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Vol.247 現場からの医療改革推進協議会第十一回シンポジウム 抄録から(2)

医療ガバナンス学会 (2016年11月15日 15:00)


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(参加申込宛先: genbasympo2016@gmail.com)

2015年11月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

【Session 02】教育  14:25~15:20

●記者から医師を目指して~社会人入学して思うこと
酒井麻里子

私は新聞社記者として働いた後、医師を目指すことになりました。社会人から学生になり、最初の大学の頃より勉強への意欲は高まっています。
その理由の一つに、働いた経験があるからこそ感じる学生生活の贅沢さがあると思います。学生は勉強が本分です。そして、その評価は試験で行われます。つまり、自分が努力して勉強し、その結果は学生全員が平等に試験で評価される世界がシンプルで、新鮮に感じるのです。
仕事では、たくさんの人が関わるため、自分の力ではどうすることもできなかったり、どれだけ努力しても結果に結びつかなかったりすることがあります。そうした点が、色々な人と関わりながら進める仕事の面白さではあります。
これに対し、今の生活は、どれだけ多くを理解し、記憶するかは自分次第ですし、頑張りが試験の点数に直結します。仕事のやりがいや楽しさを経験した一方で、苦労も味わった分、勉強だけに集中できる環境は贅沢でありがたいと感じます。
さらに、目標が明確な状態で勉強できていると感じます。医学部はたくさん学ぶ内容があり、その量の多さは時に驚くほどです。ですが、社会人になって様々な職業の実際を知り、それでも医学を学ぶことを決めたので、迷うことなく勉強に集中できます。仕事で患者さんやその家族、医師と出会い、また、東日本大震災などの様々な現場を取材してきた記憶がいつも頭にあり、「だから自分はどんな医師になるのか」と思いながら勉強できることは幸せです。
けれど、医師には体力が必要ですし、一人の医師を育てるには多額の税金もかかります。ですので、医師は何歳であっても挑戦していくもの、とは言いがたいかもしれません。そんな中、自分は何ができるのか、考える日々でもあります。

●本物の幼児教育から、正々堂々とした中学受験へ
太田勝久

私は、兵庫県西宮市で幼児教室「ライトスタッフ」、中学受験塾「ノブレス・オブリージュ」を経営している。
「Light Staff」とは「光の杖・炎の杖」。
社会の暗いところに灯を点す「光の杖」。
冷めた心に火を点け、冷えた心を温める「炎の杖。」
そんな人材を育てたい、と言う意味である。
「Noblesse Oblige」は今春、灘中高の同級生でもある現役医師 西原文現と一緒に立ち上げた。最近の中学受験塾が、卑怯な方法でうわべの合格実績を増やし、その片棒を子どもたちに担がせている現状に警鐘を鳴らし、「正々堂々とした中学受験」を掲げている。塾には「医学部進学コース」があり、医師の西原が直接小学生に「ノブレス・オブリージュ」精神を持った医師になるための心構えを語る特長がある。
子どもの勉強をめぐっては「9歳のカベ」と言う言葉があるが、このカベは「当たってからでは遅すぎる」。9歳までに必要な思考回路を育てておくことが必須で、9歳以降に不足している能力に気付いても、後から育てることはできないのである。
9歳までに育てた思考回路が固定されてしまうのだが、最近は脳科学を悪用した、害のある早期教育が蔓延している。目先の派手な「効果」を強調する教育法は、必ず後から有害な副作用がある。
正しい方法で能力も心も育てるには、我々幼児教室だけでなく、保育園や幼稚園の現場の先生方、経営陣にもっと正しい知識を身につけてもらいたいと考えている。
もちろん、最重要なのは家庭における保護者の意識である。普段の何気ない遊び・言葉がけがどのように子どもの能力・心の成長を促し、妨げるのか。玉石混交の幼児教育法の中で、本物を選択する目が重要である。
また、そのためにも、産科・小児科医との連携も重要であると考えている。妊娠中から保護者が正しい知識を持ち、本当に子どもの成長に寄与する保育園・幼稚園を選ぶ際の信用できる相談相手として重要な役割を担うべきである。
最後に、「9歳以降」はどうすれば良いのか?
私たちは、「学力=能力×時間×集中力」と説明している。何のために勉強するのか。なぜその学校に行きたいのか。それが明確であればあるほど「集中力」は増すし、そのモチベーションの源泉が他者や社会への貢献である方が、より高い意識を保てるであろう。
以上の内容の詳細については、今年の6~8月に3回に分けてMRICで発表している。興味のある方はぜひそちらを参照されたい。

