医療ガバナンス学会 (2015年7月9日 06:00)
【タイ】妊婦体験人数 38人
バンコクは東南アジア版東京といった趣きの街であった。慣れないうちは、少し高い物価と複雑な交通網に翻弄されて、少しも楽しむことができなかった。「ここから早く出タイ」と思っていたのだが、インドとミャンマーのビザを作るために腰を据えて滞在する必要があった。
街を歩くにつれ、いろんなことが分かるようになった。タダで乗れる青バスの見分け方をマスターしたり、まるでディズニーランドのアトラクションのような水上バスへの乗り方が一度分かってしまうと、バンコクの街歩きが一気に楽しくなった。ある時は夜の街に繰り出し、ある時は南の島まで行ってパーティーに参加したりして日々を過ごしていると、妊婦体験の活動をしばらくほったらかしにしてしまっていた。旅には休憩も必要であろう。
滞在も終わりが近づいていた4月中旬の時期は、タイのお正月であるソンクランであった。この時期には、かの有名な水かけ祭りがある。文字通り水をかけてかけて、かけまくるお祭りだ。旅人のたまり場として有名なカオサンロードでは、身動きが取れなくなるほど人が集まって、水鉄砲で冷水をかけたり、粘土を顔に塗りたくったりしていた。真夏であるのにも関わらず、水をかかりすぎて風邪を引きそうになった。
このお祭りが本当に楽しかったのは、タイの人が心の底から楽しそうにしていたからだと思う。嬉々として水をかけてきた悪ガキたちの顔を、今でも時々思い出す。
http://expres.umin.jp/mric/mric_vol.134-1.pdf
【ミャンマー】妊婦体験をしてもらった人数 19人
タイでのんびりし過ぎてしまったため、ミャンマーではあまり時間がなかった。陸路で国境を越えて、モーラミャイン、チャイトー、ヤンゴン、ピィという具合に一週間で急いで移動した。それでもとても充実していた。ミャンマー人がびっくりするくらい優しかったからだと思う。
ある人が言っていたのだが、ミャンマー人は敬虔な仏教徒が多く前世や来世を信じている。そのため、今回の人生で多くの功徳を積めば、来世で良い人生をもらえると信じているとのことだった。仏教の教えに基づく純粋な優しさに囲まれて過ごす日々は、本当に幸せであった。
大好きなミャンマーの中でも、とりわけピィがおすすめだ。ヤンゴンとバガンのちょうど中間にある街で、のんびりと人々が暮らしている。近年、郊外にあるピュー王朝の遺跡群がミャンマー初の世界遺産に登録されたのだが、私が遺跡に訪れた際は、訪問者名簿に自分の名前しかなかった。世界遺産を独り占めだった!
ピィでは、妊婦体験を現地の男性にしてもらっていても、本当にどの人も暖かい反応をしてくれるので、「ここではこんなことしなくても良さそうだなぁ」とずっと思っていた。日本料理屋の店主さん曰く、この地域のお父さんは優しすぎるくらいだとおっしゃっていた。
そして驚くことに、ピィのゲストハウスで撮ってもらった写真が、ミャンマーの新聞の全国版に掲載されていた。事前にそのことを知らされておらず、偶然教えて貰った時は、本当にびっくりした。自らの活動が世界の人に受け入れてもらえているようで、嬉しかった。
http://expres.umin.jp/mric/mric_vol.134-2.pdf
【バングラデシュ】妊婦体験してもらった人数 86人
ダッカの空港に降り立ったとき、蚊の量が多すぎてびっくりした。そして、鉄道駅では薄暗い中で人々がひしめき合っている。いよいよ南アジアに入ったのだと実感した瞬間であった。
ダッカに着いた次の日に、謎の高熱にうなされた。頭が爆発しそうなくらい痛み、つらすぎて泣いていた。よりにもよってバングラデシュで体調を崩してしまうとは。あまりにもつらいので、ダッカの夜間病院に行って診察を受けた。そこのドクターにはかなり悪い態度を取ってしまった。というのも、脈を測っている途中で携帯電話をかけ始めたり、口に入れる水銀温度計をその場で手洗いしているのを見て、「この人は大丈夫なのか!?」と思ったのであった。
結局、診断は食あたりということだった。こんなに壮絶な食あたりが果たしてあるのかと思っていたが、薬を飲んで一晩寝ると、次の日にはびっくりするくらい調子が回復していた。旅人の間でよく言われている、「南アジアの洗礼」だったのかもしれない。この食あたりのおかげか、インドでは特に体調を崩していない。
この国では2人の青年海外協力隊の方にお会いした。バングラデシュの農村部で、くせのあるベンガル人と闘っているお二人の姿はとても眩しく、カッコ良かった。また、それぞれの任地にお邪魔して、僕の活動のことを紹介してもらったところ、学校で200人くらいの生徒さんにお話をする機会を作っていただいた。僕がスピーチをしている時に、力強く頷いてくれる少年がいて、その子が後になって妊婦体験をしてくれた。とても嬉しかった。
ダッカのMCHTI(Mother and Child Health Training Institute)という施設にもお邪魔した。そこでは、父親クラスを実施していて、この旅に出て初めて、自分のものではない妊婦体験ジャケットに出会った。他にもいろいろな教材が充実していた。人口のコントロールはこの国にとって急務であり、その中でも良いパパの育成は重要なのかもしれない。
バングラデシュに住んでいるベンガル人という人々は本当に愛すべき人たちだ。好奇心旺盛で人懐っこい。見切り発車が多くて振り回されることも多いけれど、悪意を持っているわけではないので一緒にいて楽しかった。
ダッカには兄弟と呼んでも差支えが無いくらい仲良くなった友人がいる。人懐っこいベンガル人が本当に大好きになってしまった。だからこそ、混乱する政治や無秩序に発展を続けるダッカに、どこか悔しさを覚えてしまう。ダッカはかなり汚くて、渋滞もひどかった。ある時、僕の乗っていた2個後ろのバスにレンガが投げ込まれて騒然となっていた。僕の兄弟たちにとってそれが普通のことであるのは百も承知であるが、もう少し良いところに暮らしてほしいなぁと思ってしまう。
世界を変えるには、トップダウンとボトムアップの両方が必要だ。今は旅の中で出会う目の前のお父さんを叩きなおしている。けれど、いつか将来は、バングラデシュの政治家の人でさえも叩きなおせるような人になりたい。これからもたくさん勉強して、夢を叶えていきたい。
http://expres.umin.jp/mric/mric_vol.134-3.pdf