医療ガバナンス学会 (2014年2月25日 18:00)
世界中から白眼視され始めた日本の臨床研究
※このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載されたものを転載したものです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39922
ナビタスクリニック/ときわ会常磐病院 内科医師
谷本 哲也
2014年2月25日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●その後の高血圧治療薬バルサルタン事件
筆頭は、本連載でも過去に取り上げたノバルティスファーマ(以下、ノバルティス)の高血圧治療薬「バルサルタン(商品名ディオバン)」事件だ。2013年6月の執筆当時は、国際医学誌に発表された一連の臨床研究結果が捏造されたという疑惑に過ぎなかった。
その後、大学などの調査により、実際にデータ操作があったことが次々と判明した。京都府立医科大学(Oxford Journals)に続き東京慈恵会医科大学(THE LANCET[1]、THE LANCET[2])と滋賀医科大学の論文(毎日新聞)も、医学誌から撤回される事態に至っている。
千葉大学(週刊日本医事新報)や名古屋大学(AHA Journals)の論文についても中間報告まで調査が進んでいるようだ。知人の記者も、「話題にならず闇に葬られてきた過去の論文捏造事件を考えると、 ここまで解明できた成果は大きい」との感想を漏らしているが、真相解明までの道程はまだ半ばに過ぎない。
●ノバルティス社に対する刑事告発
厚生労働省による、高血圧治療薬の臨床研究事案に関する検討委員会による検討も、昨年末まで4回にわたって続けられたが、誰がどのように不正なデータ操作を行ったのか、結局特定には至らなかった。
このため、1月9日には同省がノバルティスを東京地検に刑事告発するという、前代未聞の事態に陥っている(朝日新聞、東洋経済オンライン、郷原信郎が斬る)。
●信頼回復には海外へも対応策の発信を
これらの経過は海外でも大きく報道され関心を集めており、国際的な影響も大きいようだ(Science Magazine、The Wall Street Journal、The Wall Street Journal Japan Realtime)。既に日本からの臨床医学論文が、海外医学誌に受理されにくくなる影響も出始めたと噂されている。
バルサルタンの論文は英国の有名医学誌ランセットをはじめ、数々の国際医学誌に発表されてきた。日本版NIHは海外でも注目はされているが (Science Magazine、nature)、この機会にしっかりとした真相究明と抜本的対策を行い、その結果を国内のみならず海外に向けても広く発信しなければ、 日本の臨床研究の国際的な信頼を取り戻すのは困難になるだろう。
●立て続けに発覚した臨床研究不正
驚いたことに2014年になったばかりで、臨床研究の不正が立て続けに問題化している。
まず、厚労省のノバルティス刑事告発の報道翌日の1月10日に、朝日新聞が朝刊1面で報じたアルツハイマー病研究J-ADNIデータ改竄疑惑事件(朝日新 聞)、続いて、その1週間後1月17日にNHKがスクープした白血病治療薬の臨床試験ノバルティス員関与事件(NHK NEWSWEB)、さらに2月には武田薬品の高血圧治療薬臨床試験での捏造疑惑(選択)や国立がん研究センターの預け金問題(月刊集中、選択)、高知医大 での倫理委員会未承認の先進医療実施(朝日新聞)や、岡山大学の研究不正内部告発(NEWS ポストセブン)など、枚挙に暇がないほど立て続けに報じられている。
アンナ・カレーニナの有名な書き出し、「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある(『アンナ・カレーニナ』望 月哲男訳、光文社古典新訳文庫)」のように、これらの臨床研究の問題はバルサルタン事件とはまたそれぞれ成り立ちが異なっているようだ。全部詳しくは書き 切れないが、解説を少しだけ加えたい。
●アルツハイマー病研究J-ADNI事件と内部告発
