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臨時 vol 43 小松秀樹 「医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・再発防止等の在り方に関する試案 第三次試案」に対する意見(後半) 

医療ガバナンス学会 (2008年4月10日 13:23)


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虎の門病院泌尿器科 小松秀樹


●提案
1 地域ごとの患者理解支援制度
医療を保全するためには軋轢を小さくする必要がある。このためには患者理解支援を目的とした制度を創設すべきである。地域での患者の相談窓口の機能を高めて、専門のメディエーターを配置し、徹底した理解援助を図る。理解援助の過程で、必要に応じて個別の事例ごとに事故調査チームを結成して、科学的な調査を行い、それを患者側に説明する。調査チームは必要があれば複数あってよいし、結論が異なってもよい。中央組織の裁定ではなく、あくまで調査は相対的で個別に限定したものとすべきである。
この過程で和田らの提案する「対話自律型ADR」10は紛争の終結を図るのにある程度有効だろう。ただし、医療従事者と社会の間の医療についての考え方の齟齬がそのままならば、これも、患者側の一方的攻撃、医療側の譲歩の場としかならない可能性もある。「対話自律型ADR」が機能するためにも医療の限界についての認識を広めること、共生のための行動の制御についての共通認識を形成する必要がある。一方、「裁定型ADR」で、従来の医療裁判と同様の裁定を大量コピーするとなると、やはり医療を壊す方向に働くかもしれない。
2 無過失補償制度
患者側の納得を高めるためには事故調査は必要だが、事故調査の過程が患者・家族の納得の閾値を高める可能性が高い。事故調査制度を導入するには、高くなった閾値に対する対応が求められる。
納得の閾値が高くなることへの対応は、最終的には無過失補償しかないと思う。示談金、和解金や賠償金の金額を現在の水準のままにしておいて、公平に救済しようとすると、診療報酬を引き上げざるをえなくなる。現在の国民皆保険制度を維持しつつ、公平な補償を実現するために、無過失補償制度を医療に組み込む必要がある。無過失補償については、個人の責任の追及と完全に切り離すこと、実質的に紛争の終点にすることが必要である。日本の産科領域で検討されている無過失補償はいずれの条件も満たしていない。大量の民事訴訟の起点となる可能性が高い。
無過失補償制度では過失の有無を明確にせずに、定められた基準に従って補償する。補償すべきものかどうかの判断は、事実が認識されていれば、過失の判定なしに、比較的容易に決められるような体系にする。
補償対象を広くして補償額を大きくすると、医療費が上昇する。補償金額の基準の決定や、患者側への支払いは医療側ではなく国民の代表が行う。
補償の対象だが、スウェーデンでは、実質的に日本での民事裁判での賠償の対象と類似の事例が、補償の対象となっている。
補償という考え方ならば、被扶養者を抱える働き手や、生きていくのに多額の費用を要する障害者については、補償額を多くすることも可能である。また、生活に困っていない遺族に多額の賠償を支払うことがなくなる。
無過失補償制度を導入するとすれば、民法709条による賠償との関係が問題となる。この両者が並存すると、賠償金の上乗せを求めて、訴訟がさらに多くなる。先進国で最も低い費用で、アクセスを制限することなく、しかも、質の高い医療を提供してきた現在の日本の国民皆保険制度が崩壊しかねない。井上清成の、民法709条の規定の対象から保険診療を外すとする提案が注目される11。保険診療については、契約を明確にして、医療過誤を含む事故の補償の方法を無過失補償に限定することも一つの方法である。
無過失補償は、恨みを冷静に扱う考え方や習慣がなければ、受け入れられにくい。本邦では、「弱者」の恨みが、検証されることなく、容易に社会的に承認支持されることを考えると、無過失補償制度もやり方によっては医療制度の存続を脅かす。
日本弁護士連合会が2007年3月16日に発表した「『無過失補償制度』の創設と基本的な枠組みに関する意見書」12を注意深く読むと、一貫して規範的な論理で書かれていることが分かる。現実の医療がどのような状況にあるのか、医療にできることできないことを冷静に認識しようとする態度が希薄である。医療従事者がどのような環境で働いているのか、どの程度の能力なのか、想像しようとしない。最大の問題は、無過失補償で紛争を終了させることについての言及がないことである。何らかの制限がなければ、無過失補償が、民法709条の不法行為による民事訴訟を惹起し、医療は大混乱に陥る。日弁連の意見書の言葉の端々から、以下のような前提で議論しているようにうかがえる。
1)大半の医療事故は適切な対策をとれば防止可能である。
2)したがって、医療事故は起きてはならないことであり、医療事故に際して医療提供者が最初にとるべき行動は自らの非を認めることである。
3)保険診療が、公共財として国民に広く医療を提供するためにいかに低廉な費用で運用されていようと、サービス料金を提供者が決められる業種と同様の制度と基準で賠償金を請求できる。
4)危機的状況にある医療制度の保全は、弁護士の活動とは無関係である。
医療事故は過失を伴わないもののみならず、過失を伴うものも、人間が誤りやすいという性質を有する限り、根絶することは不可能である。私は、日弁連と異なる意見を持つ弁護士が多く存在することを知っている。しかし、これは組織としての意見表明である。日弁連がこの認識を持ったまま、具体的な制度論が始まると、議論はステークホルダー間の争いとならざるをえない。規範的予期と認知的予期の争論となると、言語論理体系の性質上、前者が「勝利」することになる。現代日本の非専門家が専門家を攻撃する風潮も、規範的予期を支持する。
