医療ガバナンス学会 (2016年2月15日 06:00)
この原稿は『月刊集中1月末日発売号』からの転載です。
井上法律事務所所長 弁護士
井上清成
2016年2月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
2.医師法21条とは無関係
医師法21条は、外表面の異状に着目した「異状死体」を届け出るものである。「異状死」(異状な死亡)を届け出るものではない。したがって、診療関連死や医療事故死とは全く関係ない。医療事故調査制度と医師法21条とは無関係なのである。
3.医療事故調査制度の狙い
(1)約18万近くの全国すべての医療機関の医療安全の総和を増大させることが、その狙いである。医療安全活動の状況はそれこそ区々であるが、いずれの状況であってもそれなりに医療安全を推進してもらって,その推進の総和を増大させることこそが、すべての国民の願いと言ってよい。
(2)各医療機関において、すべての死亡症例を、管理者の下で一元的に把握してチェックすることこそが、医療安全活動の基盤充実として大切である。すべての死亡症例の医療記録一式が管理者の下に逐次回ってくるシステムを確立すべきであろう。先ずは、「予期していた死亡」症例であったかどうかを、カルテ等からだけで読み取れるかをチェックするのである。
(3)狙いは、過去に起こったことの「原因究明」でも「責任追及」でもない。過去に起こった不幸な出来事を、もっぱら将来の医療安全の確保・向上のために利用することにある。そこで、再発防止、より広く医療安全の確保だけが目的とされたのであり、「原因究明」も「責任追及」も制度目的でない。
4.医療の内としての制度
(1)医療の内のこととして、医療が、医療者が、本来すべきことをするのが「医療事故調査制度」である。医療の外に位置する「紛争」とは切り離された。したがって、「紛争解決」云々は関係ない。あえて「紛争」と関連付けるとしたら、医療の内としての「紛争予防」がせいぜいであろう。
(2)WHOドラフトガイドラインに言うところの「学習を目的としたシステム」を採用した。そこで、「非懲罰性」と「秘匿性」を正面から打ち出したのである。たとえば、「非懲罰性」の代表例は「医療事故」と「医療過誤」との分離であり、「秘匿性」の代表例はいわゆる「匿名性」を一歩進めた「非識別性(もっと正確には、非識別加工)」であろう。
(3)WHOドラフトガイドラインの「学習目的」「非懲罰性」「秘匿性」などの採用によって、医療事故調査でよく言われていた「中立性・透明性・公正性」にも、パラダイムシフトが起きた。中立性は、患者・遺族と医療機関との間の中立の意味から患者・遺族が外れ、医療機関内の管理者・診療科・医療従事者などの間の中立という意味に変わったのである。透明性は、院外への透明と院内での秘匿から、院外への秘匿と院内での透明に変化した。公正性も、責任認定・責任分担と科学の両方の意味から責任認定・責任分担が外れ、科学的な公正という意味だけに変わったのである。
5.医療事故という特有の概念
(1)従来は、「予期しなかった死亡」という要素よりも、むしろ「医療に起因した死亡」という要素に多く着眼していた。しかし、今般の制度では、「医療に起因した死亡」という要素よりも、「予期しなかった死亡」という要素を重視している。「予期」を基軸にするように転換したのであった。
(2)「予期」の対象は、「死亡」だけであって、死亡に至る「医学的機序」や「因果経過」は含まれない。その結果、当該患者個人の臨床経過等を踏まえて、当該患者個人の「死亡」を「予期」していれば、たとえその死亡の機序や経過に「過誤」が混入したとしても、「医療過誤」にはなっても「予期していた死亡」であることには変わりはないので、「医療事故」にはならないのである。つまり、医療過誤であっても医療事故でない。このことを、厚労省検討会の取りまとめでは、「※過誤の有無は問わない」と表現した。
(3)「医療事故」かどうかを判断する順序として、先ず第一に「予期しなかった死亡」かどうかを判断し、「予期しなかった死亡」と判断したら、次に第二として、「医療に起因した死亡」かどうかを判断する。
(4)「医療に起因した死亡」から、原則として、従来から医療安全管理での努力が積み重ねられている典型的な「管理事故」は除外された。従前からの努力を尊重して、それら努力が継続されればよいので、あえて「療養」「転倒・転落」「誤嚥」「身体抑制」は原則として除外されたのである。
(5)典型的には救急における「疾患の見逃し」のようなものは、「医療に起因した死亡」から原則として外された。併発症(提供した医療に関連のない、偶発的に生じた疾患)や原病の進行は、今般の「医療に起因した死亡」の「医療」に該当しないとされたのである。これらはもともと、主として医療「行為」の「質」の向上に関連するものであり、医療「安全」「システム」の向上との関連は薄い。そのような文脈の一環で、医療「行為」の医学的「評価」も、今般の制度とは無関係である。
6.インフォームドコンセントと医療記録の充実
今般の制度では、全国すべての医療機関に対して、インフォームドコンセントと医療記録の充実が促されていると言ってよい。実は、その普及と積み重ねを通じ、延いては、すべての症例における予期の向上が求められているのである。