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Vol.262 「福島県南相馬市と福岡県田川市,そして集団生活」

医療ガバナンス学会 (2016年11月28日 17:40)


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長崎大学病院
桑野克久

2016年11月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

初めまして、桑野克久と申します。私は現在長崎大学病院に勤務する1年目の初期研修医です。この度,1か月間福島県の南相馬市立総合病院で研修する機会に恵まれましたので、私が現地で感じたことや経験したことをご報告したいと思います。

私が出生したのは福岡県久留米市です。しかし生後まもなく両親のクリニック開業に伴い、福岡県田川市に引っ越し、小学校を卒業するまでこの地で過ごしました。福岡県田川市といえば、福岡県の中でも北九州市と並び治安の悪い地域として知られる場所です。例えば、Googleで「南相馬市 治安」と検索すると38,200件ヒットし、除染作業員の影響で治安が悪化したという内容が多く見られます。一方、「田川市 治安」と検索をかけると55,500件ヒットし、内容は「田川市って治安が悪いことで有名ですよね?」,「まるで日本ではないかのようだ」などの書き込みが目立ちます。また「田川市 ヤンキー」と検索すると、中々パンチの効いた画像が多く見られることでしょう。しかし、中学から寮生活をすることになる私にとって、田川市は唯一の故郷と言える場所です。五木寛之著「青春の門」や井上陽水の出身地としてご存知の方もいらっしゃるかもしれません。しかし、最も有名なのが炭鉱です。明治33年三井田川鉱業所設立以来、日本近代産業発展の原動力となった「石炭」を全国の50%も産出する炭鉱の町として栄えました。しかし、現在はその繁栄の面影もなく、昭和39年の三井田川鉱業所の閉山とともに衰退の一途を辿ります。当時約10万人だった人口も現在ではその半分の約49,830人となり、高齢化率が31.3%と典型的な日本の田舎町です。そんな田川市ですが、地元の方々が誇りにしている祭りがあります。それは年に1度行われる「川渡り神幸祭」です。これは永禄6年に流行した疫病平癒を祈願して始まったとされ、山笠ごと地元英彦山の川に入って練り歩く、壮大な祭りです(写真)。私は,幼い頃から現在に至るまでこの祭りに毎年参加し、山笠を担いできました。多くの住民にとってそうであるように、この祭りは私にとっても故郷田川を語る上で欠かせない存在です。この祭りのおかげで田川市という街が私の心の中に深く刻まれていると言っても過言ではないでしょう。

その後、中学校から高校は、佐賀県の全寮制の中高一貫校弘学館に通い、寮生活という特殊な環境に揉まれました。大学受験では久留米大学医学部に入学し、無事今年の春に行われた国家試験に合格しました。自大学をアンマッチとなってしまいましたが、幸運なことに長崎大学病院に拾って頂き、現在は大変有意義な初期研修を送っています。

私は九州の外で生活をしたことがありません。そのため、今回南相馬市立総合病院での地域研修を非常に楽しみにしていました。そして、果たしてそれは大変有意義なものとなりました。南相馬市立総合病院は、地域に根ざした地域医療を実践しつつ、震災が住民にもたらした影響に関しても調査を続けている非常にユニークな病院でした。なにより多くの先生方が現地の情報を積極的に発信しているのがとても印象的でした。そのような先生方に影響を受けて私も何か情報発信をしたいと考えていたところ、外科の尾崎章彦先生から誘っていただき、MRICに投稿することを決意いたしました。とは言え過去にそのような文章も書いたことがなく、ひとまず南相馬市を自分がよく知っている田川市と比較することから始めてみました。

1. 南相馬市と田川市の比較

http://expres.umin.jp/mric/mric_263-1.pdf

上記のように表1に田川市と南相馬市の状況を簡単にまとめてみました。お恥ずかしながら、私はこの度市町村にはキャッチフレーズをいうものがあることを初めて知りました。田川市は炭鉱を前面に押し出しています。一方、南相馬市は「安心で潤いのある街」ということを謳っています。私個人の感想としては、キャッチフレーズに関しては田川市の方がより地域としての特色を表現できているのではないかと感じました。ただ同時に、炭鉱業が廃れた後にそれに代わる新たな産業が生まれていない田川市の厳しい現状も改めて痛感しました。人口に関しては数字上南相馬市の方が1,5000人ほど多いという結果でした。しかし一ヶ月滞在した印象としては、南相馬市の方が田川市より賑わいがないように感じられました。一つの原因として,南相馬市の面積が田川市の約7.3倍あり,南相馬市の方が人口密度が低いことが考えられます。加えて、南相馬市においては,市外に多くの方が避難していることも関係しているかもしれません。また驚いたのが,田川市の高齢化率が、震災後一気に高齢化が加速したという南相馬市とほぼ同率の31%であるということです。実は、この事実は今回の研修に対する私のやる気をさらに高めてくれていました。私は,将来父母のクリニックを継ぎ,田川の地域医療に関わっていきたいと思っています。そのため、南相馬の現状を勉強することで,将来田川で診療を行っていく上での教訓やヒントが見つかるかもしれないと感じたからです。

