医療ガバナンス学会 (2018年2月27日 06:00)
ゆりえさんはプロのダンサーやダンス講師として活躍している最中、肉腫(サルコーマ)という希少がんに罹患し、10年以上の闘病後、2016年に亡くなった私の大切な友人です。ゆりえさんは、いつも何事にも感謝の念を向けていました。がん罹患さえも「キャンサーギフト」として受け入れていました。「エンドポイントは『神のみぞ知る』と思っている。その最後の瞬間まで、生かしていただいていることに感謝し、人様や社会のお役に立てるよう、この『いのち』をキラキラと輝かせながら生きていきたい」と、ゆりえさんは書き残しています。キラキラとそのいのちを輝かせながら取り組んだ文字通りのライフワークは、サルコーマセンターを作ることでした。
がんは大人の2人に1人がかかる病気であり、今や国民病といわれていますが、サルコーマは希少がんのため診療してくれる医師も少なく、患者はどの病院を受診すればよいか途方に暮れるといいます。ゆりえさん自身も罹患が分かった当初は、どこに行けば専門の医師がいるかわからずに大変でした。そこでこうした状況を克服するために、ゆりえさんは「日本に『サルコーマセンターを設立する会』」を発足させることを呼びかけました。この時に最も力強いサポートをしてくださったのが土屋先生でした。
土屋先生のご尽力のお陰で、当時院長をされていた国立がんセンター中央病院(当時の名称・東京都中央区)の会議場で、「日本に『サルコーマセンターを設立する会』」の発足式が行われました。ここには肉腫患者や患者家族、医療関係者、支援者など多数の方々が集まりました。また土屋先生のおはからいで、同病院に日本初の「肉腫(サルコーマ)診療グループ」が誕生し、翌2010年には「肉腫(サルコーマ)外来」がつくられました。さらに土屋先生は、がん研究会有明病院(東京都江東区)の理事として、2012年に日本で初めて念願だった「サルコーマセンター」を誕生させました。
ゆりえさんにとって土屋先生は最も頼りになる医師であり、亡くなる前日に刷り上がった著書にも繰り返し感謝の言葉が述べられています。土屋先生は医師として一人の患者を救うだけでなく、病院管理者として大勢の患者にとって福音となる医療体制や制度を整備し、最新で最善の医療を患者に届けてきました。こうした土屋先生が解任となってしまう事態はよく理解できませんが、患者中心の医療を整備し、共に生きる社会を作り上げることに力を注いでこられた土屋先生に、ゆりえさんと共に感謝の花束をお渡ししたいと思います。
参考文献
・土屋了介、吉野ゆりえさんへの感謝の花束、三六00日の奇跡ーがんと闘う舞姫(星槎大学出版会)の紹介文、2016年。
・吉野由起恵、個人の障がい「病い」の経験が社会に与える影響の研究-自分自身のがん罹患体験を検証して-、星槎大学大学院教育学研究科修士論文、2016年
・吉野ゆりえ、三六00日の奇跡ーがんと闘う舞姫、星槎大学出版会、2016年(修士論文を基にした本)