●指導場面での教育
鍋山隆弘

私は大学生に剣道を指導しています。指導でまず心がけていることは「教えすぎないこと」です。欠点を指摘し対策を考えさせるようにしています。何度も観察してなぜそうのような状況なのかを把握します。表面に現れている事だけで判断するのではなく、そこに至った過程を考えるようにしています。
私の身長は184cm。剣道界では大型の剣道家です。私の身長、運動能力によって身につけた技が、誰にでも身につくとは思えません。考え方はアドバイスしますが自分の技を教えることはめったにありません。
気を抜いて稽古をしていると感じた学生がいてもすぐには注意しません。なぜそのような状況になっているのか、何が原因のかをさぐります。そして、その原因が体調不良であったとしましょう。後日、一生懸命稽古しているときに褒めます。
「毎日,今日のような稽古をすれば強くなる。先日は気を抜いた稽古をしてましたね。試合ではそういう気を抜いた稽古が自分の隙を作ってしまうのです。
体調が悪いなら悪いなりに一生懸命に稽古する。一生懸命やれないのであれば稽古は休んだ方が良いと」と言います。体調が悪いときに注意しても、気を入れて一生懸命稽古することは難しいと考えています。
剣道は指導として実際に稽古をします。
稽古では弱点を見つけてそこを打突します。そして、なぜそこを打ったのかを説明します。そして考えさせます。考え方方が身につけば、自然と技が良くなり結果強くなります。
授業でしっかり勉強して、単位を取るように指導します。学業の成績が良くないと試合結果も良くありません。やるべき事をやれない学生は剣道も上達しないと思っています。

●社会で生きる力の醸成
玄 君先

16歳の高校生、12歳の中学生の二児を教育中である。といっても家庭を離れがちなので、進路、学校、塾の選択における教育方針決定以外では、休暇中に一緒に旅行をしたり、週末に 家で顔を合わせる際に言葉を交わしたり、メールでメッセージを伝えるくらいであるが。教育の目的としては、社会で生きる力の醸成を主眼としている。
これは、現行の学習指導要領と大枠で変わるところは無い。ただ、学習指導要領は思考力、判断力、表現力を育てるとしているところ、私は表現力に変えて実行力を重視している。益々変化が激しくなる現代社会において、社会で生きる力が重要と考える事にはさほど異論はないだろう。
社会人になると様々な局面で判断が求められるようになる。就職、転職、結婚、携帯電話契約、保険契約、住宅購入、転居、投資。社会の変化は激しく、各判断にリターンとリスクが伴う。判断の結果下される成功と失敗の評価は容赦ない。何でも集団行動というのは過去の遺物となり、個人の固有の判断が求められる。
判断の基礎となる情報は溢れており、その取捨選択も個人の判断に委ねられている。適切な判断の積み重ね及びその実行が人生の成功をもたらすといっても過言ではない。
問題は、生きる力をどうやって子供達に付けさせるかだ。そもそも今の社会人の多くはこの力に欠けている。これまで日本の教育で重視されておらず、社会ではさほど必要とされていなかった能力といえる。だから、社会人になれば周りを模範として自然に身に付く能力といえない。むしろ、社会に出る前に家庭や学校でその素地を身に付けさせる必要がある。その方法論についてはおそらく議論百出であり、価値観も影響するので人それぞれだろう。
私見では、批判及び議論する事。視野を広げ、質が高い情報を得る事、チャレンジする事が大事と思っており、そのために、数学、読書、英語、友達と遊ぶ、旅行を積極的に薦めている。

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