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Vol.199 高野英男院長死去から9ヶ月後の高野病院の現状について

医療ガバナンス学会 (2017年9月27日 06:00)


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南相馬市立総合病院
尾崎章彦

2017年9月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

高野病院を支援する会事務局長の尾崎章彦です。この数週間の間に、高野病院の存続を左右するような報道があったので、報告させていただきます。まず、2017年8月29日の東京新聞に、高野病院の経営危機を伝える記事が掲載されました。高野英男院長死去後の人件費上昇と売上減少に伴い、一月当たり500万円の赤字を計上しているとのことです。この額は、高野院長がご存命の時の高野病院の売り上げの約10%に当たります。また、9月7日には、2017年4月から高野病院の院長・管理者に就任した阿部好正医師の9月末での退任が各紙で報道されました。9月10 日時点で、次の院長は決まっていません。経営逼迫と管理者不在に直面した高野病院は、再び存続の危機に瀕しています。

そもそも今回の高野病院の存続問題は、高野病院の高野英男院長が,2016年12月30日自宅での火事でご逝去された事に遡ります。高野病院は、療養病床65床と精神科病床53床を持ち,福島第一原子力発電所から南に22km,広野町に位置する民間病院です。震災後,広野町には屋内退避・自主避難指示が出されましたが、「重症患者を避難させることはできない」とする高野英男院長の判断のもと,高野病院は震災後も一日も休むことなく診療を継続しました。高野院長は81歳という高齢にも関わらず高野病院唯一の常勤医として地域の復興を支えてきたのです。

高野院長が亡くなった2016年12月30日当時、高野病院には合わせて102人の患者が入院していました。その患者さんの命を守り、高野病院の存続を支援するために、多くの方々ができる限りの支援をこれまで行ってきました。私たち福島県浜通り地区の医療者も、2016年12月31日に「高野病院を支援する会」を発足させ、全国からボランティア医師を要請する他、広野町役場によるクラウドファンディングの立ち上げを支援しました。全国の医師から支援の申し出が相次ぎ、3月までの診療の穴埋めが行われた他、クラウドファンディングにおいては目標額の250万円を超える900万円近い寄付が集まりました。加えて、前述の阿部氏が2017年4月に高野病院の新たな院長に就任しました。その結果、高野病院は、高野院長の死を残り超えて一見順調なスタートを切ったかのように映ったかもしれません。一方で、今回の一連の騒動の本質である経営状態に関しては、踏み込んだ議論を行うことができませんでした。

震災後,高野病院は苦しい経営を続けてきました。一つの理由は、被災地医療の構造的な問題です。福島県の被災地においては、震災後の避難に伴って若年者を中心に人口減少が進みました。例えば、広野町においては、2010年には5000人を超える人口がいましたが、2015年時点で4000人あまりに減少しています。また、この期間に、65歳以上の割合が、23.9%から26.5%に上昇したことに対して、15歳以下の割合は、14.1%から5.9%に減少しています。
また、広野町の北に位置し。2015年9月に避難指示が解除された楢葉町の現在の人口は、震災前の約四分の一である約2000人にとどまっています。このような周辺地域の人口構成変化は、潜在的な患者数減少につながっています。また、地元地域から職員を確保することが困難になっており、高野病院においても人件費が上昇しているそうです(原発周辺地域の給与水準は、震災前の1.5倍程度に上昇)。さらに、地域外からの職員確保においては、寮となるアパートを借りる必要性があったりと、一人当たりの職員雇用にかかる経費が震災前と比較して大幅に上昇し、高野病院の経営を圧迫してきました。

もう一つの理由は、現在の安倍政権の元で進行する医療費の抑制です。高野病院には療養病床と精神科病床があります。これらの病床が、地域医療にとって非常に大きな役割を果たしていることは間違いありませんが、これまでも病院の売り上げに大きく貢献するタイプのものではありませんでした。さらに、昨年の診療報酬改定が、それらの病床の収益性をさらに低下させました。この改定により、医療区分2, 3という比較的高度なケアを要する患者の割合が病床数の50%を割り込んだ場合、病院の収益が大幅に低下することになりました。一方で、医療区分2, 3の患者の割合が常に50%を上回った状態を保つには、安定した患者を退院させて、重症な患者を新たに受け入れるという継続的な取り組みが必要不可欠です。しかし、双葉郡には震災を契機に急性期の入院施設がなくなってしまいました。そのため、定期的に重症の患者を受け入れることは現実的に不可能であり、今回の変化は高野病院の経営にとっては大変不利なものでした。

これまでは、病院のオーナー院長であった高野氏が,病棟や外来といった通常業務のほか,年100回以上の当直,緊急搬送された患者の診療,レントゲン技師としての役割など複数の役割をこなすことでなんとか経営を維持してきました。しかし、高野院長の死去に伴って新たに4人の常勤・非常勤医を雇用したことで,その経費が、高野病院の経営をさらに圧迫していると言います。

昨年末に高野院長の死が明らかになって以来、福島県は高野病院への支援を検討していると表向きは表明してきましたが、民間病院に対する公平性を重視するという名目のもと,高野病院に特化した支援は行われていません。実際、今回の東京新聞の取材に対して、県地域医療課の平(たいら)信二課長は「財政支援は避難指示区域全体の中で考え、個別に考えるわけにはいかない」と、高野病院だけの支援には及び腰だったようです。
このような状況を考えると,高野病院において赤字が続いているのは、当然の成り行きと言えます。もちろん、医療機関の閉院・倒産が、日本中で起きていることは理解していますし、社会保障費抑制の流れの中、医療機関の淘汰は今後も進んでいくでしょう。しかし、原発事故の影響がなければ、高野病院の経営がこれほどまでに逼迫することはありませんでした。改めて、震災後に高野病院が置かれた経営状況が大変厳しいものであったことが認識され、行政による長期的な支援の枠組みが整えられることを願っています。

阿部院長の退任に関して、私はその詳細を知る立場にはありません。しかし、被災地を支援したいという熱い思いをもって赴任した医療者が、バーンアウトや理想と現実のギャップに苦しみ、退職することは珍しくありません。これまでも私が南相馬で勤務する3年間の間に、そのようなケースを幾度となく目にしてきましたし、かく言う私も南相馬に赴任した直後は、環境の変化に随分戸惑いました。そのため、どこか阿部院長の心理には想像できるところがあります。もちろん、福島県から新たな医師が派遣されたりと、多くのサポートがあったと伺っていますが、、これだけ注目された状況で、高野病院の院長を引き受けるのは大変な重責だったと推測しています。そのような意味においては、これまでの高野病院におけるご尽力に対して、まずはお疲れ様でしたと申し上げたい気持ちです。

被災地の医療においては,一人のヒーローの存在によって医療が成立しているケースがしばしば見受けられます。そのようなケースにおいては、そのヒーローがいなくなってしまった時に医療が崩壊するリスクが存在します。高野病院は、高野院長の死去に続き、阿部院長の退任によって、再度管理者不在の危機が迫っています。医療は社会的インフラです。住民や患者への安定的な供給を可能とするためには、そもそも個人に過度に依存しないシステム作りが欠かせません。そして、国策として原発被災地への住民の帰還を進めている以上、その地域の医療体制を整える責任は、国や福島県にあるはずです。少しでも事態が良い方向に向かうように、私もできる限りの支援を行なっていきたいと考えています。

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