医療ガバナンス学会 (2016年3月7日 06:00)
(この文章は『ロハス・メディカル』3月号に掲載されるものです)
『ロハス・メディカル』編集発行人 川口恭
2016年3月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
国立感染症研究所の1月の発表によると、全国的に「おたふくかぜ(流行性耳下腺炎)」の患者が増えているそうです。流行は4~5年おきに繰り返されており、前回の流行収束から4年半なので、このまま本格的な流行に入る可能性があります。
また、やはり1月に開催された厚生労働省の「麻しん・風しん対策推進会議」で、国立感染症研究所の大石和徳・感染症疫学センター長が、2015年の春先から初夏にかけて職場で風疹の集団感染が相次いで起きていたことを明らかにすると共に、その年間患者報告数が162件と、まだ記憶に新しい前回の流行直前の2010年の87件を大幅に上回ったと警鐘を鳴らしたそうです(※1)。
●胎児にも影響
この二つの感染症は、発症した幼児がまれに重篤な状態になることがあると同時に、妊娠中の感染で胎児に何らかの影響が出る「TORCH症候群」の原因でもあります。特に風疹は前回の2012年から2013年にかけての流行の際、多くの感染者と先天性風疹症候群(CRS)児を誕生させ、あるいは人工妊娠中絶を増やしてしまいました。
世界的にはワクチン接種で集団免疫(図=http://robust-health.jp/article/images_thumbnail/2016/01/%E9%9B%86%E5%9B%A3%E5%85%8D%E7%96%AB%E3%81%AE%E6%A6%82%E5%BF%B5%E5%9B%B3-555.php)の出来ている国が多く、流行はあっても散発的なので、周期的に流行を繰り返す日本は先進国の中で珍しい存在です。
日本の集団免疫が弱いのは、1989年から乳児への定期接種に使われるようになったMMR(麻疹・おたふく・風疹)混合ワクチンで、無菌性髄膜炎が事前の想定より多く発生して社会問題化、93年にその使用を見合わせたことから始まっています。
当時正式に定期接種に入れられていたのは麻疹ワクチンだけだったため、乳児期におたふくと風疹のワクチン接種を受ける人が激減しました。
並行して行われていた調査の結果、無菌性髄膜炎の主な原因となっていたのは、ムンプス(おたふく)ワクチンであると分かりました。そして、そのワクチン株を製造していたメーカーに厚生省(当時)が立ち入り検査を行ったところ、承認書と異なる手順で製造していたのを発見、翌94年2月に50日間の業務停止処分を課したのでした。
こんな不幸な歴史もあって、人や体制がすっかり入れ替わった今でもムンプスワクチンに対する議論はなかなか進まず、定期接種化もされていません。
加えて今回は、化血研が同様に承認書と違う手順でワクチン・血漿分画製剤を製造して110日間の業務停止処分を受けています。血漿分画製剤に関しては色々な論点があることを別の記事で指摘しましたが、ワクチンの方に同情の余地はなくMMR禍の際の教訓が生かされていないことに憤りを感じます。ただ、実はそれでもワクチンは1種類も出荷停止になっていません。
普段関心が高くない人は、この処分の骨抜きぶりを不思議に思っていることでしょう。ワクチンの本当の姿を知ると、「骨抜き」の理由も分かってくるので、それを知ってもらう良い機会になったと前向きに捉えることにして記事を進めます。
●弱毒化という意味
ワクチンが、体内に入れることで免疫に病原体を覚えさせる医薬品で、その後で実際に病原体が侵入してきた際には速やかに撃退できることを期待するものだ、という概念はご存じと思います。では、一体何を体内に入れると、免疫が病原体を覚えてくれるのでしょうか。
一番分かりやすいのが、ウイルスや細菌など生きた病原体そのもので、生ワクチンと呼ばれます。名前を挙げたMMR3種類に加えて、水痘(水疱瘡)やBCG(結核)などが代表的な生ワクチンです。
ただし、ワクチンのせいで本当に発病してしまったら本末転倒なので、免疫は覚えてくれるけれど発病しないという程度に病原体の性質を変化させてやる必要があります。この性質を変化させるのが「弱毒化」です。一般には、人体とかけ離れた環境で病原体の培養を繰り返す(継代と呼びます)ことにより、その培養先に適応した遺伝子変異を起こして逆に人体内では免疫が対応できなくなるほど急激には増えないというものを選抜します。ただし弱毒化が過ぎると、今度は免疫への刺激が足りず、ワクチンとしての効果が足りないということも起こり得ます。
言葉を換えると、生ワクチンを接種すると毒性の弱い病原体に感染して体内で増えるので免疫が覚えてくれるのだ、ということになります。この感染が、極めてまれに重症化します。効果が100%で安全性も100%というような生ワクチンは絶対に存在しません。許容できる安全性の範囲を決めた上で、できるだけ有効性の高いワクチン株を選抜していくということになります。相手が生きているので、再び人体での増殖力を強めたりしないよう、製造段階で厳重な管理とチェックが必要です。これが国家検定の必要性にも、つながっています。
●不活化とアジュバント
生きた病原体そのものを入れるのは危険過ぎる場合に使われるのが、免疫が覚えるのに必要な部分だけ入れる不活化ワクチンです。病原体を分解する場合と、その部分だけを大腸菌などに遺伝子組換で作らせる場合とあります。DPT-IPV(ジフテリア・百日せき・破傷風・不活化ポリオ)4種混合やインフルエンザ、肺炎球菌、日本脳炎、B型肝炎などが代表的です。
その病気そのものを発病するリスクはほぼ0%である一方、体内で増えず免疫への刺激が足りないので、通常は何回も接種する必要があります。また、体内に滞留させて免疫との接触時間を増やしたり、別に免疫を刺激したりするための成分が加えられます。病原体そのものとは関係なく、免疫の反応を高めるために加えられるこの成分をアジュバントと言います。
アジュバントとして日本で一般に使われているのは、アルミニウム塩(リン酸アルミニウムや塩化アルミニウム、水酸化アルミニウムなど)で、その安全性は使用実績から証明されていると考えられています。また、免疫システムの理解が進むにつれ、アジュバントになる可能性を持つ様々な物質が知られるようになり、実際、HPVワクチンなどでは使われています(接種者たちに現れた症状をワクチンの副反応と主張する人たちの多くは、主にアジュバント成分への懸念を示しています)。
(※2)
●ムンプスどうする?
