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Vol.150 中華人民共和国憲法と自由民主党日本国憲法改正草案 ~Series「改憲」(第4回)

医療ガバナンス学会 (2013年6月19日 18:00)


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小松 秀樹
2013年5月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


本稿では、近代立憲主義の視点から中華人民共和国憲法(中国憲法)を概観し、自由民主党日本国憲法改正草案(自民党改正草案)と比較する。その上で、自民党改正草案が世界にどのように理解されるのか考えたい。

●価値の多様性
中国憲法は、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想などを国を指導する思想として掲げ、中国を人民民主主義独裁の国家であると規定している。文学・芸術事業や報道は、国家の下に置かれ、社会主義に奉仕するものとされる。計画出産(一人っ子政策)も憲法に記載されている。
日本国憲法を含む近代憲法は、中国憲法と異なり価値の多様性を基本原理とする。価値の多様性が認められるようになったのは、ヨーロッパの歴史による。すな わち、宗教対立による戦争があまりに悲惨かつ不毛だったので、考え方の違いを互いに認めようということになったからである。
中国憲法で価値の多様性が認められないのも、歴史的理由が背景にある。中国憲法前文には「1840年以来、封建的な中国は、しだいに半植民地・半封建の国 家に変わった」とある。この短い文の中に、膨大な争い、多数の死が含まれている。様々な議論があるものの、日本が中国を侵略したのは間違いない事実であ る。辛亥革命に始まる革命、日中戦争、内戦を経て、1949年、現在の中華人民共和国が成立した。この後もウイグル侵攻、チベット侵攻が続いた。1958 年から1960年の大躍進政策では、2000万人から5000万人が餓死したと言われている(ウィキペディア)。大躍進政策で失脚した毛沢東が仕掛けた文 化大革命は、1966年以後10年間、中国を大混乱に陥れた。同時期、内モンゴル人民革命党事件で多くのモンゴル人が粛清された。鄧小平の改革開放政策以 後、経済が急成長したが、未だ国情は安定しているとは言い難い。広大な国土に、多様な民族が居住している。漢民族内部では、膨大な農民が農村戸籍によって 差別され、経済発展から取り残されている。漢民族の居住地の外は、チベット族、モンゴル族などチベット仏教の信者にぐるりと取り囲まれている。その西に は、回教徒が居住している。多くの深刻な対立をなんとか抑えつけて国が維持されている。価値の多様性を認めると、内乱が生じて膨大な生命が奪われかねな い。
自民党憲法改正草案では、国民に対する国旗・国歌の尊重義務が盛り込まれたり、後で述べるように集団主義が強まったりするなど、価値の多様性が大きく後退した。この意味で、自民党改正草案は、現行の日本国憲法に較べて中国憲法に近い。

中国憲法(『世界の憲法集 第4版』有信堂)の文言
前文
「1949年、毛沢東主席を領袖とする中国共産党の指導のもとに、中国の各民族人民は—–中華人民共和国を樹立した。」「中国における新民主主義革 命の勝利と社会主義事業の成果は—–マルクス・レーニン主義と毛沢東思想に導かれて——獲得したものである。」「中国の各民族人民は引き続 き中国共産党の指導のもとに、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、『三つの代表』の重要思想に導かれて—–わが国を富強、民主、文明 をそなえた社会主義国家に築き上げていくであろう。」
第1条1
「中華人民共和国は—–人民民主主義独裁の社会主義国家である。」
第6条1
「中華人民共和国の社会主義経済制度の基礎は—–全人民所有制および勤労大衆による集団所有制である。」
第22条1
「国家は、人民に奉仕し社会主義に奉仕する文学・芸術事業、報道・ラジオ・テレビ事業、出版・発行事業、図書館・博物館・文化館およびその他の文化事業を振興して、大衆的文化活動を繰り広げる。」
第24条2
「国家は—–人民の間で愛国主義、集団主義と国際主義、共産主義の教育をすすめ、弁証法的唯物論と史的唯物論の教育を行い、資本主義的、封建主義的およびその他の腐敗した思想に反対する。」
第25条
「国家は、計画出産を推進して、人口の増加を経済および社会の発展計画に適応させる。」

