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Vol.54 お年寄りを労わるあなたの常識に潜む大きな危険

医療ガバナンス学会 (2014年3月4日 06:00)


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危ないから、不便だから、寂しいから・・・が高齢者の命を縮めている

※このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載されたものを転載したものです。

http://jbpress.ismedia.jp/

相馬中央病院内科医
越智 小枝
2014年3月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


日本は2007年に高齢化率21%を超える超高齢化社会を迎えました。少子高齢化対策の議論が多々なされるなか、高齢化社会が誰にとってどんな問題になるのか。現場感のある議論はまだまだ足りないように思います。
老老介護、長期療養型病床の不足などが問題視されますが、これは老化を「重荷」としか見ない、一方的な議論であるように思います。高齢化最先端の街、相馬で見る老いと学びとはどのようなものでしょうか。

●高齢化社会は健康寿命を延ばす?
日本の平均寿命について、少し古いものですが、興味深い研究があります。平均余命を地域ごとに比較したところ、65歳以上の女性の余命は、収入が高いほど、また地域の若年層が多いほど、短いというものです(*1)。
また他の研究では、65歳以上の労働人口が多い地域ほど健康寿命が長い、という結果も見られています(*2)。
しいて説明をつけるとすれば、収入の高い女性は仕事と家庭の両立で過労となってしまうのかもしれません。また若年層が多いということは、さらに子育ての負担まで負っているのかもしれません。
現在、女性の労働環境を見直し、より多くの女性に子供を産んでもらおうといった対策がなされていますが、その中で男性の負担が占める部分はまだまだ少ないように感じます。
その現実とこの統計を合わせれば、極論を言えば、お年寄りが健康になるために、子供や若者を増やす必要はあるだろうか、という疑問へすらつながります。
もちろん自治体が栄えるためには重要ですが、そこに住むお年寄りに必ずしも益になるとは限らないのではないか。そんな問題提起までできる結果です。

●老いとの共存
「うちのおばあちゃんは、震災前まで家族のお洗濯を全部やってくれていたんですよ」。今年106歳になられるKさんのご家族は少し得意そうにそう話されました。
相馬で外来をしていて驚くことの1つは、お年寄りが非常にお元気だという事実です。先日入院されたある80代の関節リウマチの患者さんは、ご自分で車を1時間運転して南相馬市立病院まで通っていらっしゃるそうです。
「通院が大変なのでは?」と申し上げたのですが、今まで通われていた先生のところに引き続き通いたいという希望があり、あえて通院を続けていただくことになりました。
高齢の方々は、気温や住居を含め、変化に対する柔軟性が徐々に落ちてきます。このためちょっとした気候の変化で突然寝たきりになってしまったり、亡くなってしまったりする可能性が高くなります。
もちろん体力や筋力も落ちますから、若者と同様に動く、という点においては難しくなってくるでしょう。
しかし通常、このような老いは非常にゆっくりと進行します。環境の変化が少なければ、老いと共存しながらゆっくりと生活される方も少なくありません。
相双地区は元々東北地方の中でも積雪量も少なく夏も比較的過ごしやすい、穏やかな気候の土地です。農業や家業を営む方が多いことも相まって、ひっそりと年 を取られたお年寄りに多く遭遇します。朝8時前から病院の待合室でのんびりとストーブに当たられる、街の方々を見るにつけ、このままゆっくりとした時間を 過ごしていただきたい、と心から思います。

●震災の爪痕
このような老いとの共存を無理やりに奪ってしまったのが、先の震災でした。先ほどのKさんの場合も、津波に家を流され仮設住宅に移った後、Kさんは急に痴呆が進行してしまったそうです。現在は施設に入っていらっしゃいます。
震災が起こらなかったとしても、近い未来にKさんが歩けなくなる日は来ていたと思います。しかし、震災が「その日」までの時間を縮めてしまったことは間違いありません。
震災の後、相双地区の高齢者の生活は劇的に変わりました。何よりも、海や土、日の光といった風土から切り離される生活は、文字通り風土に根づいた方々の根を断ってしまったとも言えます。
そればかりではありません。医療が機能不全に陥った相双地区では、子供だけでなく多くのお年寄りもまた、医療施設を求めて避難を余儀なくされました。たとえ施設に入所しているお年寄りであっても、土地を移るということは子供とは比較にならないほどのストレスとなります。
南相馬市に入っていた研究者のある報告では、被災後の老健施設の調査で避難された方の死亡率は、留まった方に比べて有意に高かったとのことです(*3)。
Kさんのようなお年寄りを少しでも減らすことは、浜通りだけでなく被災地全体における喫緊の課題です。それどころでなく、超・高齢化社会を迎えた日本や、日本の後を追う多くの先進諸国にとっても他人事ならぬ問題ではないでしょうか。

●元に戻すことが重要
このようなお年寄りにとっては、「元の生活に戻ること」が何よりも重要です。しかし実際のところ、「高齢化対策」と言いながらこの元のお年寄りの生活を知らない方は大勢いらっしゃいます。
危ないから農業はやめましょう、不便だから逃げましょう、寂しいからみんなで住みましょう・・・。上から目線の対策が、一部のお年寄りを苦しめています。
「今はまだお年寄りが元気だけども、それももうすぐ限界に来ると思いますよ」と、南相馬市に勤務されるW医師は懸念します。
「この地域に住むお元気なお年寄りは、ほとんど兼業農家の方だったんです。でも今南相馬市では試験操業以外は農業自体が禁止されています。『なんもやることねぇよ・・・』って毎日嘆いているお年寄りはいっぱいいます」
南相馬市にある大町病院では、病院機能の回復後しばらくしてから、患者さんを地元に戻そう、というプロジェクトを立ち上げました。病院スタッフが搬送先の群馬まで毎週のように患者さんを迎えに行く、というプロジェクトでした。
「私たちも急いだのですが、既に40人近くの方が亡くなっていました・・・転送した先の病院からさらに転院した方々は探すのに時間がかかって・・・やっと探して会いに行ったら、『先生、何でもっと早く迎えにくれなかったんだ』って泣かれましたよ」
南相馬市もまた、高齢化が進んでいます。介護も長期療養施設もまだまだ不足しています。そのように先行きもまだ安定しない南相馬市へ医療が必要な高齢者を 返すなんて、と思われる方がいるかもしれません。しかしこのような事例は、地元を知る医療スタッフならではの英断だったと思います。

