最新記事一覧

Vol.042 ぴんぴんコロリで死ぬと警察に通報? ~不思議の国 日本の現実~

医療ガバナンス学会 (2017年2月23日 06:00)


■ 関連タグ

この原稿はハフィントン・ポストからの転載です。

http://www.huffingtonpost.jp/michiko-sakane/death-police_b_14633092.html

医療法人 櫻坂 坂根Mクリニック 院長
坂根みち子

2017年2月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

最近こんな話がありました。
患者さんの親族(東京都在中 90歳)が自宅で亡くなっていました。いわゆるぴんぴんコロリだったようです。家族が見つけて救急搬送になりましたが、死因がわからないということで警察へ連絡がいき、解剖のため寒い警察で何時間も待たされ大変な思いをしたとのことでした。別の患者さんもやはり病院にかかっていなかった遠方の高齢の親が突然死し、警察が入って大変だったと、残された片親にせっせと病院通いを始めさせました。
多死社会を迎えているのに制度が追い付いていません。日本の「死」の扱いは犯罪をベースに考えるので、人が死ぬとまず警察に連絡がいってしまうのです。そこに、突然家族を失った人の心情に配慮する、グリーフケアの視点は全くありません。

本来医師は、死体を診て体表に犯罪が絡むような異状がなければ、死亡診断書(もしくは死体検案書)を書けます。が、表面から見てわかることは限られています。したがって体表のチェックだけでは犯罪を見逃す可能性はあり得るわけです。犯罪が少ない国とはいえ、万が一見逃したらと思うと、よく知ったかかりつけの患者でなければ医師が診断書を書くことを躊躇してしまいます。その場合は、事実上警察が介入します。
日本の死因究明制度はきわめて貧弱です。亡くなった人の解剖率は2%程度で、死後の画像診断(AI)も費用が手当されておりません。人も予算も圧倒的に不足しています。医師は法律や制度に疎いため、救急搬送された患者さんの死因が不明な場合、安易に警察に丸投げしがちです。
医師を中心とした死因究明システムがないために、医療についての知識が乏しい警察が「死」を管理している国なのです。

齢を重ねて、人は、心筋梗塞や不整脈など、最後は何かが起きて亡くなります。徐々に動けなくなって眠るように亡くなることもあります。いずれにせよ、これらは自然死と言えます。残念ながら現在の日本では、高齢者がある日突然亡くなった場合、特にそれまで病院にかかっていなかった場合など「犯罪の可能性が否定出来ない」という前提で警察が介入するのです。必要な場合に適切に死因が究明されるような制度を作ってこなかったつけが、世界一の高齢化社会で、高齢者の自然死を警察に届けられてしまうような状況を作り出してしまったのです。困ったものです。

ご存知かもしれませんが、明らかに亡くなっている人は救急搬送できません。ただし亡くなった前後の微妙な時間だと、場合により救急隊が搬送してくれ、病院で死亡宣告され、晴れて一件落着ということもままあります。この場合、かかりつけ医がいれば、そこに問い合わせがいくことも増えてきました。このパターンは一見問題ないようですが、人の命を救うための貴重な医療システムが全く別の目的で使われているのです。現場に看取りのために費やすゆとりはなく、救急医療はすでに各地で破綻しかけてします。
では、自宅で(犯罪とは関係なく)亡くなったのを見つけたら、どうしたらいいのでしょう。かかりつけ医がいて往診をしてくれる場合や、すでに訪問診療を受けている、と言った場合は問題ないでしょう。
では、かかりつけ医が、往診をしない診療所や病院だったら?