以上のような話と安全性を高めるための関係者の努力が分かってみると、自然に感染した方がちゃんと免疫は付くから予防接種なんか要らないという主張は、有効性は100%に限りなく近いけれど安全性が極めて低いワクチンを事前の問診もなしに選ぶと言っているのに等しいこと、ご理解いただけるでしょう。正気の沙汰では、ありません。
この事情があるため、厚生労働省は化血研のワクチンを出荷停止にできなかったのだとも言えます。けしからんメーカーかもしれませんけれど、安全性の確かめられているワクチンの出荷を止めると、もっと危ない「自然」というメーカーが本物の病原体を供給してしまうのです。
そして今、自然がムンプスウイルスの大量供給を始めようとしています。私たちは、どうするべきでしょうか?
日本で承認されているムンプスワクチンは無菌性髄膜炎の発症率が想定より高いという難点、MMR禍の時から基本的に変わっていません。ただし、承認書と違う製造手順だったというスキャンダルのせいで冷静に評価できなくなってしまいましたが、自然罹患に比べれば安全性はケタ違いに高いのです。そして、その有効性は高いことが知られています。
一方、世界各国では、もっと無菌性髄膜炎の発症率は低いワクチン株が使われています。その株を含むMMR混合ワクチンを化血研が導入して2003年に薬事承認申請したまま宙ぶらりんになっていること、以前の記事でも紹介しました(2013年10月号参照。『ロハス・メディカル』webで電子書籍を読めます)。ただこの株は、安全な代わりに効果が持続せず、集団免疫に穴が開いて流行を完全には防げないという難点を指摘されています。
ワクチンを広く接種するのかしないのか、するとしたらどのワクチンを選ぶのか、その費用をどうするのか、いつ動くのかなどなど、絶対にこれが正しいという解はないので、専門家の助言をもらいつつ、最終的な落とし所は社会的に合意する必要があります。皆さんは、いかがお考えでしょうか?
●風疹は三度目の正直
風疹の場合は話が違います。
2004年の流行の際に専門家から緊急提言があったのに厚労省が動かずにいて、前回の流行を迎えてしまい、そして今回です。
前回何度も書いた記事の復習をすると、風疹ワクチンは1977年8月から学校で女子中学生に対して接種が行われるようになり、MMRワクチン禍を経た95年4月からは男女とも1歳~7歳半の間に定期接種するように変更されます。MMRワクチンからムンプス株を抜いたMR(麻疹・風疹)混合ワクチンも登場しました。ワクチンの安全性・有効性ともに問題ないレベルと考えられています。
ただ、同世代の男女両方に免疫をつけるのが目的だとすると、その時点で7歳半から中学入学前だった女性と7歳半より上の男性はワクチン接種を受けないことになり、免疫を持たない世代になってしまいます。これを防ぐため、その世代を対象とする移行措置も行われたのですが、接種場所が学校から医療機関に変わり、その世代の人というのは医療機関と通常ほとんど接点がないこともあり、接種率は低いままでした。
この免疫の低い狭間世代は具体的には、79年4月から87年9月までに生まれた女性と87年9月以前に生まれた男性です。2016年1月現在で言えば、28歳以上の男性と28~36歳の女性ということであり、前回の流行の際に妊娠適齢期の女性とその周囲にいる男性だったこともあり、感染が広がって被害が大きくなりました。今回も数年以内に流行するのだとすると油断なりません。
前回の流行の際は、狭間世代すべてに予防接種を行うには国内承認済みのワクチンが足りず、免疫を持っているか調べる抗体検査費用に補助が出るという何とも歯がゆい対応になってしまいました。ワクチンの製造開始から国家検定終了まで1年ほどかかるので、狭間世代に予防接種を促すための予算措置を行いメーカーに増産を要請するなら今のタイミングを逃さないことです(ちなみに化血研は、このワクチンを製造していません)。あるいはMMRワクチン導入を選ぶという手もあり、それはおたふく対策にもなります。
もし今回、国が何もしなかったら、不作為責任を問うても良いのではないでしょうか。
※1 職場で風疹患者続出、専門家が注意喚起-昨年は1週間で10例超の報告も(医療介護CBニュース 2016年1月25日)
※2 ワクチンには他に、病原体の出す毒素(トキシン)の毒性をなくして免疫に覚えさせるトキソイドというタイプもあります。