医療ガバナンス学会 (2016年9月27日 06:00)
以下の文章は日本医事新報2016年9月17日号に掲載されたものです
(なお、2文字”校正ミス”があり、訂正してあります)。
日本医療法人協会医療事故調ガイドライン作成委員
東京保険医協会勤務医委員会委員
東京・葛飾区 おその整形外科 於曽能正博
2016年9月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●報告すべき医療事故と医療過誤は無関係
「医療事故の範囲」を示す演者のスライドには、「出典:医療事故調査制度の施行に係る検討について/医療事故調査制度の施行に係る検討会・平成27年3月20日」と記されていたが,原典に明記されている「過誤の有無は問わない」の文字が抜けており、「誤薬などの医療過誤は遺族の納得や制度の信頼を得るため、医療事故として支援センターに報告すべきである。」との説明であった。
納得・信頼は心の問題であり、医学・科学ではない。いくら誠意を尽くして説明しても納得・信頼が得られるとは限らない。納得・信頼が得られなければ「医療の外」になったと判断し、紛争として対応することとなる。
以下に何を調査して何に介入すべきかの例を挙げる。
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・個人の手技・知識・判断をいくら「評価」しても、他の医師の医療安全への寄与は限定的
(印刷では”寄与”が”評価”となっています。お詫びして訂正いたします。)
・一定の確率で必ず起こる合併症(予期できるが予見できない)や偶発症を調査しても無駄
・システムが機能していれば予防できた可能性がある事故を対象とすべき
・介入する対象はシステムエラー
(現場の医療を守る会・満岡渉医師のスライドより)
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●「人は誰でも間違える」 To Err is Human
有害事象の大多数は医療者個人の能力不足でなく、システム全体の欠陥によることが明らかになっている(「人は誰でも間違える-より安全な医療システムを目指して。日本評論社2000年」より)。
「ヒューマンエラー叩き」が米国などで医療安全につながらず失敗に終わり、医療を崩壊させた。日本でも同じ轍を踏んではならない。
“医療事故でない医療過誤”はヒヤリハット事例として日本医療機能評価機構に報告し患者・遺族には丁寧な対応をすべきである。
●医療事故調査制度は各医療機関の自主性が尊重されている
演者は「報告対象について幅広い解釈が可能(同様の症例であっても医療機関によって報告したりされなかったりする可能性がある)」と講演したが、医療機関は規模・診療内容とも千差万別である。
今回の制度は、最先端の総合病院から無床診療所・助産所まで全て一律に報告義務を負う(但し、罰則はない)。従って無理に標準化しても現場の状況とは乖離が生じ、この制度は機能しなくなってしまう。
前述の厚労省検討会取りまとめにも、医療に起因するかどうかの該当性は、「疾患や医療機関における医療提供体制の特性・専門性によって異なる。」と明記されている。また今回の制度でせっかく認められた各医療機関の自主性・自律性を自ら否定するようなことはすべきでない。
●不作為は報告対象ではない
「不作為が(報告対象に)含まれる」との発言があり、私の質問にも再度同じ返事を頂いた。不作為、すなわち医療を行なわずに有害事象が起きた場合は報告対象ではない。これは報告要件の「堤供した医療に起因」の文字に集約されており、検討会でも「不作為は報告要件としない」ことが確認され、省令・通知のどこにも「不作為を報告するように」との記載はない。
●医療従事者は基本的人権を有する人間である
「医療事故の院内調査では、外部委員を入れる。」「(私の質問に答えて)免責は難しい。当事者を一律に守れるとはいえない。」
有害事象を調査する上では大前提がある。その調査が責任追及につながる可能性があるかどうかである。医療従事者は人間であり基本的人権を有している。“自己に不利な発言の強制の禁止”を憲法は規定している。責任追及につながりうる調査であれば調査する側は医療者に対しその旨を告げなければならず(ミランダルール)、医療者は発言を拒否できる。
医療安全は再発防止を目的とする。この場合、紛争解決・責任追及の要素が入ると起きた出来事を正確に捉える事ができない。従って医療機関内の医療安全管理室は当事者の人権に充分配慮し、得られた情報は内部情報として厳重に管理し外部に漏れないようにしなければならない。医療機関内で医療安全と紛争解決は別の部署で扱い、決して混同した扱いをしてはならない。外部委員を入れた調査を行うのであれば日本国憲法違反にならないよう充分な配慮が必要である。
●「中立性・透明性・公正性」について
今回医療事故調査制度の目的が医療安全のみとなり、紛争解決・責任追及が除外された事により「中立性・透明性・公正性」にも、パラダイムシフトが起きた。
「中立性」は、患者・遺族と医療機関との間の中立の意味から患者・遺族が外れ、医療機関内の管理者・診療科・医療従事者などの間の中立という意味に変わった。
「透明性」は、院外への透明と院内での秘匿から、院外への秘匿と院内での透明に変化した。
「公正性」も、責任認定・責任分担と科学の両方の意味から責任認定・責任分担が外れ、科学的な公正という意味だけに変わったのである。
●システムエラーの観点は?
