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Vol.172 浪江町の医療を支えたい –南相馬の医師からのお願い-

医療ガバナンス学会 (2017年8月16日 06:00)


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南相馬市立総合病院 外科
澤野豊明

2017年8月16日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

浪江町の住民の健康が危険に晒されている。浪江町は福島県浜通りに位置し、福島第一原発からおよそ10キロにある。2011年の原発事故以来、全町民避難が続き2017年3月31日、およそ6年ぶりに一部地域を除いて居住が可能になった。

浪江町の人口は、原発事故前の2010年時点で20,905人。双葉郡内(震災前人口約72,000人)で最も多く、数多くの原発関係者が出入りしたため、華やかな繁華街もあった。浪江町を全国的に有名にしたのが、現在も続く『鉄腕DASH!』という人気テレビ番組の『DASH村』という企画だ。その舞台が浪江町で、自然豊かで風光明媚な町の証だった。

私は震災後、「福島第一原発事故で大きな被害を受けた地域で医療支援をしたい」という思いから、浪江町のすぐ北に位置する南相馬市に赴任し、現在は南相馬市立総合病院に外科医として勤務している。

2013年5月、浪江町には「浪江応急仮設診療所」と呼ばれる、一時帰宅中の町民や作業中の復興作業員の応急手当を行う仮設診療所が開設された。縁あって、時折手伝いに行くことになり、私と浪江町との交流が始まった。

私が南相馬に赴任した2014年当初は、浪江町に入るために許可証が必要だった。国道からの脇道は全てバリケードで封鎖され、海岸線には津波で流された瓦礫がまだ処理されずに残っていた。浪江町に住民が戻ってきたことは大変感慨深い。

住民が戻ってきたとは言っても、その数は震災前とは比較にならないほど少ない。浪江町役場によれば、今年6月末時点での居住住民は264人、186世帯だ。震災前の100分の1程度である。

6年という歳月はあまりにも長い。就労年齢人口の住民はすでに避難先の他市町村で生業があり、戻って来た住民のほとんどが年配の方々だ。町役場の職員は「今住んでいる住民の若い人はほとんどが町役場の関係者です。」という。現在、来年度から小中学校を再開する準備が進んでいるが、どれほどの小・中学生が戻ってくるのかは推して知るべしだろう。

年配の方ばかりが帰還していることを考えれば、電気・水・ガスのライフラインの次に住民から求められるものが医療だ。実際、私が仮設診療所で診察した一時帰宅中の80代の男性住民は、「浪江に本格的に戻ってくるとして、一番心配なのは医療」と言っていた。
とは言ってもこの状況は原発事故前とそれほど大きく変わったわけでもない。浪江町には2万もの人口を有していたにもにもかかわらず、もともと公立病院は存在せず、79床を有する西病院という民間病院が1つあっただけだった。

相馬郡・双葉郡は、震災前から医療資源が少なく、特に浪江町は足りない医療需要を近隣市町村に頼っていた。
当時、その受け皿となっていたのが、南相馬市と双葉町だったが、現在は福島第一原発がある双葉町の病院は閉鎖されている。そして、南相馬市も精神科医を除いて6つあった入院可能な医療機関が4つに減少した上、病床数も縮小された。

住民が入院の必要に迫られた場合、一番近い医療機関が北に約20キロ離れた私が勤める南相馬市立総合病院に頼るしかない。一方で、外来診療に関しては、住民帰還と同じくして、応急仮設診療所が閉鎖され、町役場の脇に国保浪江診療所が開設され、現在は2名の医師が常勤として働いている。
ところが、浪江町に院外処方薬局はないため、もし院内にない薬が処方されれば、10キロ北にある南相馬市内の薬局まで出向かなければならない。診療所関係者は「公共交通機関もないため、足がない高齢者は現実的には薬がネックになって帰還できない可能性がある」と話す。浪江町の医療体制は極めて脆弱だ。いつ崩壊してもおかしくない。
浪江診療所開設と同時に所長に就任された木村雄二医師は、東京都江東区の出身だ。開成高校、東京医科歯科大学を卒業後、病理医として国内外で活躍さした。ネパールで病理医師の育成に従事したのち、内科医にコンバートし、岡山、宮崎、長崎県の五島列島など医療過疎地域の僻地医療に従事してきた。「少しでも浪江町の医療に貢献できれば」と、年齢はすでに70代にもかかわらず、ウィークデイは浪江町、週末は月に数回、長女が住む関西へ訪れる二重生活を続けている。木村医師はタフな身体の持ち主だが、年齢を考えれば、あとどれだけ浪江町で勤務することができるかは定かではない。
もう1人の常勤医師も、震災後に北海道から浪江町復興のため手を上げ、長い間同町に従事している方だが、元々来年の3月で地元に帰ることが決まっている。同診療所の関係者は「医師を確保しなければこの体制を維持できない」と医師の確保に奔走している。

私自身、昨年度に10回程度、仮設診療所でお手伝いをさせていただく機会をいただいた。受診者のほとんどが一時帰宅住民、復興に携わる作業員、町役場の職員で、ちょっとした怪我や風邪症状で受診する人が大半だった。ただ、中には重症な患者もおり、私が直接診療したわけではないが、何人かはドクターヘリで中核病院に搬送した。浪江町応急仮設診療所は浪江町復興のため、重要な役割を担っていることがわかる。

私は、この事実を一人でも多くの人に知って貰いたいと思う。そして助けの手を差し伸べてもらいたい。このため、私は現在、浪江町の応急仮設診療所時代の受診者に関して、どういった方が、どのような症状で受診したのかをまとめる準備をしている。原子力災害での避難地域でこう言った医療活動を継続的に行なったという記録はなく、そのデータは将来の原子力災害からの復興に役立つだろう。

さて、最後に、なぜ浪江町の仮設診療所を少し手伝った程度の私がこの文章を書くことになったのかを説明したい。既述のデータをまとめるため、浪江町と連絡を取りたかった私は、応急仮設を手伝っていた際にお世話になっていた看護師を通して、現在浪江町診療所に勤める3人の看護師のうちの1人を紹介してもらった。その看護師は浪江町出身の29歳の志賀隼さんという方で、彼を介して診療所の事務部長の許可を得て、プライバシーに配慮することを条件に応急仮設時代の受診者に関する研究が行えることになった。

志賀さんは「震災後は避難していましたが、地元に何か貢献したいと思い、診療所看護師として戻ってきました。」と地元への思いは熱く、私がデータをまとめるにあたっても快く手伝いを引き受けてくれた。ただし、カルテの使用にあたり、実は彼と事務部長からもう一つ条件を提示された。それは「いつか先生も浪江町の診療に貢献してください。」というものだった。もちろん私自身もいつかは浪江町の医療に貢献したいと思っているのだが、とはいっても外科医として修練中の私にとって、現在できることはこの文章を書くことくらいである。
浪江町に手を貸していただける方がいればぜひご連絡いただければ幸いである。

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