基金-アシケサン宮澤留学基金―に関す る話し合いでしたので、ブータンの教育大臣にもお会いしました。ディナーにも招待していただき、その時に、留学生候補の2名の高校生、ペマ君とキンザン君 に会いました。
●第1回共生フィールドトリップinブータン
そして2012年9月、私を含めた引率教員3名で星槎の学生6名を連れ、ブータンにむけた第1回目の共生フィールドトリップが実施されました。このフィー ルドトリップの一番の目的は、参加者にブータンという国を通して、星槎の標榜する「共生」を学んでもらうということでした。
訪れたロイヤル・ティンプー・カレッジ(RTC)、小学校、高校、教育省、そしていくつもの寺院などでは、国民総幸福量(GNH:Gross National Happiness)が人々の行動規範としてどのように実現されているかという話を伺いました。そして、GNHのことを聞くと、子どもも大人も誰でもその 人なりのGNHについての考えを持っているということに驚きました。印象深かった言葉を以下に記します。「人を幸せにすることが自分の幸せ」、「今を満足 して過ごせるのが幸せ」、「ブータンは、今現在、国民すべてが幸せだということではなく、国民すべてが幸せになれるために努力している国である」。
このようなお話を聞くことも大変有意義だったのですが、なによりもよかったのは、RTCを始め訪れたどの場所でも、現地の方々から熱烈な歓迎を受けたことでした。参加者はこれによっても、「幸せの国(The land of Happiness)」を実感できたようです。
フィールドトリップは全行程が11日間に渡り、自由行動の時間もほとんど取れないような状態でした。また、通信の大学であるがゆえ参加者はほとんどが初対 面で、年齢差も大きく、ライフスタイルや価値観もかなり異なっていました。その結果、見知らぬ者同志が共同生活を営む難しさを浮き彫りにしたと思われる状 況もありました。しかし、このような状況も、気遣いや話し合いを重ねた結果、みんなが一つのチームとなって行きました。こうして難しい状況も乗り越えるこ とができ、いろいろな面で意義深いフィールドトリップになりました。
●第2回共生フィールドトリップinブータン
2013年3月末には、第2回のトリップが開催され、7名の学生と2名の引率者がブータンを訪れました。ここでもまた、ブータンの人々との素晴らしい交流がありました。
前回とはまた別のブータンの姿を見せてくださろうと、RTCの担当者はスケジュールをよく練ってくださり、タンゴ僧院での一日修行体験、「タイガーネスト」と呼ばれる崖の上にそびえ立つタクツァン僧院へのハイキングを楽しむことができました。
タンゴ僧院に滞在中は、ちょうど教育大臣もお見えになっていました。大臣は、私と前年に会ったことを覚えていてくださり、学生たちに、ブータンの教育や文化、日本とブータンの交流について、お話してくださいました。
タクツァン僧院のハイキングは、全員が目的地までたどり着けるかどうか、直前まで、いいえ、ハイキングをしている間でさえ分かりませんでした。ほぼ半数の 参加者が健康や体力に関する問題を抱えていました。そこで、事前にハイキングが可能かどうか、本人たちと話し合ったり、担当者との入念な打ち合わせをした りしました。その結果、登山の時は、行けるところまで馬に乗ってゆき、そこから先の馬が入れない寺院への道のりは、その場所で本人が判断するということに なりました。
結論から言うと、参加者全員がタクツァン僧院までたどり着き、無事に下山しました。これは、健康問題を抱えていたご本人の弁によるとかなり奇跡に近いことでした。この奇跡が起きたのは、互いの励ましや自身の頑張り、そしてブータンという場の力があったからでしょう。
●未来世代への希望―「共生」研究の可能性
星槎大学とRTCとの間では、互いにGNHや共生科学を学び合う土壌がだんだん整ってきたように思えます。2013年2月の星槎大学10周年記念プレシン ポジウムでは、ブータンから短期留学中の10名の学生が、ブータンの政治、文化、GNHについてのプレゼンテーションをしてくれました。また、同シンポジ ウムでは、共生とGNHを探求する星槎のブータン学の紹介をする機会もありました。
星槎の理念は「1.人を排除しない、2.人を理解する、3.仲間を作る」というものです。このシンプルな3つの理念を含む共生という思想と実践は、私に とってもとても魅力的なもので、2回のブータンへのフィールドトリップを通して実感したことです。さらに、この理念は、私が従来してきた研究を、さらに敷 衍してゆくものになるだろうという予感がしています。
従来の研究とは、例えば、異なる職種の医療専門職がどのように共同できるかという「チーム医療」や、人生の途中で脳卒中によって障害を持つようになった人 が、いかに自らの<生>を他者との相互行為の中で作り直しているかという「病いの経験」、といったものです。価値観や背景の違うメンバーが共同体として活 動を続けていくことができるか、身体が全く異なる状態になった時に、どのように価値観を変えつつ、いかにこれまでの人生との統合を図ってゆくか、というこ とを、「共生」という切り口から読み替えるのは有意義だと思います。
フィールドトリップの参加者からは、「素晴らしい自然に囲まれた環境、人そして動物。目に入るものすべてが強烈なメッセージとして感じることが出来た気が します」、「盛り沢山な内容に、毎日が本当に早く過ぎると思えるほどの充実感で過ごすことが出来ました」という感想を頂いております。
ブータンへのフィールドトリップは2013年9月中旬にも実施されますので、ご関心をもたれた方は、どうぞ星槎大学までお問い合わせください。
星槎大学のホームページ:http://www.seisa.ac.jp/
紹介:ボストンから日本に活動の拠点を移してしばらく経ちました。この間、新しい出会いや発見がますます増え、訪れた土地もブータン、アルゼンチン、ス ウェーデン、イギリスなど、どんどん広がってきました。関心の範囲も、医療や福祉の他に、教育や発達障がいの世界が加わりました。この度の連載でも、様々 なフィールド(=現場)において、気づいたことや驚いたことなどを綴っていきたいと思います。
略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
星槎大学副学長。星槎大学大学院教育研究科教授。星槎大学共生科学部教授。博士(社会学)。専門社会調査士。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大 学大学院修士・博士課程を経て、日本学術振興会特別研究員。2005年9月から2008年8月までコロンビア大学公衆衛生校アソシエイト、2008年9月から2012年7月までハーバード公衆衛生大学院フェロー。2011年10月から星槎大学客員教授、2012年4月より星槎大学教授、2012年12月よ り星槎大学学長補佐。2013年4月より現職。専門は社会学、医療社会学、公衆衛生学、生命倫理学。主著書に、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会 学』(青海社)、『パブリックヘルス 市民が変える医療社会』(明石書店)、『チーム医療とは何か』(日本看護協会出版会)。共著に『生命倫理学』(中央 法規)、『はじめて出会う生命倫理』(有斐閣)。現在の関心は医療ガバナンス、日米の患者会のアドボカシー活動、人文社会系研究者の研究倫理。