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Vol.106 パワハラ対処はセクハラと違って相対的にすべき ―神奈川県立がんセンター問題を契機として(4)

医療ガバナンス学会 (2018年5月22日 06:00)


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この原稿は月刊集中5月末日発売予定号からの転載です。

弁護士
井上清成

2018年5月22日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

1.「当事者が不快に思えばセクハラ」

ここのところ、セクハラやパワハラに関する事件報道が連日のごとく続いている。医療機関においても、セクハラやパワハラにまつわるトラブルが多くなっているように思う。
たとえば4月19日付け神奈川新聞に、「財務次官セクハラ疑惑『被害者きちんと守って』横浜・林市長」という見出しの記事が掲載されていた。
「横浜市の林文子市長は(筆者注・平成30年4月)18日の定例会見で、財務事務次官のセクハラ疑惑の調査方法を巡り、『当事者が不快に思えばセクハラ。被害を受けた方は大きな苦痛を持っているというのが原点。被害者をきちんと守ってあげるべきではないか』などと述べ、被害を受けた女性記者らに情報提供を求めるなどの調査方法を批判した。」
という記事である。

林市長の会見の通り、確かに「当事者が不快に思えばセクハラ」と言ってよい。つまり、「セクハラ」は、被害者を基準として、いわば絶対的な規制ととらえるべきなのである。これが現在の基準であろう。この点、財務省の調査方法などの対処の仕方は、セクハラを加害者側その他の諸事情をも踏まえたいわば相対的なものととらえていた当時のものであって、いわば過去の基準であった。
財務省は、現在の基準(セクハラはいわば絶対的な規制)にのっとって対処すべきであったにもかかわらず、過去の基準にのっとって対処しようとしたために非難されてしまったのである。絶対的にとらえるべきセクハラを、同じハラスメントだということで誤って、相対的にとらえるべきパワハラの基準で対処しようとしてしまった。要するに、セクハラの対処方法とパワハラの対処方法とを同一の基準だと勘違いしてしまっていたのではないかと思う。

つまり、逆に、パワハラについては、セクハラとは違って、「当事者が不快に思えばパワハラ」とは言い切れないのである。

2.いわば絶対的、いわば相対的

ハラスメントとは、一般に、「嫌がらせ、いじめ」を言う。直訳すれば、悩ませることである。代表的なものが、セクシャルハラスメント(セクハラ)とパワーハラスメント(パワハラ)の2つであろう。しかし、すでに述べたように、同じハラスメントだからと言っても、規制その他の対処方法は同じでない。セクハラはいわば絶対的なのに対して、パワハラはいわば相対的なのである。
セクハラの定義では、一般的に、「相手方の意に反する性的な言動で、それに対する対応によって、仕事を遂行するうえで、一定の不利益を与えたり、就業環境を悪化させること」と言う。最も特徴的なところは、「相手方の意に反する言動」の部分と評してよい。相手方の「望まない」言動で、「不快」なものを言う。これは、たとえ相手方本人が「応じて」いても「望まない」言動であれば該当する、というものである。相手方本人にたとえ「明確な意思表示」がなくても「抗議・抵抗」がなくても、それが「望まない」「不快」な言動であれば、それだけで「相手方の意に反する性的な言動」に該当してセクハラになりうる、と考えてよい。いわば絶対的、と評しうるゆえんである。

ところが、パワハラは同じでない。職場のパワハラの定義は、一般的に、「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」だと言う。なお、ここでの「職場内の優位性」には、上司から部下に行われるものだけでなく、先輩・後輩間や同僚間などの様々な優位性を背景に行われるものも含まれている。一見してはなはだ広いのではあるけれども、セクハラと比べて最も特徴的な点は、「業務の適正な範囲を超えて」という限定が入っていることであろう。

セクハラは、いわば絶対的に形式的・機械的に規制されねばならない。しかし、パワハラは、セクハラとは異なり、いわば相対的に実質的・比例的に規制されるに過ぎないものと言えよう。

3.「パワハラ」と「叱る」の境界

なぜセクハラが絶対的に規制されるのかと言えば、職場において仕事をするのに「性的な言動」は全く要らないからである。だからこそ、形式的・機械的に規制すれば足りるのであり、実質的・比例的な判断は要らない。
ところが、パワハラにおいては事情が異なる。たとえば、個人の受け取り方によっては、業務上必要な指示や注意・指導を不満に感じたりする場合でも、これらが業務上の適正な範囲で行われている場合には、パワーハラスメントには当たらない。結局、ケースバイケースの判断となるのである。ただ、実務的な目安としては、そのような指示や注意・指導が当該の職場において当該の仕事をするのに必要な言動であるかどうか、という判断基準が有用であろう。そのような指示や注意・指導をしなくても、具体的に想定できる他の別の代替の方法をもってすれば、当該の職場において当該の仕事をするのに十分に足りたであろうならば、そのような指示や注意・指導は「業務の適正な範囲を超えて」いたのではないかと疑われることになるという基準である。

「同僚の目の前で叱責される。」「必要以上に長時間にわたり、繰り返し執拗に叱る。」といった事例が、よく「精神的な攻撃(脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言)」の典型例として挙げられよう。しかし、医療機関においては、パワハラと言われるのを恐れて部下を叱れない上司がいたとすると、そのために同様の失敗を部下が繰り返しかねず、ひいては、そのしわ寄せが患者さんに行ってしまいかねない。そのしわ寄せは、まさに患者さんの命にすら関わりかねないのである。

したがって、必要な指示や注意・指導が抑止されてしまわないように、「パワハラ」と「叱る」の境界を明瞭に線引きすべく、各々の医療機関で相対的にかつ実質的・比例的に「具体的に想定できる他の別の代替の方法」を見い出すよう常に心掛けていくべきであろう。
(なお、もしも「パワハラ」を絶対的なものととらえてしまうならば、それを濫用的に院内抗争の具にも使えることとなってしまいかねない。さらに、実際にも散見される。特に注意を要するところであるので、このことを最後に付け加えたい。)

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