茨城県は医師数が全国下から2番目の医師不足の県です。その中で当院のあるつくば市は唯一全国平均を越えている場所です。
当院は普段は往診をしない診療所です。それでも先日看取りをしました。かかりつけで2,3カ月に一度通院している90歳の患者さんでした。この半年ほど、徐々に体が弱ってきているのを診てきました。もうそろそろある日亡くなっているということがあり得ます、とご家族にお話ししてありました。
ある朝、息子さん夫婦が見にいくと患者さんは亡くなっていました。前回の診察は何ヶ月も前です。どうしたらいいかという電話がありました。
今までの経過から、予期した死でしたので、昼休みには確認に行くので体だけ真っ直ぐにしてあとは触れないようにしておいてください、とお話ししました。
お昼休みにご自宅を訪ね、ご遺体を検案し死亡診断書でなく、死体検案書をお書きしました。胸部に皮下出血がありましたが、死因となるような異状ではないと判断し警察へは届けませんでした。診断名は老衰です。このような場合は性善説で考えます。ここを疑ってしまったら、すべての死にたくさんの時間的、人的コストが必要になります。さらに解剖に当たる医師は圧倒的に足らず、現実には死因究明が必要と判断した場合に限定されます。
費用は、私は往診医を届けていないので看取りの加算が取れませんから約14000円(本人負担1400円)+診断書代のみでした。亡くなった後のエンゼルケアは、葬儀屋さんがやってくれますので任せます。看護師一人連れて、死亡診断→診断書作成まで1時間以上かかりますので、経営上は問題かもしれませんが、通常は往診しない医療機関でもこういった形で看取りのお手伝いをすることは可能なのです。
救急車でかかりつけ医でない病院へ搬送するくらいなら、本当は自家用車で連れてきてくれるのか一番ですが、これは現在法律上認められていません。亡骸を車に乗せる時は死亡診断書を持っていないといけないのです。多死社会を迎えここは検討の余地があると思います。

この方は、ウィークデイに亡くなりましたので、こういった対応が可能でした。でも週末の場合は、当院に連絡してもつながりません。
次善の策として、「死」が予期出来ているレベルの患者カルテは家族なら見られるように公開しています。当院の電子カルテはクラウド型なのでそれが可能なのです。残念ながらまだ上手く利用されたことはありません。救急病院の外来では、外部のPCにアクセス可能になっていないことがほとんどですので、家族が申し出ても見られないのです。

自然死と思われる例で警察の介入を防ぐには、地域の医師が輪番制で、検案医をすることも考えられます。すでにやられている地域もあるでしょう。
でも医師不足でそこまで手が回らない地域がほとんどですし、その時もやはりかかりつけ医がいるなら情報確認は必要です。電子カルテが共有化されれば、死因の推定に有用です。

看護師に看取りを認めるようにという議論もあがっていたと思います。研修を受ければ十分可能です。医師の足りない地域ではとても助かると思いますが、医師の足りない地域は看護師も足りないという問題点もあります。それでも、高齢医師が一人で嘱託医をしている高齢者施設などでは認めてもいい方法の一つだと思います。

多死社会への対応は、地域のマンパワーに大きく左右されます。地域の実情に合わせて出来ることから始めていただきたいものです。
自然死を自然死として扱うには、死因究明が必要な「死」を拾い出すシステムとセットでなければいけませんが、少なくとも、死の判定を託された医師は、外表を検案し、かつ状況の聞き取りをして、極力看取りに力を貸すべきです。自然死や病死と思われる死を安易に警察に引き渡してはいけないのです。
看取りをしやすくするための法的なサポートとして、例えば、かかりつけの患者が亡くなって、かかりつけの医療機関までは、自家用車で運んで良いというのは如何でしょうか。そこが診療所だった場合は、必要に応じて地域の病院まで自家用車で搬送して死因究明のために画像診断を受けるというのもありでしょう。

身内が亡くなった時に「警察を呼ばなければいけない」現状に人々は困惑し、救急搬送を依頼したり、不要な通院を重ねて右往左往しています。診療関連死や自然死については、医療者がしっかり受け止めて警察の介入を防ぎ、「死」を日常生活の延長線上に取り戻す必要があるのです。

MRIC Global

お知らせ

 配信をご希望の方はこちらのフォームに必要事項を記入して登録してください。

 MRICでは配信するメールマガジンへの医療に関わる記事の投稿を歓迎しております。
 投稿をご検討の方は「お問い合わせ」よりご連絡をお願いします。

関連タグ

月別アーカイブ

▲ページトップへ