私は、患者側弁護士のみならず、病院側の弁護士と議論していても、違和感を覚えることがある。多くの弁護士は、彼らの想定するあるべき医療像を基準に、過去の事例について責任を負わせるか、あるいは、責任を免れるかに関心を持つ。私は現実の不完全な医療を基準に、将来の医療の質向上とその提供の継続に関心を持つ。また、患者側、病院側を問わず、医療現場を実際に観察して、医療の実情を認識しようと努力する弁護士は多くない(裁判官、検察官の一部はこの努力を始めている)。このため彼らの想定するあるべき医療は、しばしば現実にはありえない医療になる。規範的予期と認知的予期の溝は深い。無過失補償制度を導入するには、死生観、日本人の行動様式、現代社会における共生のあり方、医療の実情などについて、国民的な大議論を演出して、齟齬の解消を図る必要がある。相応の共通認識なしに、無過失補償を無理に導入しようとすると、制度が捻じ曲げられて、医療攻撃の追加手段となる。
3 医療裁判判決の医学的レビュー
医師からみると、司法は、医療の一部を取り出し、理念からの演繹で罰を科し、あるいは、賠償を命ずる。この理念が適切かどうか、医療全体からの帰納で検証する方法と習慣を持たない。一部の法律家は全体を検証していると主張するが、検証の量が少なく、習慣がないため方法が発達していない。このため、医療についての厚みのある認識を持てない。メディアの感情論を論理的に評価するための知的準備ができておらず、その影響が不安定に発現する。
司法の、規範(実体法)と対立(手続法)の中に実状を押し込める習慣は、問題解決のための、普遍的というより一つの特殊的態度のように思える。紛争解決手段としての裁判制度は、対立を高める。患者側、医療側の双方を疲弊させるため、両者から低い評価しかうけていない。
裁判官は不祥事を恐れて、外部との接触を避ける傾向がある。社会についての情報源がマスメディアに限られる。そのマスメディアを通して、患者側の感情を規範化した意見が大量にインプットされる。しかも、司法の思考様式は規範との親和性が高い。バランスを取るためには、どうしても、医療について実情認知を高めるような仕組みが必要である。具体的には、司法判断を医療側が組織的に網羅的に分析して医療側の見方を伝える必要がある。司法が医療を知るための材料を提供するのは、医療側の責務である。
4 医療の質保障(自律的処分制度を含む)
医療側も多くの努力を必要としている。最も重要なことは、医療の質保障である。医療の専門性故に、知識の乏しい権力で制御しようとすると医療システムそのものを壊しかねない。踏み込んだ処分は、どうしても、医療側が自律的に実施する必要がある。
厚労省主導の処分には問題がある。先の述べたように、第一に、厚労省の行政官は、政治の支配を受ける。政治はメディアの影響を受ける。日本のメディアの感情論が行政処分に影響を与えるようになると、医療の安定供給は困難になる。第二に、日本やドイツでは政治の命令で医師が国家犯罪に加担した歴史がある。第三に、行政官は現行法に反対できない。第四に処分機関をもつことで厚労省と医師の関係が変化して、行政に支障を来たしかねない。
イギリスのGeneral Medical Councilの活動が一つの参考になる。全ての臨床医が参加を義務付けられており、健康状態のチェックを含めて、医師が診療を行うのに適しているかどうかの審査を責務の一つとしている。自ら規範を定め、これを基準に再教育を主体とした処分を行っている。
このような処分制度も一元的だと大きなリスクを伴う。特に、日本の医学会が一元的にこれを担うとすれば問題がある。徳州会宇和島病院で実施された病腎移植で、6例の腎摘出術の適否が二つの委員会で検討された。移植医側に手続上の問題があったことは間違いない。一方、これを攻撃した学会にも大きな問題があった。学会の専門委員会と病院外の専門家を多数含む病院の依頼による調査委員会で、腎摘出の適否について大きく結論が異なった。学会の専門委員会は腎摘出以外の治療法に大きな危険が伴うものを含めて、6例すべてで腎摘出が不適切だと決め付けていた。これは医療現場の実情と異なる。日本の学会は、大学の医局連合という側面がある。古い体質を持ち、必ずしも学問的ではない。支配のために、強引なことを行う傾向がある。
議論が少しずれる。厚労省が、病腎移植に関連して、市立宇和島病院と徳洲会宇和島病院の保険医療機関の取り消しを行おうとしている。万波医師の病腎移植を問題視した厚労省が、保険診療報酬請求をチェックしたところ、多くの「不正・不当」請求がみられたのだという。阿部知子議員は保険医療機関の取り消しに怒りを露わにする。
「保険医療機関を取り消された病院は、保険診療が出来なくなる。地域住民にとっては受診できる医療機関がなくなることを意味する。第三次救急も担う地域の中核病院である市立病院には毎日千人以上の外来患者さんが受診し、徳洲会病院でも透析や200人以上の入院患者をかかえる。両病院で移植を受けた患者さん達も移植後の管理が不可欠である。すぐ近くにこうした機能を備えた代替病院があるわけでもないのに、患者・住民は一体どうすればよいのか」13。
他の病院と比較して、明らかに悪質であることが客観的に示されない限り、病腎移植に無関係の住民に迷惑のかかる処分に正当性はない。
極端と思われるかもしれないが、この事件から、つい旧ソ連の状況を思い起こしてしまう。旧ソ連では物資不足のため、国民は日常的に、勤務先から物資を持ち出し、融通しあって生きていた。国民全員が何らかの違法行為を犯さざるを得ない状況下で、政治犯を経済犯として処理していた14。このようなやり方が国民と国家をいかに蝕んだかは想像に難くない。病腎移植よりはるかに深刻な問題であることを強調しておきたい。
議論を戻す。自律的処分を行うにしても、暴走に対する歯止めを用意しておく必要がある。チェックを受けない権力は制度を壊し、自ら腐敗する。私は、医療の質保障の努力は、複数の主体が、複数の手段で互いにチェックしあいながら目的を達成していく制度を期待している。今後、制度設計の専門家と多様なバックグラウンドの医師による研究が望まれる。
自律的処分制度がうまく機能すれば、司法側の業務上過失致死傷の考え方に影響を与えられるかもしれない。ただし、これはあくまで医師が自発的に行うものでなければならず、医療の刑事免責を求めるものではない。刑事司法など他の制度とは無関係に実施すべきものである。
●おわりに
医療の問題とその解決方法についての規範的予期と認知的予期の齟齬は、双方の考え方が異なる以上、考え方の変更なしに、一気に解決することは不可能である。認識の変更を確認しつつ、一段ずつステップを重ねていくべきである。
医療の問題は、ステーク・ホールダー間の利害調整や、合理的判断を越えた権力の行使で無理に解決すべきではない。医療は、そのような危うい決定方法に委ねるには、重要すぎる。互いに双方の立場を理解しつつ、多段階で時間をかけて解決していくべきである。

