医療ガバナンス学会 (2013年7月12日 06:00)
すでに欧米をはじめ諸外国では、同性愛を公言する政治家が数多く活躍している。その中には、アイスランドのヨハンナ首相やパリのドラノエ市長、ベルリンの ヴォーヴェライト市長など、国家元首や首都の市長も含まれる。これらの国々では同性愛者など性的マイノリティをめぐる問題は重要な人権問題だと位置付けら れており、OECD加盟34カ国のうち、7割にあたる24カ国で同性同士の結婚ないしそれに準ずる権利が認められている(注1)。
こうした状況と比較すると、日本にはいまだに同性愛に対する偏見・差別が根強く残っているのが現状だ。電通総研が2012年2月、約7万人を対象に行った インターネット調査によると、自分がLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)のいずれかであると答えた人は回答者の5.2% にのぼる(注2)。だが大半の当事者は、差別・偏見にあうリスクを考え、周囲の誰にもカミングアウトできず、一人悩みを抱え込んでしまっている。宝塚大学 の日高庸晴准教授らによる調査によれば、同性愛・両性愛の男性は異性愛の男性と比べ、自殺を図ったことがある率が約6倍も高かったという(注3)。こうし た自殺リスクの高さの背景にも、性的マイノリティの抱える孤立感や生きづらさがあると考えられるだろう。
日本社会において、いまだ性的マイノリティは「テレビの中の存在」であり、ともすれば「笑い・からかいの対象」とされてしまっている現実がある。私は中 学・高校で教鞭をとる者だが、学校においても同性愛に対するからかいや差別的な発言が行われるのは日常茶飯事だ。「あいつらホモちゃうん。きもちわるー」 「男のくせにナヨナヨしやがって、お前はオカマか」。生徒が、時には教員さえもが、こうした発言を軽々しく口にする現実がある。もし民族差別や障がい者差 別について、教員がこのような言動をとっていたら、たいへんな問題になるのではないだろうか。だが日本において性的マイノリティをめぐる人権意識は乏し く、本来であれば差別問題の解決に真っ先に取り組まねばならない教員自身、正確な知識を持たず、当事者の抱える悩みを十分理解できていない。そこには「同 性愛者は自分の身近にはいない、テレビの中の存在だ」という思い込みもあるだろう。実際にはこうした発言を聞き、息苦しさを感じている当事者が、どの教室 にもいるのに。
私は以前より、学校において同性愛に対する差別的な発言が日常的に行われている現状を大きな問題であると考え、教員が責任を持って性的マイノリティに関す る正しい知識を伝えることの必要性を訴えてきた(注4)。私自身、教壇に立ち始めた当初はこうした言動に出会ったとき、どのように対応すべきか迷っていた 時期もあったが、現在ははっきりと「同性愛に対する『からかい』は、他者の生を傷つける、許されない『差別』であること」「同性を好きになることは、異常 でも病気でもなく、全く自然なことだということ」をメッセージとして伝えるよう心掛けている。2011年からは毎年、高校3年生の文系クラスでジェンダー /セクシュアリティの授業を週一回行っており、そこでは同性愛を含む性的マイノリティについても、中心的なテーマとして積極的に取り上げている。この6月 には、性的マイノリティの人権問題に積極的に取り組み、ご自身も同性パートナーと結婚しておられるアメリカのパトリック・リネハン大阪・神戸総領事を本校 にお招きし、高校3年生全員を対象とする講演をして頂く予定だ。
現在の日本では、学校で同性愛をめぐる差別について教えることに、躊躇してしまう教員も少なくない。年齢的に高校で扱うのは早いのではないか、性に関する ことは「個人的なこと」だから学校が介入すべきではないのではないか、といった理由が挙げられることもある。だが、ことは生徒の人権に関わる問題である。 実際に教室で、教員の目の前で、同性愛に対する差別的な発言がくり返し行われているのだ。これを放置してしまうのは、学校が同性愛に対する差別を黙認する ことに他ならない。誰が性的マイノリティ当事者かは教員には分からないが(実際、外見や普段の言動では分からない)、しかし同じ教室には必ず何人か、その 発言を聞いてつらい思いをしている生徒がいる。そのことに思いをはせ、明確なメッセージを打ち出すことが、教員には求められる。
幸いなことに、上記のジェンダー/セクシュアリティの授業に対して生徒たちは強い理解を示してくれており、積極的に授業に参加してくれている。現在の日本 で、同性愛差別が最も身近な差別であること、ジェンダーによる差別とセクシュアリティによる差別が密接に関係していることなどを生徒たちは理解し、活発な 議論を展開して、自ら主体的な学びを行なっている。
海外では同性カップルへの権利保障を認める国が増加していると述べたが、こうした変化が本格化したのは、実はここ20年あまりのことだ。デンマークで世界 初の登録パートナーシップ法が成立したのが1989年。その後1990年代に同様の法律がヨーロッパ各国で次々と成立し、2001年にオランダで世界初の 同性結婚法が施行された。このように同性カップルの権利が広く認められるようになった背景には、同性愛に対する差別・偏見の解消に向けた、各国の教育現場 での積極的な取り組みがあった(注5)。人権や差別の問題について、学校の果たす役割は、まだまだ大きいのだ。これからの日本が、同性愛への差別・偏見に 満ちた現状から脱し、この問題に悩み傷つく人びとがいない社会を築いていくことができるか。それは一人ひとりの教員が、それぞれの教育現場で、同性愛差別 の問題にどう取り組んでいくかにかかっている。
注
1)前川直哉『男の絆――明治の学生からボーイズ・ラブまで』2011年、筑摩書房。
2)『毎日新聞』2013年2月18日朝刊「境界を生きる:同性愛のいま(1)」。
3)同上。
4)前川直哉「学校での同性愛差別と教師の役割」加藤慶・渡辺大輔編『セクシュアルマイノリティをめぐる学校教育と支援 増補版』2012年、開成出版。
5)海外の教育現場における取り組みについては、サンダース宮松敬子『カナダのセクシュアル・マイノリティたち―人権を求めつづけて』2005年、教育史料出版会 などを参照。