医療ガバナンス学会 (2018年6月8日 06:00)
今、世界はめまぐるしく揺れている。その国の為政者が変わることにより、世界中の国々の在り様が、まるでジェットコースターから観る風景のように変わり、それにつれて、世界が動く。米国・ロシア・中国・EU・朝鮮半島、中東諸国しかり・・。まるで夕刻の空、青から藍に、そして漆黒の夜へと変わるグラデュエーションのように、揺れ動く。
一方、日本の首相は年頭の会見で、“新しい時代への希望”という言葉を用いて国民に訴えた。爾来、“新しい時代の希望”ということについて考えている。自分は、歴史や、まして政治・経済について詳しいモノではない。ただ、地域に車を駆りながら想いを馳せているだけだ。想いを馳せる中で、首相が言う新しい時代とはいつの事なのか。10年後、20年後、あるいは、もっと先の22世紀のことなのか。宰相が見つめている新しい時代はいつなのか・・。そして、この国の人々にとって希望とは何か・・。それは、彼の目にはどのような姿で映っているか。首相がこの国をドライブしてきた経済成長と安全保障というテーマは(重要だが、当然のことながら、あくまで国民が幸せに暮らすためのツールである。金が目的ではなく、手段であるのと同じように、そのツールを有効にリードした結果、達成できるはずのわが国の未来における希望の姿(ビジョン)は、宰相にはどのように映っているのだろうか。
戦後70有余年、日本の首相は(以下、敬称略)、第42代の鈴木貫太郎から第98代の現・安部首相まで、再任・復活を含め、計35人が務めている。1867年前後の内戦を経て、西欧列強からの独立、アジアの覇主を目指した戦前の時代から敗戦を経て、1945年のポツダム宣言受諾により、米追従型の政治運営を余儀なくされた中で、どのような未来を、時の首相は思い描いてきたのだろうか。35人の首相の中で、3年以上その職に在った人は(敬称略)、吉田 茂、岸 信介、池田勇人、佐藤栄作、中曾根康弘、小泉純一郎、安倍晋三の7名である。およそ、この7名の歴代首相が描いた国家観(ビジョン)がこの国の今の在り様を決めてきたと言ってよいのではないか(もちろん、在任期間が、3年以内でも、田中角栄のように、閣外からも強い影響力を保持し、日本の歴史の中で強烈でかつ様々なインパクトを国民に残した宰相はいるが・・)。
戦後から1950年代(吉田・鳩山・岸)までは、いかに敗戦国となったわが国の国体を維持し、国際的に存続できるのか、安全保障上の課題が喫緊かつ最重要なテーマであった。吉田 茂はサンフランシスコ講和会議に参加し、日米安全保障条約に署名した。続く、鳩山一郎は、所謂55年体制を創る一方、日本の独立確保という視点から再軍備を唱え、憲法改正を公約にしたが、実現には至らなかった。岸 信介は、首相となる以前の1950年代初めから、今に繋がる自主憲法制定・自主軍備確立・自主外交展開を主張したが、首相になってからは現実路線としての日米安保体制を選択し、これに尽力した。
1960年代に入り政権が池田勇人に移ると、国防は一段落(?)し、占領期における急速経済成長から「所得倍増計画」を基調とする高度経済成長へとその主軸は経済政策に重きが置かれた。勿論、その背景にはわが国を取り囲む様々な国際情勢があった。1970年代には田中角栄の登場により、日本列島が改造された。高速道路や新幹線、国内航空路を整備して、日本各地にミニ東京を創ろうとしたこの政策は、かつてないほど、この国の経済成長を促した一方、その後の地域間格差を生む結果となった。
田中を継承した大平正芳は、それまでの安全保障・経済成長路線の成果を踏まえた上で、この国の将来に向けて、戦後初めて明確なビジョンを示した(田園都市国家構想)。その想いは1979年の施政方針演説で、「私は、都市の持つ高い生産性、良質な情報と、民族の苗代ともいうべき田園の持つ豊かな自然、潤いのある人間関係を結合させ、健康でゆとりのある田園都市づくりの構想を進めてまいりたいと考えております」。この田園都市構想は、それまでの復興路線とは異なり、わが国の将来の在り様を示したビジョンとして評価したい。この大平のビジョンは、自然を大切にし、そこで生まれる暖かなコミュニティを日本の発展の礎に据えていこうというものであり、21世紀に繋がる1980年代以降の日本の希望の姿を想い描いたものだったと思える。
