医療ガバナンス学会 (2017年11月20日 06:00)
http://plaza.umin.ac.jp/expres/genba/symposium12.html
*このシンポジウムの聴講をご希望の場合は事前申し込みが必要です。
(参加申込宛先: genbasympo2017@gmail.com)
2017年11月20日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
2017年12月2日
【session_04】医療とメディア 16:30-17:40
●心臓移植と失楽園
加藤晴之
私は、医療を専門とするジャーナリストではありませんし、日々深く勉強しているわけでもありません。講談社という、一般書や雑誌を発刊している出版社に編集者として35年ほど勤め昨年の暮れに退社、いまは自分の会社をたちあげて、ひきつづき編集者を生業としております。
間口が広い社業でしたので、いろんな作家やジャーナリストの方とおつきあいさせていただきました。なかでも、当時、大人の恋愛小説で大人気だった渡辺淳一さんを担当したことはいまでもとても懐かしく、じつはその縁で、「脳死」と移植医療の現場を取材するなど、二、三、医療をテーマした取材記事や書籍を手掛けたことがあります。
ご存知のようにもともと渡辺さんは、地元札幌で医師兼作家として暮らしておられて、どうもずっと「二足の草鞋」でいこうと考えておられたようです。それが一変、作家として一本立ちする「破目」になったのは、68年の和田寿郎医師が執刀した、日本で最初で最後の心臓移植手術について学内で疑念を呈したことからです。
あの手術は、ドナーとなる海水浴場でおぼれた青年と、心臓移植が必要だったかはいまでは疑わしいレシピエントの高校生のふたりを「脳死移植」の範をこえて、つまりまだ生きている青年から心臓を取り出し、手術をしなくても生きていられたであろう高校生に置換したことで、二人の若者の命を奪ったのではないか、と、渡辺さんは告発します。
この事件は結局不起訴に終わりますが、カリスマ医師を若輩の医師が批判したことで彼は病院にいずらくなり、東京にでてきて、作家として生きていくわけです。まあ、もし和田心臓移植事件がなければ、『失楽園』などで一世を風靡した小説家・渡辺淳一は生まれてなかったのですから、世の中なにがどうなるかわかりません。
渡辺さんは、和田心臓移植を題材に「白い宴」という小説を書きましたが、この事件における、渡辺さんのエピソードは貴重で、つまり、医師の医師による医師のための健全な批判、検証が行われた稀有な例ではないでしょうか。ただし、大勢は「うやむや」にしてお茶を濁したわけで、だからこそ、医療の社会学というべきか、医師がお互いの医療行為を批判・検証することは、いまも医療現場のひとつの大きなテーマのひとつではないかと思っています。
●合理的無知を打ち破る
川口 恭
国民皆保険制度と真面目な医療従事者たちの存在により、日本の医療は長い間、多くの国民にとって、敢えて勉強しなくてもヒドイことにはならない、むしろ勉強のコストだけ損という「合理的無知」が成り立つ分野だったと考える。
合理的無知が成立する分野では、知識格差を平準化するような情報の受け手側に平常時「少々の代償を払ってでも知りたい」という欲求が存在しない。ビジネス誌的に書くなら、業としての情報流通(商業メディア)の市場が存在しない。
私は、月刊の『ロハス・メディカル』を、この不毛の領域・方針で12年間続けてしまった。お蔭で、現段階での事業収支は大変なことになっている。
実は、ちょっとだけ脇にそれて「健康に過ごす」や「痩せる」「美しくなる」などの情報には、多くの人の欲求があり、広大な情報流通市場が広がっている。
よって、ビジネスの常識では、この市場をこそ狙うべきであり、実際に健康系メディアが乱立し、不正確な情報の氾濫を招いてもいる。
今後その大きな市場へ遅ればせながら入っていこうと考えている。ただし、軸足は「不毛の領域」に残すつもりだ。
昨今、国民皆保険制度の継続が危ぶまれ、医療従事者の過重な負担が問題になっている。国民が医療への合理的無知を謳歌できる時代は間もなく終わるだろう。知識を平準化する情報流通の市場も出来る可能性が高い。合理的無知を放棄し面倒くさいことも引き受ける、そんな自律する人を増やそうと狙う現在の取り組みが、そうした市場の形成を早め、真っ当なメディアを育むことになると思いたい。
国民や医療従事者を子ども扱いする厚労省の施策を見る度に、多くの国民が合理的無知を放棄するのが遅れるではないか、と腹が立つ。
●医療メディアのバランス感覚
久坂部 羊
医療の進歩と健康志向の高まりで、医療メディアの需要は高まる一方です。
がんの最先端治療、再生医療、出生前診断、臓器移植、アンチエイジング、フレイル予防にサルコペニア対策。各分野の専門家が日夜、研究に励み、世間の期待に応えるべく、有用かつ斬新な情報を提供しつつあります。
メディアもまた世間の需要を満たすため、医学の進歩と可能性を華々しく報じ、がんの撲滅、認知症の克服、健康寿命の延長、医療の安全性、QOLの改善などに関する情報を発信しています。
