医療ガバナンス学会 (2016年6月29日 06:00)
生体には、本来、細胞ががん化した際に、これを排除する免疫のしくみ、いわゆる「がん免疫」が備わっていることが以前から知られており、この仕組みの破綻ががんの発症に大変重要な役割を担っていることが、最近の精力的な研究によって明らかにされつつあります。こうした研究によれば、がん細胞は、しばしば、「免疫チェックポイント」と呼ばれる分子を利用して、免疫システムの監視から巧妙に逃れていると考えられています。免疫細胞(具体的には細胞障害性T細胞)に発現するPD-1と、そのリガンドとして知られるPD-L1は、がん細胞の免疫からの回避に重要な役割を担う代表的な免疫チェックポイントで、PD-L1を発現するがん細胞が、PD-1との結合を介して、その殺傷にあずかる細胞障害性T細胞の機能を抑制することによって、免疫監視から逃れているというわけです。
ニボルマブやペンブロリズマブは、いずれも、PD-1を標的として開発されたヒト化抗体製剤ですが、これらの薬剤によるチェックポイント機能の阻害が、様々ながん種において(しばしば末期のがんに対してさえ)顕著な臨床効果を示すことは、PD-1/PD-L1を介したがん免疫からの回避が、がんの発症に大変重要な役割を担っていることを強く支持しています。しかし、こうしたがん免疫からの回避に際して、がん細胞が、いったいどのようにしてPD-L1を発現するのかについては、十分理解されていません。また、奏功率が概ね20%程度のとどまる一方、年間の治療費が3000万円以上にのぼるニボルマブを用いた治療については、医療経済への深刻な影響も懸念されることから、その治療効果を正確に予測し、効果の期待される症例に選択的に治療を行うためのバイオマーカーの開発が強く望まれています。
さて、今回紹介するのは、がん細胞がPD-L1を発現するメカニズムに関わる最近の研究成果です。私たちは、33種類の主要ながん種を含む1万例を超えるがん試料のゲノム解析データについて、スーパーコンピュータを用いた大規模な遺伝子解析を通じて、がん細胞が免疫監視を回避する新たなメカニズムの解明が明らかになりました。今回の研究における主要な発見は以下の点にまとめられます。すなわち、
(1)肺がん、胃がん、食道がん、大腸がん、腎がん、膀胱がん、子宮頸がん、子宮体がん、頭頸部がん、悪性黒色腫、悪性リンパ腫など、主要ながん種において、PD-L1遺伝子の異常が生ずる結果、その発現が著しく上昇している例がみとめられること、
(2)特に、西南日本を中心に多く認められる 成人T細胞白血病では、25%という高い頻度でこのようなゲノムの異常が生じていること、
(3)異常は、いずれも、PD-L1遺伝子の発現調節に重要な役割を担っている、「3′非翻訳領域」と呼ばれる、遺伝子の末端部分に生ずるゲノム構造の異常で、これらの異常によって正常な「3′非翻訳領域」が失われる結果、PD-L1の遺伝子発現の高度な上昇が惹起されること、
(4)3′非翻訳領域を人為的に欠失させることによりPD-L1遺伝子の発現を誘導したがん細胞は、免疫による監視を回避して増殖することができるようになること、また、この増殖効果は、抗PD-L1抗体によって阻害されること。
今回の研究によって、これまでに知られていなかったPD-L1の発現調節機構に関するあらたな知見と、それを巧みに利用したがんの免疫回避のメカニズムが明らかになりました。このような異常は、ATLをはじめとする様々な種類のがんでみとめられることから、がんの免疫回避の一般的なメカニズムになっていると考えられます。がんの免疫回避に関わるPD-L1の新しい発現調節機構があきらかとなったことで、がんの免疫回避のメカニズムの理解が今後大きく促進されると期待されます。
しかし、今回の研究が示唆する最も重要な点は、このような異常を有するがんは、PD-L1発現を介した免疫回避に強く依存しており、従って、ニボルマブやペンブロリズマブを用いた免疫チェックポイント阻害による治療が特段に有効であると期待されること、また、これらの異常をマーカーとして、免疫チェックポイント阻害剤が著効する患者さんを見いだすことができる可能性がある、ということでしょう。
実際には、ATLや悪性リンパ腫、胃がんなど一部のがん種を除いて、こうした異常を有する症例の頻度は1%以下にとどまります。しかし、こうした異常が認められるがんについては、たとえ、末期の症例であっても、著効が期待されるということは、生命の危機に瀕しておられる患者さんの視点にたてば、やはり、大変に意義のあることだと信じていますし、今後その可能性についての検討が急務であろう、と考えています。今回の研究成果が、難治性のがんに苦しむ患者さんの治療に役立つことを切に願う次第です。