●高齢化にも現場主義を
被災地問題と同様、高齢化社会も現場を知らないことには議論が進みません。現場感のない議論が、お年寄りに無意味な環境変化とストレスを与えてしまう危険はいくらでもあるからです。
「高齢者、高齢者って言われるけど、老人は病気じゃないのよ!」
これはロンドンでお会いしたあるお元気な婦人の発言です。老いを否定し、蓋をしてしまう今の風潮に対するお怒りのコメントでした。
特に今、メディアでは「年を取っても若者と同じことができる」ことのみをもって高齢者の健康であるかのように思い込ませる風潮が多く見受けられます。
例えば特異稀なる元気なお年寄りを担ぎ出し、礼賛するドキュメンタリーなどがそれに当たります。学ぶのに遅すぎることはない、年齢は可能性を狭めるものではない・・・。
それはその通りです。しかしこのような「若返り」の強制は、老いと二人三脚で静かに過ごされたい中高年をいたずらに扇動しているのではないでしょうか。少 なくとも相馬の風土で静かに老いを迎えてこられた多くのお年寄りには全くそぐわない「老後」であるように見受けられます。
「子供は単なる小さな大人ではない」
とは教育界でよく言われることですが、同じように、お年寄りは単なる「年を取った若者」ではありません。むしろ生活や価値観の深さも、広さも、子供や若者の比ではなくバラエティに富んでいます。
Kさんのように100歳を超えてお洗濯係として家族に囲まれて過ごす方も、山の中で猪を獲って食べることが生き甲斐だった方もいらっしゃいます。何もせず日がな一日日向に座って過ごされるのが好きな方もいます。
痴呆で普通の会話はできないけれども、そこにいるだけでひ孫が老いを学ぶ。そのような形で社会と関わっていらっしゃる人もいるのです。もちろん積極的なアンコールライフを望み、日々書物に埋もれて勉強を続ける方もいらっしゃいます。

●高齢化社会という奇貨
高齢化社会の良いところは、苦労しなくても豊かな老後のいろいろな例に触れることができる、ということです。相双地区の高齢者と触れることで、私自身、都心とは全く違う老いの形を学ばせていただいています。
実は、このような超高齢者世代からより多くを学ぶことができるのは、いま老後に入ったばかりの団塊世代よりも、いわゆるロストジェネレーション世代の方々ではないか、と思っています。
仕事と家族は別物、と切り離して仕事に生きてきた団塊世代のサラリーマンたちは、定年退職とともにコミュニティという見知らぬ世界に突然放り出されてしまいます。彼らにとっては「老い」や「静かな暮らし」は何か得体の知れない、恐怖の世界なのではないかと思います。
一方でインターネット世代でもあるロスジェネは、家族や地域といった伝統的共同体とはまた別の形ではありますが、「見えない他者」との緩やかな連帯を求める傾向が強いため、バーチャルの世界とはいえ、コミュニティというものに対する抵抗感が少ないように思います。
また、スローライフに対するひそかな憧れを持っているのもこのような世代です。残念ながら、高齢者も、ロスジェネも、その中間である団塊世代に遮られる形 でお互いの交流が非常に少なくなってしまっていました。震災支援はこれを撹拌し、高齢化という「枯れ尾花」を払拭し、スローライフへの憧れを現地で検証す るための奇貨なのではないでしょうか。
先日東京大学の学生が相馬へ遊びに来て、相馬のコミュニティ力を学んで帰っていきました。「この力を利用すればもっと新しいことができる!」という気忙し いところはさすが都会の青年、という印象で、「もう少しこっちに長くいて勉強しろ」と先輩方に諭されている様が微笑ましい一件でした。今後彼らがどのよう に成長していくのか。相馬から東京へ、少しずつ種がまかれています。

●支援ではなく
災害支援、という言葉は、時に行動や思考の一方通行性を規定してしまいます。学ぼうと思わず支援に入る方々は、被災地にある膨大な教材に気づかず通り過ぎてしまいます。
人が一生学び続ける生き物なのであれば、同時に何ごとからをも学び続ける生き物でもあるべきでしょう。学びて富み、富みて学ぶ。この言葉の通り、豊かな高齢者を目指し、相双という教科書からも一生学び続けたいものです。

≪参考文献≫
(1)Uchida E, Araki S, Murata K. Socioeconomic factors affecting the longevity of the Japanese population: a study for 1980 and 1985. Journal of Biosocial Science 1992;24:497-504.
(2)Kondo N, Mizutani T, Mitani, J et al. Factors explaining disability-free life expectancy in Japan: the proportion of older workers, self-reported health status, and the number of public health nurses. Journal of Epidemioloty 2005;15:219-227.
(3)http://knowledge.wharton.upenn.edu/article/encore-careers-why-an-aging-population-is-a-resource-not-a-problem/

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