医療者は当然のことながら、自分たちの営為のよい面を強調したがる傾向があり、メディアも世間の求めに応じて、医療のよい話を過大に報じる傾向があります。情報の受け手である世間もまた、医療のイヤな話は好みません。とにかく安心していたい、イザとなったら医療で救ってもらいたいとしか思わないので、医療の限界や不条理から目を背けようとします。すなわち、医療者、メディア、世間が三位一体となって、医療のきれい事を蔓延させる態勢にあるわけです。
その結果、正確なことや大事なことが伝わりにくくなっています。多くの人が「早期がん」を発生して間もないがんだと誤解し、認知症の薬を「認知症がましになる薬」と思い込み、手術も出産も予防接種も安全で当たり前と夢見ています。臓器移植でも、もし自分の子どもに心臓移植が必要になったら臓器を提供してほしいと望みながら、自分の子どもが脳死になったら、最後まで治療してほしいと求める人が少なくないでしょう。
この状況はバランスを欠いた医療メディアに原因があると思われます。これでは世間の成熟は望めません。医療者もメディアも、医療の負の側面を上手に伝える必要があります。そのことが健全な医療状況につながるのではないでしょうか。
●ヘルスイノベーションスクールに向けて
黒岩祐治
「健康か病気かという二分論ではなく健康と病気を連続的に捉える「未病」の考え方などが重要になると予想される」
これは2月に閣議決定された政府の健康医療戦略改訂版の一節である。「超高齢社会を乗り越えるには病気を治すという発想だけでは足りない。未病を日常生活の中で改善し続けることが大事だ。二分論の「白赤モデル」から連続的に捉える「グラデーションモデル」への転換が必要だ」と訴え続けた神奈川発の「未病コンセプト」がついに国の基本戦略の中に組み込まれた。
この秋、2年ぶり2回目となる箱根でのME-BYO(未病)サミットに今回も参加いただいたWHO(世界保健機関)、ハーバード大学をはじめ、県がこれまで進めてきた国際展開もますます拡がりを見せている。ME-BYOは超高齢社会最先端国として日本が世界をリードできるコンセプトに仕上がってきた。これをさらに前に進めるために必要なのは人材養成である。神奈川県はそのための養成機関ヘルスイノベーションスクールを平成31年に開設すべく準備を進めている。
ME-BYOコンセプトは価値転換を伴う社会のシステム変革につながるものであり、それをリードするためには、医学の知識だけでは足りない。医学の知識に加え、ICT、ビッグデータ、遺伝子情報、ロボティクス、金融、経済、コミュニティーなど、さまざまな分野を統合的に理解し、推し進めることのできる人材が必要である。それはこれまでになかった教育のカタチであり、これが充実することによって初めてイノベーションの名にふさわしいプロジェクトが前進することになるだろう。
IoHH(Internet of Human Health)の時代が一気に加速しそうな状況になってきた。ビッグデータ処理ができる高度な情報処理技術とAIが結合することで、ヘルスケアの世界は激変するに違いない。そんな革命を神奈川県から起こし、そのモデルを世界に向けて発信し続けていきたい。
●「製薬ムラの広報係」にならないために
渡辺 周
製薬分野の取材で抱き続けてきた疑念が、現実のものとして明るみに出た。ワセダクロニクルの創刊特集「買われた記事」では、電通、共同通信、地方紙がスポンサーである製薬企業のため、報道記事を装った薬の「宣伝」を読者に届けていたことを暴いた。20年前から、それぞれが「製薬ムラ」の一員として忠実に業務をこなしていた。
私が製薬分野の取材を始めたのは、古巣の朝日新聞で特別報道部に在籍したいた2013年だ。「政治とカネ」については、リクルート事件など数々のスキャンダルを経て、法規制も社会の監視も厳しくなった一方で、「製薬マネー」の取材は20年は遅れていると感じていた。
ちょうど、製薬各社が透明性ガイドラインに基づき講師謝金など医師個人への支払いを公開する準備をしていた時期だった。各社の40万件超の資金提供データを分析し、2015年4月1日付の1面トップで報じた。製薬企業から講演料などの謝礼で年間1000万円以上の提供を受けた医師は184人、最高額は4700万円だった。資金提供自体に問題はないが、より良い薬を患者に届けるために必要な使途か疑問だった。高級ホテルで行われた医師向けの講演会を取材すると、講演者は主催企業の新薬名を連呼していた。
記事へのクレームは製薬企業からも医師からも皆無だった。ところが、朝日新聞社内で議論が起きる。朝日新聞も製薬企業と医師を招いたイベントを開くことがあり、報道で批判するのなら自らの資金の使途も明らかにするべきだという意見が出てきたのだ。正論だ。私は「ぜひ経営サイドの責任として検証結果を公表してくれ、こちらも経営陣を取材したい」と主張したが、検証結果が公表されることはなかった。
メディアは今、厳しい経営環境にある。製薬企業の莫大な資金力は魅力的だろうが、だからこそ踏ん張り時だ。「製薬ムラの広報係」にならないために何をするべきか、今回のシンポジウムで探り確認したい。