以後、中曽根を継いだ橋本龍太郎は、大平のビジョンを具体的な形で「21世紀の国土のグランドデザイン」として示した。この提言は、“21世紀に向けて、日本は地域の自立の促進と美しい国土の創造をめざし、歴史と風土の特性に根ざした新しい文化と生活様式を持つ人々が住む美しい国土、庭園の島ともいうべき、世界に誇りうる日本列島を現出させ、地球時代に生きる我が国のアイデンティティを確立する”この国の決意を示したモノであった(はずである)。一方で、橋本内閣は日本経済を活性化させるための金融制度改革に乗り出し、新しい金融システムにも着手した(金融ビッグバン)。銀行を中心とした護送船団方式の金融システムにメスを入れ、幾多の規制改革を行い、銀行、証券会社、保険会社などの垣根を次々と取り払った。
さらに、小泉改造改革では、レーガン、サッチャーの新自由主義政策をわが国でも推進し、その規制緩和は雇用政策にも及んだ。その中には、派遣労働の自由化も含まれ、結果、リーマン・ショックを経て、大量の派遣労働者が契約を解除され、定職を失う結果となった。アメリカンドリームという、だれでも豊かになれるチャンスがある一方で、光と影の、その影の部分である本当に貧しい人たちが増え、格差がどんどんと大きくなった。その後も内政は、前述のバブル後の「失われた10年」を取り戻すべく、金融再生プログラムに取り組み続け、公共事業の削減とともに社会保障費の抑制にも取り組み、幻想の果てとして、第一次安倍内閣に至る。
安倍首相はその政治理念を「美しい国へ」「新しい国へ」へという文章にまとめている。その言葉からわかるように彼は情念の人である。小泉政権が合理性をその政策の根本においたのとは対称的に、安倍首相は、「今の日本では、損得が価値判断の重要な基準となり、損得を越える価値、 たとえば家族の絆や生まれ育った地域への愛着、国に対する想いが、軽視されるようになった」と総括する。そして、美しい国を創るためには、まず教育が大切と考え、教育基本法の改正に着手した。その骨子は公共の重要性、自然の大切さ、伝統と文化を強調するモノである。健全であるが、教育勅語に通ずるこの教育論の現代における是非の重要性の議論から離れ、今、国民の関心が違った方向(森友、加計、文科省の現場への介入など・・)に向けられている事も事実であり、残念な事である。彼の思い描いた次世代へと続く、この国の在り様がどうであるのか・・。どういう人創りをするのかといった本質的な議論が進まないまま、第二次安倍内閣となり、そのメインテーマは経済成長・安全保障となる。
長々と過去、わが国の時の首相の想い描いた日本の将来像について総括してきたが、ここで解ることは、現首相の政治理念は、これまでの戦後70年の宰相の理念の流れを踏襲していることだ。大切な事は、この理念、あるいは想い描く姿が、国民のあるいは(もっと重要だが)将来の国民の描いている姿、あるいは世界の在り様と一致しているか。リーダーは「大衆は愚かで、自分たちがリードしなければ、将来の国益はない・・」と考えているかも知れないが、国全体があるべき姿をめざしていくためには、リーダーやその周囲にいる人だけではなく、国民にも相応の覚悟と決意が必要な気がするが、いかがだろうか・・。
踏襲という言葉を使ったが、現首相の理念は、踏襲と言うより、もっと深い所に在るのかも知れない。彼の祖父である岸信介が想い描いた姿は、本質的にはその同士である安岡正篤のモノと一致する。安岡は戦前「金鶏学院」を設立。その後、日本主義に基づいた国政改革を目指すとした「国維会」の設立。戦後、一旦は公職追放されたが、1950年の解除後は、全国各地を巡っての講演、講話などを通じて、東洋古典思想の普及活動を行いながら、日本主義をめざす次世代のリーダーの育成に取り組んだ。1958年には前述したように、岸信介らとともに、この思想に基づく「新日本協議会」を設立し、安保改定運動や改憲運動などに積極的に関わった。安岡自身は常々、自分のことをただの教育者にすぎないと語ったそうであるが、その思想は、まさに、脈々として、以後の政財界の中心にある人々に受け継がれ、現在においても政財界の中枢に在る人達の根源的な思想・国家観形成に大きな影響を与えている。例えば、日本会議、JCしかりだ。
