医療ガバナンス学会 (2016年10月5日 06:00)
そして、20世紀の初頭に、「フレクスナーレポート」という、アブラハム・フレクスナーが行なった、全国的な医学部の教育の質に関する調査によって、教育水準が上がったという報告が存在する。それに対して、フレクスナーレポートは別の意図があったのではないかという主張も存在する。以下で後者の主張を具体的に考察する。
フレクスナーレポート発行以前の初期の頃は、患者の希望に合わせて患者が最適な治療を選択していた。この状況は、鈴木七美著「出産の歴史人類学」の中で垣間見ることができる。同書によれば、フレクスナーレポート発行以前は、出産の際には、産科の医師を呼ぶか、助産師に立ち会ってもらうかが選択できたそうだ。
しかし、次第に、医師のライセンス制への移行の機運や、医師会を通じて医療行為に対する価格が決定されるべきであるという機運が高まった。
ところで、かの有名なロックフェラー財閥傘下のスタンダードオイルは、19世紀の後半から石油市場におけるその独占的地位に陰りが見え始めていた。というのは、その頃、再三再四、あらゆる市場において市場独占が問題視され、独占的機構を抑制する方向に持っていかれたのである。例えば、1890年のトラストを規制するシェーン法の制定がその最たる例である。
vこの状況下で、スタンダードオイルも他の企業のように、1910年に連邦最高裁の判決によって、33の独立した企業に解体された。
そこで、ロックフェラー財団は医療の世界へ目を向けるのである。ロックフェラー財団は、一部の医学校が多額の授業料から得られる利益ばかりに目が行き、教育水準が低いという状況に目を付けた。そして、医学部の水準を上げるという名目で、カーネギー財団がフレクスナーに命じて国内の医学校の教育水準を示すフレクスナーレポートを発行した。
また、カーネギー財団の理事長であるフレデリック=ゲイツと、ロックフェラー医学研究所の所長であるフレクスナーは兄弟であった。
フレクスナーレポ―トの簡単な中身は以下である。医師は高度な大学院教育によってのみ養成されるべきで、科学に基づいて、石油に含まれる成分を分離させて取り出して製造した薬を用いて治療をする医学を教える学校のみ医科大学として認定するというものだった。また、同レポートは、石油から作られるコールタールによる治療も推奨した。しかし、このコールタールは発がん性の物質を含む大変危険なものであった。
そして、フレクスナーレポート発行以後、基準を満たさない学校は廃校に追いやられた。1910年に155校あった医学校は、1920年には85校に減った。廃校に追いやられた学校のほとんどが、薬の投与によって病気を治すのではなく、カウンセリングなどによって治す代替治療を行う学校だった。
以下で、フレクスナーレポートが各分野に対して与えた影響を述べたいと思う。一般財団法人日本ホメオパシー財団日本ホメオパシー医学協会の平成22年8月5日のホメオパシー新聞によれば、まず、科学的な薬による治療のみが医療であると認定されたことで、1900年に22校あったホメオパシーを教える医学校は1923年には2校に減少した。また、100以上あったホメオパシーを施す病院は同レポートを機に消滅した。加えて、1000を超す、ホメオパシー用の薬を販売する薬局も同様に衰退の一途をたどった。
これらの事実は、科学的治療を施す医師達、つまりAMAが完全にアメリカ国内の医学を牛耳ったことを間接的に表す。
また、前述の鈴木七美氏の著書によれば、産科における状況も変わる。AMAのキャンペーンによって、民間の助産師が一掃されて、妊婦は高額な費用を支払って産科医の立ち合いの下で出産を行う以外に選択肢がなくなり、患者が自由に治療を選択できなくなった。
ロックフェラー財閥はどうであろうか。アメリカの経済誌Barron’sの1922年10月16日付の物に、1911年に解体されたスタンダードトラストの、解体後の系列会社4社(Standard oil of New Jersey, Standard Oil of New York, Standard Oil of Indiana, Standard Oil of California)の配当に回すことが可能な純利益が掲載してある。
以下で、1913年から1918年までの各年の4社の純利益の合計を示す。1913年以下で、1913年から1918年までの各年の4社の純利益の合計を示す。1913年は、95978509ドル、1914年は、55842815ドル、1915年は、101964228ドル、1916年は149078134ドル、1917年は、156875179ドル、1918年は、124777997ドルである。多少の上下はあるものの、総じて純利益は上昇している。
更に、ロックフェラー財団は、いわば自分たちの息がかかった研究機関が開発した製薬のプロモーションも行っていた。Walter Sneader著「Drug Discovery; A History」によれば、トリパルサミドという薬はロックフェラー財団が特許を有していたが、無償で製薬メーカーに製造できる権利を与えていたそうだ。
また、崎谷博征著「医療ビジネスの闇」によると、後述の鎮痛剤、アスピリンはロックフェラー一族のメディアコントロールによって使用が促進されたそうである。ここで、注意したいのが石油の主要な成分は、ベンゼン、トルエン、キシレンの三つで、このうちのベンゼンからフェノールが合成され、フェノールからアスピリンの成分である、アセチルサリチル酸が合成されることである。
もちろん、ロックフェラー一族のやり方に反対する者もいた。例えば、1910年にロックフェラー財団が連邦政府に対して、設立許可の申請を申し出た時のことである。
連邦議会は、ロックフェラー財団はスタンダードオイルが富を保全する仕組みであるという忠告を当時の大統領であるタフトに行っている。結局、ロックフェラー財団は連邦政府に許可されることなく、その後ニューヨーク州議会で許可された。
加えて、科学的な医学は対症療法を採用しており、製薬の投与によって即刻、症状が治まった。
19世紀中期からの景気の拡大で、貧富の格差は拡大し、資本家たちは利潤を追い求めた。そして、その資本家にとっても、科学的療法は都合が良かった。
余談だが、資本家が利益を求める反動から、しばしば資本家と労働者は対立した。例えば、ロックフェラー一族が所有するコロラド燃料株式会社では、格差に対する不満から9000人以上の労働者がストライキを起こした。それに対して、ロックフェラー一族は鎮圧部隊を送り込み、労働者やその家族30人以上を虐殺した。
話をもとに戻すと、資本家達は利潤の追求をする中で、労働力の質の維持が重要になり、そのためには科学的な医学の存在を不可欠であるとみなしていた。結果、資本家たちは、フレクスナーレポートからの一連の騒動に賛成した。
また、前述の症状を即刻治める薬の代表格は、前述のアスピリンであった。同薬は、1897年にドイツのバイエル社の研究員であるホフマンによって開発された史上初の鎮痛剤である。第一次大戦後、商標を自由に使用することが認められて各国こぞって製造、使用した。ちなみに、アメリカでは、アスピリンの消費が増加した1920~1930年を「アスピリンエイジ」と呼んだ。
以上で見てきたように、フレクスナーレポートは医学部教育の質の向上の他にも、様々な意図が含まれているということが見て取れた。個人的な意見としては、患者の中心ではなく、資本家や医師会の利益になるよう様々な方針が決定されていることに驚きを感じた。
この、資本家や医師会が主役の、医学部教育も含めた広義の、「医療に関する活動」が時代を経て、どのように変化するか気になったので是非調べてみたい。