●文献
1 ニクラス・ルーマン:世界社会 Soziologische Aufklarung 2, Opladen, 1975. (村上淳一訳・桐蔭横浜大学法科大学院平成16年度教材)
2 小松秀樹:医療に司法を持ち込むことのリスク. 日経メディカルオンライン, 2007年10月25日. http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/series/kikou/200710/504479.html
3 小松秀樹:日本医師会の大罪 MRIC,臨時Vol 54, 2007年. http://mric.tanaka.md/2007/11/17/_vol_54.html
4 小松秀樹:日本医師会の法リテラシー. MRIC,臨時Vol 61, 2007年. http://mric.tanaka.md./2007/12/11/_vol_61.html
5 小松秀樹:『厚労省第二次試案』に異議あり メディカル朝日2008年3月号, 19-22.
6 木下勝之:刑事訴追からの不安を取り除くための取り組み 日医ニュース1110号, 2007年12月5日. http://www.med.or.jp/nichinews/n191205k.html
7 橋本佳子:医療維新 インタビュー 弁護士(医療と法律研究協会副協会長)・河上和雄氏に聞く2008年4月8日. http://www.m3.com/tools/IryoIshin/080408_2.html
8 井上清成:刑事司法が再び”暴走”する危険はないのか. m3医療維新 オピニオン, 2008年2月14日. http://www.m3.com/tools/IryoIshin/080214_1.html
9 財団法人科学技術戦略推進機構:医療機器開発の促進/活性化に関する調査報告書 健康・医療専門部会 活動報告 第3報 アンケート調査. 2007年11月.
10  和田仁孝: 医療事故死因究明制度とADRの方向性をめぐって. 事故調の機能を考える. 医療安全, 12, 36, 2007.
11 井上清成:国民のための公的医療-その再建策と具体案. 総合臨床, 56, 3208, 2007.
12 日本弁護士連合会:「医療事故無過失補償制度」の創設と基本的な枠組みに関する意見書. 2007年3月16日. http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/070316_2.html3
13  阿部知子:医療を守る、地域を守る. かえるニュース第301号, 2008年3月26日. http://www.abetomoko.jp/mailmagazine/index.html
14 佐藤優:獄中記, 岩波書店, 2006.

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