アルツハイマー病研究J-ADNI(Alzheimer’s Disease Neuroimaging Initiative)は、経済産業省と厚生労働省からの30億円以上の事業費を用いた大規模プロジェクトだ。2014年秋には登録患者の調査が終了し、 最終解析に移る予定だったとされる。
ところがデータの変更が行われ、2割以上が使えないデータになっていたことが報道された。このデータ変更が、改竄なのか単なる修正なのかは、今後の調査結 果を待たなければならないが、巨額研究費を用いた割にはかなり杜撰なデータ管理が行われていたようだ(ハフィントンポスト)。
役所は拠点整備が好きで、何かと言えば拠点化が行われ政策医療の道具に使われる。しかし、日本の医療界は人材の流動性に乏しく、拠点になりさえすれば、内容が伴っていなくても予算が自動的につくことがしばしばだ。
国立がん研究センターでは、研究費の使い道がなく、現役医長が私的に白物家電を大量購入して解雇されたという事例まで出ている。このJ-ADNI事件も、研究のノウハウが不十分なところに予算だけ注ぎ込まれた結果なのではないだろうかと疑いたくなる。
●白血病治療薬臨床研究へのノバルティス社員関与事件
白血病治療薬の事件では、既にJBpressでも詳細な先行記事があり、詳しくはそちらもご覧頂きたい(「東京大学血液内科とノバルティスの重大な過失」「医療現場でいつの間にか踏み越えてしまう法律の一線」「ノバルティス白血病治療薬臨床研究関与事件」)。
この白血病治療薬「ニロチニブ(商品名タシグナ)」は、ノバルティスの革命的な分子標的薬「イマチニブ(商品名グリベック、2001年日本承認)」の次世代型の薬剤だ。ニロチニブは2009年に日本で承認され、先行薬よりも高い有効性を持つとされている(NEJM)。
しかし、競合薬に2009年に承認されたブリストル・マイヤーズの「ダサチニブ(商品名スプリセル)」があり、また先行薬のイマチニブは特許切れ間近となるなど、医薬品シェア争いが近年激しくなる状況にあった。
製薬企業が関与しない医師主導のものとして、2012年にニロチニブの臨床試験が開始された。ところが、実際は製薬会社が主導した販売促進だった可能性が高いことが判明したのだ(東洋経済オンライン)。
●製薬企業によるゴーストライト
当初の報道では、ノバルティスの医薬情報担当者が患者データを回収していたことが問題視されていた。
ところが製薬企業の関与はそれにとどまらず、臨床研究の根幹に関わる申請書や実施計画書、患者同意書など多くの文書がノバルティス社内で作成された可能性が明らかになった。
さらに、昨年10月に行われた日本血液学会学術集会での成果発表にまで関与していたようだ(東洋経済オンライン、日刊薬業、毎日新聞、NHK)。
悪質性が高いと思われるのが、参加した患者に対する説明文書でも、製薬企業の関与がない公正中立の臨床試験であることをわざわざ装っていた点だ。臨床試験に参加した患者の善意を踏みにじっているのではないか、と思える。
折しも、現代のベートーベンとされた作曲家にゴーストライターがいた事件が大反響となっているが、白血病治療薬の研究者自身も製薬企業のゴーストライトが問題になることは事前に自覚していたようだ。
利益相反の問題については、2010年に血液学会でも既に厳重なルールも決められている(日本血液学会)。
研究者は、「昨今の社会事情もあり、臨床試験の結果を製薬会社が解析することは許容されなくなっている」「ノバルティスの解析で良いと思う点はアイデアを 取り入れたいが、医師側で解析した証拠を残しておくことが必要だ」と学会発表前の打ち合わせのメールに記していたという(NHK NEWSWEB)。
●再発防止策の限界
このような研究不正は目新しい話ではない。過去には、内々で処理され表沙汰にならなかったり、報道されても耳目を集めるほど大きな話題にはならなかったりしていたのだ。
医療界では、研究不正に関して擁護する声も昔からあり、「その程度のことはたいしたことはない。昔から誰でもやっているので目くじらを立てるほどのことではない」という意見もしばしば聞かれる。
実際、若いころ米国で実験データ改変事件を起こし、3年間の研究費取得禁止の措置を受けたものの、日本に帰国後に見事復活を果たし、国立大学教授となっている現役有名教授もいるという(月刊集中)。
研究不正の再発防止策として、臨床研究の実施ルールを厳格化したり、研究倫理の教育を充実させたりする方向性が、厚生労働省や文部科学省から打ち出されて いる(「高血圧症治療薬の臨床研究事案を踏まえた対応及び再発防止策について[中間とりまとめ]」「『研究活動の不正行為への対応のガイドライン』の見直 し・運用改善等に関する協力者会議)。