日本主義の是非を論じるのはこの稿の主旨ではない。いろいろな考えを認めることこそ、近代民主義国家の礎である。要は、森友・加計以後の問題は、公文書云々の話以上に、森友、あるいは日本会議・JCの支持する国家観を、リーダーあるいはその取り巻きに居て、この国をリードしている人達が是としているかどうか、そして、一方、それに対して、国民はどう考えるかを明確にしなくては、事の本質を見失ってしまう。
歴史は、振り子のように揺れ動き、あたかもその上に在る自分達自身は地球が回っているのを認識できないように、その振り子の上にある時、それが揺れ動く振り子とは思えない。時代は、たった70年の間にも大きく揺れ動き、そして、なおかつ恐ろしいスピードでその加速度を増す。今では、国と国の境、あるいはその文化の違いはボーダレス化し、主権国家としての国の存在より超国家単位で世界は動いている。多民族国家が建設される一方、民族・宗教の違いによる争いが世界の脅威となっている。結果、今、大国と呼ばれる主権国家は、その国の利害関係で世界を再構築しようとしている。今一度、この国にとって、グローバリズムとは何か、ナショナリズムとは何かを国民全体で考える必要があるのではないか。
まずそのために描くべきビジョンは、社会資本としての教育と福祉が礎となる。そのために経済はある。間違えてはいけない。経済のために国民の教育や福祉制度があるのではない。次世代の国家観を醸成していく上で、教育の持つ役割は重要であり、時の宰相が考えている教育理念がどのようなモノか(それはあまり論じられていないように思えるが)とても大切な課題である。繰り返しになるが、色んな意見を言えるのが、民主主義の原則で、色んな意見を言えるのは重要である(が、世界の中では貴重なことだ)。そして、それがもし言えなくなるような日本だとしたら、もうこの国は諦めた方が良い。一部の思想にのみ囚われた政治主導の教育現場への介入があったとしたら、大変残念で、憂うべき事だ。繰り返すが、大切なのは、今、巷間問題となっているのとは違う所にある。公文書・忖度云々の話ではなく、この国のリーダーである現首相が籠池氏の教育理念、国家観を是としているのか、どうか、そして、それについて、国民はどう考えるのか、この事の方が、官僚個人の責任を追及するより、大切である気がするが、どうだろうか。
終戦を迎えるに当たり、この国は唯一の被爆国となった。そして、その後70年の間に、この国は、世界でも未曾有とも言える2つの震災を経験し、後者の原発事故による影響は、その被害地、東北だけでなく、今も全ての国民の心に深い爪痕を残す。そして、予測困難な事が歴史とは言え、未来年表の中で、唯一、確からしい事は30年後には、日本の人口は1億人を切り、そのうち38%(3分の1以上)程度が65歳以上(高齢者)となるということ、そして今始めても、原発の廃炉には、さらに10年(計40年)以上を要するということだ。
残念ながら、かつての宰相が思い描いた、美しい国・日本、暖かいコミュニティのある日本は、幻想となった。暖かで、美しいはずの地域は、どんどん失われつつあり、今や消滅寸前となった。地域コミュニティの核となる家族は離散し、若い世代は東京に集中し、地方に残るのは高齢者だけとなり・・そして、それも遠からずなくなる。
もう直ぐそこの話だ。長く権力の中枢にあれば、対局が見えにくくなる倫理のジレンマも、すでに過去の歴史の中で経験したことだ。繰り返してはならない。今、この国が、議論すべきは、まさに未来のわが国の希望の姿についてではないか・・どうだろうか。