●憲法遵守義務について
近代憲法の原則、立憲主義は、権力を制限して自由を実現しようとするものである。最初の近代憲法であるアメリカ合衆国憲法の条項の多くは、国家機関の権限 の範囲についての記述である。上下院議員、州議会議員、すべての公務員は、宣誓または確約により、憲法を擁護する義務を負うが、国民に擁護義務はない。
アメリカ合衆国第3代大統領トマス・ジェファーソンは、「わが連邦憲法は—–われわれの信頼の限界を確定したものにすぎない。権力に関する場合は —–憲法の鎖によって、非行を行わぬように拘束する必要がある」(清宮四郎『法律学全集3 憲法1 第3版』有斐閣)として、憲法が国家を縛るため に作られたものであると明言している。日本国憲法も、99条で、憲法擁護義務を国民ではなく、公務員に負わせ、憲法が国家を縛るものであることを明確にし ている。
一方、中国憲法は公務員のみならず、「各民族人民」「公民」にも憲法擁護義務を課している。自民党改正草案は、中国憲法と同じく、国民にも憲法擁護義務を課している。

中国憲法の文言
前文
「この憲法は—–国家の根本法であり、最高の法的効力をもつ。」「全国の各民族人民、すべての国家機関と武装力、各政党と各社会団体、各企業・事業体は、いずれも憲法の活動を根本準則とし、かつ憲法の尊厳を守り、憲法の実施を保障する責務を負わなければならない。」
第53条
「中華人民共和国公民は、憲法および法律を遵守し、国家の機密を守り、公共の財産を大切にし、労働の規律を遵守し、公共の秩序を守り、社会の公徳を尊重しなければならない。」

●基本的人権
中国憲法は、第2章「公民の基本的権利および義務」で基本的人権について規定しているものの、様々な限界があり、基本的人権が保障されているとは言い難い。
そもそも、中国の基本的人権には、「内心の自由」「職業選択の自由」「移転の自由」が欠落している。天安門事件では、一瞬であったが、共産党指導者内部で、自由について考え方に差異があることが露呈した。しかし、現在の中国指導者は、内心の自由を許すと百家争鳴で収拾がつかなくなり、職業選択の自由、移転の自由を認めると、膨大な数の農民が都市に押し寄せ、収拾がつかなくなると判断している。
ヨーロッパ諸国でも、憲法で自由が保障されているからといって、何でも許されるわけではない。F.A. ハイエクは自由主義について、「万人の自由が実現できるのは、イマヌエル・カントの有名な文言にあるように、各人の自由がすべての他人の同等の自由と両立 できる限度以上に大きくならない場合だけである。自由主義的な自由概念は、したがって必然的に、万人の同一の自由を保障するように各人の自由を制限する、 法の下の自由という概念であった」(『市場・知識・自由』ミネルヴァ書房)と解説している。
中国憲法では、「国家、社会、集団の利益」が基本的人権を制限できる理由として挙げられている。ちなみに、朝鮮民主主義人民共和国憲法には、「公民の権利 と義務は、『ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために』という集団主義の原則に基づく」「公民は、組織と集団を重んじ、社会と人民のために献身的 に働く気風を高く発揮しなければならない」(http://naenara.com.kp/ja/great/constitution.php?6)と 記載されており、個人より集団の利益が優先されている。
日本国憲法は、ヨーロッパと同じ立場をとる。人権の制限条件として「公共の福祉」が挙げられている。高橋和之は『立憲主義と日本国憲法』(東大出版会) で、「日本国憲法が個人の尊厳を基本原理とする以上、公共の福祉を全体主義的な思想を基礎にした『全体の利益』という意味に解することが許されないことは 言うまでもない。」「公共の福祉とは、人権衝突を調整するための原理」であり、調整のために比較検討すべきは、「個人を超えた『全体』の利益であってはな らず、あくまで個々人に着目した利益でなければならない」とハイエクと同様の見解を述べている。
自民党改正草案では「公共の福祉」に代えて、「公益及び公の秩序」を用いており、集団主義に大きく振られている。公益や公の秩序を政府が認定するとすれ ば、政府の恣意で、人権が制限できる。多様な価値が認められにくくなる。この意味では、自民党改正草案は、中国や北朝鮮の憲法に近い。

中国憲法の文言
第33条3
「国家は人権を尊重、保護する。」
第51条
「中華人民共和国公民は、自由および権利を行使するに当たって、国家、社会、集団の利益ならびにその他公民の合法的な自由および権利を損ねてはならない。」

