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Vol.255 近藤誠氏「ワクチン副作用の恐怖」批評(1)

医療ガバナンス学会 (2017年12月13日 06:00)


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神戸大学都市安全研究センター感染症リスクコミュニケーション分野
神戸大学医学研究科微生物感染症学講座感染治療学分野
神戸大学医学部附属病院感染症内科
神戸大学医学部附属病院国際診療部

岩田健太郎

2017年12月13日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

近藤誠氏の「ワクチン副作用の恐怖」(文藝春秋、以下「恐怖」と略す)を読みました。
放射線医学が専門である近藤氏がワクチンを論ずるのはこれが初めてではありません。これまでも何度もワクチンの問題を取り扱っています。例えば、近藤氏は2001年に「インフルエンザワクチンを疑え」という論考を発表しています(「文藝春秋」2001年2月号)。私は当時ニューヨーク市で内科の研修医をしていましたが、この論考の科学的瑕疵を指摘したことがあります(岩田健太郎「正論」2001年5月)。
近藤氏が予防接種や感染症の専門家ではないから、この領域を論じてはいけないとは思いません。
専門家であれ、非専門家であれ、思想の自由、表現の自由は十全にあります。専門家故に見落としてしまうような大事なポイントを、非専門家が岡目八目で指摘できることも少なくありません。
大切なのは「誰が書いているか」ではなく「何が書かれているか」です。内容の妥当性だけが重要なのです。
では近藤氏の「恐怖」。内容の妥当性はどのくらいあるか。その点を私は論じようと思います。

近藤氏の「恐怖」の主な主張の一つは「グラフを見ると、ワクチンの導入以前から対象感染症の死亡率は下がっている。だから、ワクチンに意味はない」というものです。近藤氏はワクチンの有効性そのものを否定しているわけではありません。しかし、ワクチンがなくても病気のリスクは下がっているわけだから、その「“必要性”は疑わしい」(4頁)というのです。
近藤氏の主張には首肯すべき点があります。例えば、彼が例示する結核のワクチン、BCGです。
確かにBCGの効果は非常に限定的です。他方、結核については確立した治療法(抗結核薬)があり、早期診断法があり、予防法(潜伏結核の内服治療)もあります。

BCGがなくても結核対策は可能か。私の意見は、実は「イエス」です。近藤氏が指摘するように欧米諸国の多くではBCGは推奨予防接種のプログラムに入れられていません。私には2人の娘がいますが、実はふたりともBCGは接種していません。他の定期接種ワクチンは全て接種していますが。これは、私たち両親が娘達の健康のためにBCGの「必要性」を認めなかったからです。
よく誤解されていることですが、日本の「定期接種」プログラムには接種義務はありません。予防接種を拒否する権利は十全にあるのです。
このことは近藤氏もこう説明しています。「定期接種や勧奨というのは「国はワクチンをお勧めするけど、命じているわけではない。打つかどうか決めるのは、本人もしくは親なので、なにか不都合が生じたら自己責任ですよ」という意味です(ワクチン事故・自己責任の原則)」(5頁)。
ただし、近藤氏は指摘し忘れているか、意図的に無視した点があります。

それは、定期接種を拒否して、そのために予防できるはずだった感染症に苦しんだり、命を落としたとしても、それもまた自己責任ですよ、という事実です。この事実はとても重たい事実なので、決して看過してはいけません。
一般的にリスクは双方向的です。Aを「行う」という選択肢と「行わない」、という選択肢の2つがある場合、両者どちらにも、必ず何らかのリスクが伴います。リスクゼロという選択肢はありえないのです。
予防接種には必ず副作用というリスクが伴います。一方、予防接種を拒否する場合には、その予防接種が防御する感染症のリスクが伴うのです。
そして、リスクを検討するときの大原則は、すべての選択肢の、それぞれに伴うリスクを公平に吟味することです。あるリスクは過大に評価し、別のリスクを過小に評価するのは間違ったリスクへの対峙法です。
近藤氏はワクチンのリスクには言及するけれども、ワクチンを接種しないリスクについては看過したり矮小化しています。すなわち、正しいリスク対峙ができていないのです。

