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Vol.024 地域コミットの演習の場としての被災地

医療ガバナンス学会 (2015年2月6日 06:00)


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地域コミットの演習の場としての被災地

南相馬市立総合病院・神経内科
小鷹昌明

2015年02月06日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


阪神・淡路大震災から20年の歳月が流れた。普段ほとんどテレビを見ない私ではあるが、この日ばかりはいくつかのニュース番組にチャンネルを合わせた。慰霊祭や黙とうの風景に加えて、福島からのメッセージも伝えられていた。

20年前といえば、1995年(平成7年)に相当する。この年は“地下鉄サリン事件”も発生し、日本の災害・犯罪史上、重大な年だった。当時私は、臨床研修医を終えて大学院に進学し、自分の将来に胸を踊らせていた。だから、その時期に起こった阪神地方の巨大地震や、東京で起こったカルト的な犯罪に対して、多少の衝撃は受けたものの、目の前の仕事にしか関心はなかったし、日々の暮らしを充実させることの方が大切だった。
震災から今日までに、学会や講演会という名目で3-4回くらいは神戸市を訪れたであろう。特に1回目は、震災も覚め遣らぬ時期だったので、会場に向かうタクシーのなかで、運転手に被災状況を尋ねた記憶がある。それに対する返答は、「幹線道路の周囲は既に復旧されているから、ここからではわからないですよ」という内容だったことを、おぼろげながら覚えている。私には、阪神・淡路大震災の記憶はまったくない。東京へも頻繁に出向くことがあり、目的地への移動に、日比谷線をはじめ便利な地下鉄を積極的に使っていた。

それから私は、昼夜を問わず臨床と研究とに明け暮れ、博士課程を修め、専門医を取得し、英国への留学を経験した。「医療は自分にとって天職だ」と言い募っていた。この期間は、私における医師人生の最盛期だったように思う。自分の分野にしか興味はなかったが、目の前のことにひたすら没頭できる幸せな時間だった。
神戸市民にとってけっして忘れることのできない長い長い20年間だとしたら、私にとっての20年間は、視野の狭窄した「あっ」という間の20年だった。

正直なことを打ち明けるなら、私にとってのかつての災害や事故、犯罪といったものは、取るに足りない小さな出来事だった。しかしどういうわけだか、私はいま被災地の最前線にいて、空虚感の漂うなか、こうして震災関連の言葉を綴っている。
これまでにも散々述べたことなので繰り返すようなことはしないが、東日本大震災が発生する1年くらい前から私の周囲には暗雲が垂れ込めていた。徐々に仕事に行き詰まり現場からは離れていく。それにつれて家族は破綻し、自分の方が取るに足りない人間になっていくようだった。己の人生を考えあぐねる機会が増えていったその矢先に、東日本大震災が発生した。
震災からしばらく経って感じたことは、「私の悩みなど、当地とは比較にならない」ということだった。震災報道を見(聴き)続け、あまり意味のないような節電に心がけ、義援金を送った。そして、思い立ったようにここに来た。
現在この地にいることで、20年前に起こった阪神地方の震災が、当時より、よりリアルに自分のことのように感じられる。20年前の出来事なのに、いまの方が余程切迫した気持ちでいるし、神戸の被災市民に共感を覚える。人間という生き物は、当事者になってみなければ本当の意味での実感は得られないのだろう。目先のことが優先される間は、遠方で起こった事象など所詮他人事なのだ。少なくとも、私はそうだった。

災害や事故や犯罪などは、年数が経てば風化する。これは紛れもない事実である。しかし、たとえ年月が経過したとしても、私のように、その人の環境や情勢の変化によって、急に関心の向く場合もあるということである。どこかに自戒と反省とを秘めた“人生のリセット派”がいるのである。だから、たとえどんなに時間が経とうとも、時代が変わろうとも、現況を伝えていくことが大切であろう。それが、限定的な極めて希少な人のためだとしても。

そういう意味では、大挙して訪れたものの、潮が引くように撤退していった多くの支援者がいる一方で、いまこの時期になってから新たに関心を向けてくれる人たちがいる。最近になって、私たちで継続している南相馬市小高区(20キロ圏内)での「“男の料理”教室に参加したい」という申し出をした集団がいた。東京にチームを置く、社会人の有志者団体である。
震災後だと思うのだが、進んだ地域では「コミュニケーションの場づくり」ということをテーマに、社会人たちが各種“ワークショップ”を開いている。「自分たちにとって看過できない」という意思で共鳴し合う人たちが集まり、プロジェクトチームを立ち上げ、特に地域とコミットしたい集団が増えている。そういう人たちの心境はどういうところにあるかというと、「人との関わり方において、自分の在り方を強く思い直したい」とか、「人と人とにおけるピンポイントでの関わりのなかでも、お互いに縁があってよかったと思えるような感情を持ちたい」とかいうことのようである。
無論、ありがたい。ただ、逆に思うことは、いまの時点で「被災地が大変だから手伝おう」という感情を抱いて来る人は、実は相当に少なくなっているのだろう。支援というよりは、人とのコミュニケーションや社会との関わり方のスキルを磨きに、もっと言うなら、地域コミットの演習の場としてやってくるのではないか。

震災から4年が経過するなかで、ここへきて被災現場の機能が変わってきている。被災地として福島が果たすべきこれからの役割は、「負の遺産」として単に「過ちを繰り返さない」という教訓を記憶するためのアイテムとして語り継いでもらうのではなく、福島を経験した人たちが、やがて自分の属するコミュニティにおいて、何かを還元する「当事者」というか、「パフォーマー」になってもらうことである。
そういう協力も、当地にいる私たちは喜んでお手伝いするだろう。

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