ここで高齢化に関して南相馬市で印象に残った事例を二つご紹介したいと思います。一つは在宅診療です。南相馬市立総合病院では、震災後根本剛先生が中心となり在宅診療科を掲げて、介護を必要とする高齢者とその家族を支えてきました。実際に、在宅診療科の根本先生と訪問診療の現場に同行する機会に恵まれましたが、患者さんとその家族は根本先生の訪問を心から楽しみにしており、心身ともに患者さんの支えになっていると強く感じました。また、お隣の相馬市の事例ですが、「相馬井戸端長屋」と呼ばれる高齢者集合住宅の取り組みが行われていました。長屋は高齢者同士が介護者になり得るということを目標としており、集団生活をすることで孤独死が防げるという利点があるようです。ただ、その反面「集団生活だから、良いことばかりではないよ」と住民の方がおっしゃっていたのが印象的でした。

http://expres.umin.jp/mric/mric_263-2.pdf

次に、生活保護費や犯罪数、高齢世帯数などに関して、南相馬市と田川市を比較してみました。圧倒的に目を引くのが田川市の生活保護費の多さです。なんと南相馬市の約10倍の額にのぼっています。実際、田川市において生活保護を受給している個人の割合は約6.09%であり、全国平均1.62%の3.76倍です。田川市においては、昭和39年に炭鉱が閉山した際、「産炭地はこれまで石炭のために苦労もし、日本の発展のために随分つくしてきたはずだ。その挙げ句は使い古しのゾウキンのように見捨てられ、残されたのはボタ山と鉱害と失業者と貧困だけだ」と、当時、全国鉱業市町村連合会長だった市長が語ったと言われています。生活保護費の受給状況を考慮すると、貧困は炭鉱閉山後も現在に至るまで田川市の大きな問題となっているようです。加えて、刑法犯認知件数も南相馬市の約2倍です。どうやら田川市の治安の悪さはイメージだけでなく現実のものであるようです。その原因に関して私は明るくありませんが、貧困を背景として多くの犯罪が起こっているのかもしれません。

今回,南相馬市と田川市について考察する中で、「比較」という手段が、様々な事象の特徴を明らかにする上で非常に有効であるということがわかってきました。そこで、仮設住宅での住民の心情と寮生活をしていた私の経験を比較することで、仮設住民の心情の一部もより深く理解できるのではないかと考えるようになりました。

2. 仮設住宅と寮
私は中高6年間、全寮制を採用している学校で生活をしました。入寮当時は初対面の同級生と狭い部屋で8人部屋でした。寮という場所は本当に24時間1人になれる時間はありません。そのことが、良い意味でも悪い意味でも隣人との関係を深くし、人間関係を複雑にします。今回、仮設住宅の集会所を何度も訪問させて頂きました。第一印象としては、想像していた以上に住民の方は明るく、笑顔が絶えない印象でした。しかし、何度か訪問を繰り返していくうちに、集団の中で積極的に喋ったり笑っている方が1、2名だけいて、ほとんど発言せず頷いている方が数人いるという構図の集会が多かったように感じました。また、集会所にほとんど顔を出さない方も多くいるということも知りました。そこで私はふと寮での生活を思い出さずにはいられませんでした。集団生活になると、必ず強い者、弱い者が出てきます。そのことが悪いという意味ではなく、仮設住宅に住んでいる方の中にも、何か悩みがあったとしても、その環境に馴染めず、誰にも相談できずに孤独に生きている方が多くいるのであろうと感じました。集団生活において、悩みを誰かに相談することは非常に難しく、勇気が必要なことだったのを覚えています。相談していること、悩んでいることを他人に知られて噂が広まってしまうと、弱みを握られたかのような感覚に陥るからです。また,弱い自分を周りに露呈してしまうのではないかと恐れていた部分もあったかもしれません。

仮設住宅における思い出といえば、南相馬市立総合病院の及川友好副院長による健康講話は外すことができません。震災後、及川副院長は、日常業務が終わった夕方に健康講話を継続してこられました。実際に及川先生が住民を前に講話をされるお姿を見て、私は心から感動しました。そこには「震災後ともに頑張ってきた家族」のようなコミュニティが出来上がっていました。現に及川先生も「もう家族みたいなものだよ」とおっしゃっていました。ですが、同時に「こうやって一生懸命やってきたけど、健康講話に出てきてくれている方は心配ない。実際には講話に参加しない方々も多い。俺はそういう方々の方が心配なんだ」ともおっしゃっていて、大変印象に残りました。

3. 最後に
この度南相馬市で災害後という困難な状況の中、誠実に地域医療と向き合っている医師の姿を多く拝見しました。高齢化の進んだ地域での医療は、医療者、介護者などの人材不足により様々な困難な壁にぶつかることが多いです。しかし将来、田川市で地域医療に携わりたいと考えている私にとって、南相馬市の医療者の取り組みとその姿勢は非常に勇敢であり、魅力的に映りました。今回の地域医療での経験は,今後の医師人生において非常に重要なものになったと確信しています。

http://expres.umin.jp/mric/mric_263-3.pdf

【経歴】
桑野克久(くわの・かつひさ)、医師1年目。福岡県田川市出身。中高は、全寮制の学校で過ごす。久留米大学医学部医学科卒業。 九州の長崎県の長崎大学病院で初期研修中、 地域研修で南相馬私市立総合病院にて1ヶ月間研修を行い、 被災地の現状と地域医療の現実を知る。

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