近藤氏が主張する「ワクチン導入前から病気のリスクは下がっている。だから、そのワクチンには必要性はない」は、BCGに限定して言えば正しいと私は思います。しかし、近藤氏はこれを麻疹や破傷風など、他の病気にも全面的に応用しています。
これは間違った論拠に基づく間違った結論です。その根拠をこれから述べます。
どんな病気でも、「これひとつ」な対策方法はありません。特に決定的な対策法がないときはそうです。あれやこれや、いろいろな対策を試しに試して、決定的な方法が発見、発明されるまで医療関係者たちは頑張ります。

代表的な例に、エイズがあります。
エイズはHIVというウイルス感染による病気ですが、1981年に発見されました。発見当時は100%死に至る病と考えられ、実際多くの患者さんが命を落としてきました。
ほどなく、エイズは血液や性交渉が感染の原因と分かりました。私は医学生だった1992年からエイズと対峙し始めたのですが、当時は感染予防の啓発やコンドームの推奨などを行っていました。有効な治療法が存在しないので、予防を徹底する以外に手段がなかったのです。しかし、啓発にも関わらず、新しい患者は次々と発生し、そして亡くなっていきました。
エイズは免疫能力が弱くなる病気で、他の感染症やがんになって死んでしまいます。そうした日和見感染症と呼ばれる病気の予防薬を飲む方法ができてから、エイズの合併症はだんだん少なくなりました。それでも、予防薬だけでは患者さんが亡くなっていくのを食い止めるには不十分でした。
1995年に効果的なウイルスの薬を組み合わせて使う治療法が使われるようになり(ARTといいます)、エイズの予後は劇的に改善しました。患者さんは薬を飲みながら外来で治療を受けつづけます。ARTを続けていれば、HIV感染者はHIV感染のない人くらい長生きができると見積もられています。もはやエイズは「死に至る病」ではないのです。
さて、ここに米国CDCが作ったグラフがあります。米国におけるエイズ患者の年次推移です。

https://www.cdc.gov/mmwr/preview/mmwrhtml/mm6021a2.htm

エイズが発見されたのは米国です。そしてこの病気に最も苦しんできた国でもあります。その米国で、ARTが使われるようになったのは前述の通り1995年。しかし、それより数年前からエイズの発症は減り始めていました。これは前述の「予防薬」などがある程度の効果を示してきたからです。
しかし、なんといってもパワフルだったのはARTです。1995年以降、エイズ患者の死亡は劇的に減ったのがグラフからもわかります。
私は1998年から2003年まで米国ニューヨーク市で研修医をしていました。98年にはまだ多くの病院で「エイズ病棟」があり、多くの患者さんがいろいろな合併症のために死んでいました。しかし、2003年にはそのような入院患者は激減し、エイズ病棟の多くは閉鎖され、ほとんどの患者さんは外来で通院する患者さんとなりました。
何が申し上げたいかというと、「それ以前にリスクが減少傾向だった」という根拠を使って、その後に開発された医療技術を全否定する根拠にはならない、ということです。

後述しますが、近藤氏が指摘するように、多くのワクチンはその導入前から患者さんが減少しています。あれやこれや、医療関係者たちや行政の担当者が必死になって対策を考えたからです。しかし、そうした対策のどれも決定的なものではなく、ワクチンが使用されるようになって初めて決定的な効果が見られるようになりました。
典型的なのは麻疹です。麻疹ウイルスは空気感染といって非常に感染力が強く、その防御は容易ではありません。麻疹ワクチンの徹底的な接種によって、ようやく麻疹は制圧可能になり、排除すら想定できる病気になったのです。
警察庁によると、日本の交通事故死者数は平成以降どんどん少なくなっており、一時は年間1万人以上いた死亡者が4千人台にまで減っています。

全日本交通安全協会ホームページより。 http://www.jtsa.or.jp/topics/T-254.html

さて、2012年から16年にかけて交通事故で亡くなった6歳未満の子供は56人、その7割近くは法で義務付けられたチャイルドシートを使っていなかったそうです(朝日新聞2017年9月14日 http://www.asahi.com/articles/ASK9F45XLK9FUTIL01R.html)。警察庁はこれを受けてチャイルドシート使用徹底を呼びかけています。
「すでに交通事故死はチャイルドシートの法制化(2000年)以前から減っているんだ。だから、チャイルドシートの必要性はない」
これが近藤氏の主張のもつ論理構造です。もちろん、間違った論理であることは言うまでもありません。

つづく

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