医療ガバナンス学会 (2017年5月16日 06:00)
本稿は、がん患者として医療の恩恵を受け、混合診療禁止という理不尽な医療制度を提訴するなどして医療の問題を考えてきた筆者の主観を述べたものである。それは主に筆者の見聞に基づくもので、客観的データも裏付ける証拠もない。違う見解や意見あるいはデータや証拠を持つ専門家は反論していただきたい。
医師不足の問題は、本人の健康や医療安全のリスクを高めているといわれて久しい。医師の過労や疲弊を招き、手術や救急医療等で深刻な懸念が生じている。一方、医師不足の指摘に対し、医師数は足りており、現状は医師の地域偏在、診療科偏在の問題とする声もある。しかし、偏在が事実なら医師が余って困る状況が出現するはずだが、聞いたことがない。また実効的な解決の処方箋が示されたこともない。新専門医制度で偏在の問題を解消しようとする苦肉の策など的外れな机上の空論である。医療現場の実態と将来を考えれば、高齢化や医療の高度化などで増大する医療需要に対し、現在進行形で広がる医療危機の核心には医師不足があるといわざるを得ない。
確認しなければならないが、医師不足による医療危機に見舞われているのは病院である。問題は勤務医不足なのである。休診日が十分にあり、昼の時間のみ軽症の患者を診ればいい開業医や診療所には基本的に医師不足は生じない。開業医が病院の診療に参加するオープンシステムを取らない日本の医療体制では、勤務医にのみ過重な負担がかかる。
ではなぜ病院で深刻な医師不足が生じるか。病院に押し寄せる圧倒的な医療需要とこれに対応する医師の絶対的な少なさである。それならば医師の雇用を増やせばいいと思うが、それができない。公立、私立を問わずほとんどの病院は赤字経営に陥っている。改善しようにも病院の収入は国の定めた診療報酬によって規定されており、経営の自由はない。では診療報酬を上げればよいはずだが、また開業医の利益を代弁する日本医師会はそう主張するが、医療だけに国民や国家の負担を増やすことへの社会の合意を得ることは難しい。膨大な政府債務と高まる国民の貧困率などから、医療に投入される税金や保険料は限界に達していると考えられるからである。
このように病院の医師不足を解決する方策はきわめて困難だが、このまま放置していい問題ではない。筆者の考えでは、対策は病院の収入を増やし、必要な医師を雇用するほかない。それには病院の診療報酬を上げなければならない。しかし医療費の公的負担を増やすわけにはいかないから、開業医や診療所の診療報酬を別建てにして下げる方法がある。あるいは別建てにせずとも軽症の疾患に給付する健康保険を減額・撤廃して患者の自己負担を増やし、主に病院が担う重症疾患や高度医療の診療報酬を上げる。
実際、風邪の患者を5分診ただけで4000円になる一方、救急医療で心臓マッサージを30分やっても1500円程度しかつかない診療報酬体系は歪んでいるとしかいいようがない。一方、現状の保険給付、診療報酬を維持するなら、開業医が病院の診療に参加して医師としての生産性を上げ、勤務医の負担を軽減するほかない。その場合でも、医療費の公的負担分を増やさない制度設計としなければならない。今以上の公金を医療に注ぐことができない国の状態では、こういう荒療治ができなければ医療は危機から崩壊をたどることになる。
この対策では開業医、診療所にのみしわ寄せが行くことになるが、別に困らせようという意図があるわけではない。それら一部の最適化が医療全体の合成の誤謬を招いている現状があることを指摘したいのである。医療は税金や保険料などの公費に大きく依存している。また国民皆保険制度によって貧困層も医療需要を基本的に満たすことができている。すなわち日本の医療機関は本質的に公的インフラといえる。企業のような競争原理は排除され、実質的に存続は保障されているといっていい。
そのように特別な護送船団に乗っている10万人もの開業医の平均年収が2600万円、世襲率が9割という集団は、船の属する国全体が沈んでいく中での重荷であり、桎梏ともなっている。開業医は立地も標榜も自由であり、診療の裁量権も大きいため過剰診療等も可能である。貧困と格差にあえぐ日本において、競争という経済合理性を受けない特権的な楽園ともいえる。医療という最重要な社会資産の危機が進行している現在、開業医は、絶対的に足りない数で高難度、重症の多数の患者に良質な医療を提供している勤務医とこの問題を共有し、共同で解決に当たらなければならない。日本の医療体制における医師不足解消は喫緊の課題であり、当局や当事者は解決に向けて行動を起こすことを迫られている。