この病院では、色々なケースでの報告を現場に要求し随時報告要件も増やしているようだが、報告する側の現場の負担はどうなのか気になった。通常業務の負担超過やサービス残業に結びつき、現場を疲弊させ、かえって事故につながってはいないのだろうか。また、多くのインシデントやアクシデントの
報告が挙がっているようだが、その結果がどう生かされ再発防止につながったかという話は残念ながら出てこなかった。
せっかく「現状では、最終行為者が責任を取らされる」という話があったのに、結局個人の行為の分析や評価の話ばかりで、システムエラーの観点からの話はなかった。
どの分野であっても人間は失敗をせずに上達することはあり得ない。失敗を報告させるだけでなく有害事象にさせないシステムを構築することが、管理者・医療安全担当者の責務ではないのだろうか。
●評価は責任追及に直結
「評価」の語が何度も出てきた。講演の様子からして事故調査における核をなす重要な部分と理解した。
「評価」とは医療者の行った行為を分析し、医療水準が標準から逸脱していないか判定することである。
以下に、現在「産科医療補償制度」で行われている「評価」の実際を示す。
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産科医療補償制度で行われている評価~医療水準の高低に関する表現例~
・すぐれている
・適確である
・医学的妥当性がある
・基準内である
・一般的である
・選択肢のひとつである
・選択肢としてありうる
・医学的妥当性は不明である(エビデンスがない)
・医学的妥当性には賛否両論がある
・選択されることは少ない
・一般的ではない
・基準から逸脱している
・医学的妥当性がない
・劣っている
・誤まっている
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この「評価」は専門家が何人も集まって時間をかけて結論を出したものなので証拠能力は高く、裁判の資料として使われた場合この「評価」を覆すことは不可能に近い。従って、低い「評価」を受けた医療者は裁判で「評価」が証拠採用されれば医療者にほとんど勝ち目はない。
私が今回拝聴した講演の演者が実際にどのような「評価」を行っているかはスライドには示されなかったので不明であるが、個人の責任追及につながらない運用がなされていることを切に希望する。演者は
「日本医療安全調査機構のメンバーに加わって情報を共有した」と述べているので、支援センターとなった日本医療安全調査機構も「評価」を行っている可能性があり、厳重な注意を要する。
以下は「評価」に対する批判である。
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医学的評価に対する批判
・法令上の根拠がない
・個人の医療行為の評価であり、システムエラーの評価ではない
・医療安全への寄与はないか、あっても限定的
・事実上の過失の認定であり、責任追及に用いられる
・当事者との意見交換のない欠席裁判であり、人権侵害である
(現場の医療を守る会・満岡渉医師のスライドより)
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●利益相反
残念ながら有害事象が起きたとき、管理者・医療安全担当者と医療従事者との間に利益相反が発生する。
管理者・医療安全担当者は責任を医療従事者個人に押し付けることによって、自らの責任逃れができる。
遺族・マスコミに対し「犯人を捜しました。」といって頭を下げれば納得が得られる。システムエラーとしてしまうと、自らに責任が降りかかりかねない。
●医療者は勤務先の慎重な選択を
今回の医療事故調査制度は医療安全に特化し責任追及につながらない設計にはなっているが、現実の運用では訴訟に巻き込まれ一生を棒に振ってしまう可能性がある。
医療者は、
(1)勤務先がどういうリスクマネジメントマニュアルを持っているか(「医療過誤は警察に届け出る」とする施設がある)。
(2)医師法21条の解釈はどうか(「外表異状がなく届出義務のない死体」を今だに異状死として警察に届け出る施設がある)。
(3)院内の医療安全管理部は内部資料を厳重に管理し外部に出さない体制になっているか。
(4)管理者が“予期の3号事案”をどう運用しているか(誤薬・ポンプ設定ミスなど過去に何回も起き“予期できる”ケースでも“予期できない”とする施設がある)。
(5)有害事象を管理者・医療安全担当者は全て医療者の責任にしてしまうのか(自らは実際の医療を行なわない安全地帯にいるため、警察官兼裁判官と化している施設がある。裁判によらない私刑は日本国憲法違反である)。
(6)支援センターに報告の際は匿名化のみでなく非識別加工がなされるか–などをよく調べていただきたい。