これらの新たな施策ももちろん重要だろう。医師は資格好きなので、専門医試験や学会参加に研究倫理の教育を組み込むのも有効かもしれない。
しかし、今問題になっているのは、既存のルールにも違反しているのが明らかな故意の不正だ。データを操作したり、利益相反を隠蔽したりするような、故意の不正が後を絶たないことは、臨床研究のルール作りや教育の効果に自ずと限界があることを明白に示している。
●不正告発への対処の改善を
筆者が注目したいのは、不正やその疑惑が見つかった時の対処方法だ。バルサルタン事件では、研究者の間で不正疑惑が公になった後も、なかなか調査が進まず時間がかかった。
その後、毎日新聞や朝日新聞、フライデーなどマスメディアが大きく取り上げて世論が後押しすることで、ようやく第三者機関の調査による事実解明が進んだ。ところが、このような事例はまれだ。
アルツハイマー病事件では、研究者が厚労省の担当者に内部告発をしたところ、そのメールをそのまま主任研究者に転送してしまうというお粗末な対応がいまだ に行われていた(朝日新聞[1]、朝日新聞[2])。同様に、白血病治療薬や岡山大学の事件でも、調査がなかなか進まず問題になっているようだ。
研究者の世界は非常に狭く、個々の研究内容も高度なため、門外漢が不正などの問題を見つけることは難しい。
このため内部告発の役割が無視できない。立場の弱い内部告発者なら、内部で秘密裏に握りつぶされ、かえって返り討ちになって業界から締め出されることにもなりかねない。アルツハイマー病研究の事件では、厚生労働省すら告発先として信用できないことが露呈してしまった。
個人的には匿名での告発は好ましくないと思うのだが、ツイッターやブログ、ユーチューブなどを使った匿名の研究不正の告発が目立つのは、現状を考えれば無理もないのかもしれない。
臨床研究に関する不正問題が最近目立つのは、近年数が増えたというよりも、iPS細胞臨床応用詐称事件やバルサルタン事件を契機に社会の関心が高まり、大きな報道が増えたことに原因があると思う。
あるいは、日本の医療界では研究不正が積年うやむやにされ続けていたため、溜まり続けた問題が一気に噴出し始めたとも考えられる。
研究不正の問題は日本だけでなく、世界共通の課題で、第4版にもなる教科書が出ているほどだ(「Fraud and Misconduct in Biomedical Research」)。つい最近でもネイチャー誌で不正告発をどう扱えばよいのか、問題提起する記事が掲載されたばかりだ(nature)。
この機会に、社会問題化している研究不正やその疑いに対し調査や処分を行う方策を、日本の大学や学会も自律性を持って本気で取り組まなければならないだろう。
●システムエラーの医療過誤と故意の研究不正は根本的に異なる
日本で最も必要なのは、研究不正は起こるという前提のもとに、不正の告発に対し第三者の公正な調査を速やかに行い、不正の内容に応じて適切で公平な処分を行う仕組みではないだろうか。
昨今の状況を見れば、日本版NIHより日本版ORI(研究公正局、The Office of Research Integrity)でも創設する方が、優先順位が高いのではないかと思う。
医薬品の承認審査に関わる治験は、薬事法上の規制にのっとって行われている。現在問題になっている臨床研究不正は、治験のような規制対象とはならない。そのため、臨床研究も治験なみに規制を強化すればよいという議論もなされている。
確かに規制を強化すれば、不正は起こりにくくなるが、金銭的・時間的コストが大幅に上昇するというデメリットもある。また、規制を強化するだけでは、故意犯には十分対応できない。システムエラーで発生する医療過誤とは根本が異なるのだ。
故意の不正は、病に苦しむ患者への裏切り行為でもある。
臨床研究不正の対応には、個別の研究者に加え、大学、病院、学会、医学雑誌編集者、製薬企業、省庁、メディア、ついには検察まで、様々な立場の人間が関係する。
誰が、どの範囲で、どのように対応するのが問題解決に最も適切なのか、個別の事例を詳細に検討し、経験を積み上げて行く必要がある。臨床研究不正の真相究明をうやむやに終わらせないことが、日本の信頼回復には必要だ。