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Vol.064 「精神薄弱児」施設の火災【連載レポート】強制不妊(4)

医療ガバナンス学会 (2018年3月26日 15:00)


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この原稿はワセダクロニクル(2018年3月1日配信からの転載です。)

2018年3月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

http://expres.umin.jp/mric/funin4-1.pdf

全焼した亀亭園とその見取り図。写真は1956年12月11日午前3時30分撮影(初出:朝日新聞1956年12月12日付朝刊宮城版、著作権切れ)

飯塚淳子は14歳の秋、宮城県石巻福祉事務所により「家庭指導困難な児童」として県の中央児童相談所あての報告書をつくられた。報告書にはこうある。

「盗みの嫌疑が再三かけられ、集落でも学校でも素行が悪くなった」(*1)

淳子にとってまったく心当たりのないものだった。

その報告書から5ヶ月、1960年4月に淳子は親元から離され、仙台市にできたばかりの小松島学園に入所させられることになった。

小松島学園は、宮城県内の「精神薄弱児」を入所させるための施設で、この年に開所したばかり。淳子は1期生だった(*2)。

淳子が小松島学園でどのような生活を送ってきたのか。そのことを報告する前に、小松島学園ができるまでの経緯を振り返る。

小松島学園がつくられたきっかけは、「精神薄弱児」の入所施設である亀亭園の火災だった。宮城県内で唯一の県立の「精神薄弱児」施設が焼失した。

1956年12月11日午前3時頃、仙台市長町越路にある亀亭園で火災が発生した(*3)。

消防ポンプ車7台と地元の消防団が駆け付けるが、施設が高台にあったため、思うように消火活動が進まない(*4)。

たちまち燃え広がり、木造平屋建て4棟が全焼した(*5)。

約50人が入所していた(*6)。焼け跡からは11歳の少女と少年、16歳の少年の計3人が遺体で見つかった(*7)。

この事件を伝える翌日の朝日新聞宮城版では、園長が亡くなった3人について「どうして焼け死んだのか分らないが、三人は口のきけない一番知能の低い子供たちなので、いったん外に出てから火の中に入って行って煙に巻かれたのではないかとも考えられる」と語っている。

この火事から3ヶ月後の1957年2月12日。

仙台市にある旅館の白萩荘(*8)に、宮城県内から教育・福祉関係者ら200人あまりが集まった(*9)。

精神薄弱児福祉協会の設立総会に参加するためだった。

(敬称略)

[おことわり] 「精神薄弱」という言葉は現在では使われず、「知的障害」との言葉が使用されているが、当時の状況を示すために原文資料で使用されている言葉をそのまま使用した。

=つづく

もし、あなたが知らない間に子どもを産めない身体にさせられたら、どうしますか?

日本国憲法が施行された翌年の1948年にできた優生保護法で多くの人たちが強制不妊手術の犠牲になりました。対象とされたのは「精神分裂病」や「精神薄弱」「てんかん」など、遺伝性とされた疾患や障害を持つ人たちでした。その人たちは法制定の段階で「劣悪者」と呼ばれました。厚生省公衆衛生局通知(1949年10月24日付)では「やむを得ない限度において身体の拘束、麻酔薬の施用又は欺罔(ぎもう)等の手段を用いることも許される」とされました。つまり本人が嫌がって手術ができない場合は、身体の拘束や麻酔の使用だけでなく、だまして手術してもいいとされたのでした。

強制不妊手術の犠牲者は、統計に残るだけで1万6518人になります。

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[脚注]

*1 福祉事務所が作成した「児童記録票」の添付資料。「児童記録票」には様々な添付資料が含まれ、1959年9月から同年10月にかけて作成された。

*2 飯塚淳子への取材、2018年2月28日午後5時からの取材、仙台市内で。

*3 朝日新聞1956年12月12日付朝刊宮城版。

*4 朝日新聞1956年12月12日付朝刊宮城版。

*5 朝日新聞1956年12月12日付朝刊宮城版。

*6 朝日新聞1956年12月12日付朝刊宮城版。

*7 朝日新聞1956年12月12日付朝刊宮城版。

*8 現在のホテル白萩。当時は木造2階建て。1978年から現在の名称になったという。出典:ホテル白萩への取材、2018年2月24日午後5時28分から、電話で。

*9 河北新報1957年2月13日付朝刊。

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