●憲法改正手続き
世界の多くの国と同様中国でも、憲法改正手続きは通常の法律に比べて重い。実際には、中国の政治体制だと、この手続きの重さが、権力を縛るものにならない。それでも改正手続きを重くしたのは、中国も、歴史的に形成された近代憲法のたてまえを無視できないためであろう。
アメリカ合衆国最高裁判所の最も有名な判決(バーネット事件)は、権利章典(アメリカ合衆国憲法の人権規定部分)の真の目的について、一定の問題を多数派 や公務員が手出しできないところに置くこと、これを裁判所で適用される法原理として確立することであり、基本的人権は、選挙の結果で決められるものではな いとしている。アメリカ合衆国で憲法を改正するには、上下両院の3分の2以上の賛成で発議し、全州の4分の3以上の議会あるいは憲法議会での承認が必要と される。
時の権力者が、憲法の特定の条項を改正したいために、その条項についての議論なしに、憲法改正のための条項を変更しようというのは、憲法の歴史が積み上げてきた合意と相容れない。

中国憲法の文言
第64条1
「憲法の改正は、全国人民代表大会常務委員会または5分の1以上の全国人民代表大会代表がこれを提議し、かつ、全国人民代表大会が全代表の3分の2以上の多数でこれを可決する。」

●地方自治
中国憲法では、地方自治は中央の支配の下に置かれている。
大日本帝国憲法下では現在の中国と同様に、県、市町村は、内務省の指揮下におかれていた。地域住民の利害に関わる問題だったとしても、地域住民より中央政府の利害が優先される構造だった。
日本国憲法は、中央政府の施策が、地方住民の尊厳・自由と相容れない事態を想定しており、92条で「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治 の本旨に基いて、法律でこれを定める」と規定した。地方自治の本旨とは、「法律をもってしても侵害できない地方自治の核心部を指す」(ウィキペディア)と され、住民自治、団体自治という二つの概念を含む。住民自治とは、住民が自らの権限と責任で地域行政を行うことを意味する。団体自治とは、地方公共団体が 国の干渉に屈することなく独自の判断で、地域住民を守るために、地域の実情に沿った行政を行うことを意味する。
自民党改正草案では、「国及び地方自治体は、法律の定める役割分担を踏まえ、協力しなければならない」と規定している。これでは、地方は中央政府の言いなりにならざるを得ない。

中国憲法の文言
110条2
地方各級人民政府は、一級上の国家行政機関に対して責任を負い、かつ、その活動を報告する。全国の地方各級人民政府は、いずれも国務院の統一的指導のもとにある国家行政機関であり、すべて国務院に服従する。

●自由民主党日本国憲法改正草案は世界に理解されるか
憲法は論理的には主権国家内部で完結したものである。しかし、世界には多くの主権国家があり、主権国家間で利害は一致しない。国家の行動がある程度予見できなければ、国家間の緊張が高まり、紛争が頻発する。憲法は、国家の行動の予見可能性を担保する最大のツールである。
中国憲法は、近代立憲主義と異なる原理で組み立てられている。価値の多様性は認められず、基本的人権は限定的であり、地方自治はないに等しい。ただし、世界が理解できない中国固有の伝統的価値を唱道しているわけではない。
中国憲法のありようは、革命と戦争を通して国を統一し、様々な民族や農民を武力で抑圧することによってなんとか維持していることによる。中国は憲法のため に特殊な国家と見られ、不利益を被っている。指導者たちは、それでも過去200年の歴史と国情から現行憲法が必要だと判断している。重要なことは、こうし た中国の考え方が、賛同されなくても、理解可能だということである。果てしない殺し合いより、抑圧がまだましだとする考えがあるからである。
日本で憲法9条の改廃が議論されていることについては、一部の国から利害に基づいた反発はあるにしても、戦争放棄は世界に類を見ない条項であり、国際的に 理解されないわけではない。解釈で乗り切っているとはいえ、すでに日本に存在する自衛隊と矛盾する可能性がある。核開発をめぐる北朝鮮の動きや尖閣諸島を めぐる中国の動きも、9条改正の理解を高める方向に働いている。9条について本稿では詳しく触れないが、信念を声高に怒鳴り合うのではなく、現在の状況を 前提に、時間をかけて利害を冷静に詳細に検討すべきだと思う。
自民党改正草案は、現行憲法に比較すると、立憲主義の観点からは、中国憲法に近い。現在の日本で、立憲主義に逆行するような改正を行う合理的理由は考えら れない。ましてや、世界で理解が得られるとは思えない。憲法は、歴史的に形成され、世界共通の言葉で議論される道具である。この中核に理解されにくい神秘 的価値を置けば、日本の国益を損ねる可能性がある。

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