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Vol.137 新しい時代の希望の姿(4)たとえばベーシックインカム(BI)

医療ガバナンス学会 (2018年7月6日 06:00)


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福島浜通り
永井雅巳

2018年7月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

いわきでの訪問診療も2年目となった。今では述べ約250名ほどのいわき市に居る高齢者の方(被災者の方も含め)と付き合わさせていただいているが、特別養護老人ホームやサ高住・グループホームなどの施設に居住する患者さんを除くと、80名ほどの患者さんの自宅を訪問させていただいていることになる。多くは、80歳代以上の夫婦二人住まいか、独居の方がほとんどで、常磐の湯本傾城と呼ばれる小高い丘の中腹に住み、笹枯れて滑る曲がりくねった細い坂径を辿った先にその家はある。
少なくとも築60年は経っていると想われる小さな家には、両親やさらにその両親の今ではセピア色に褪せかけた写真を誇らしげに鴨居の上に飾っており、あがり口から振り返ると、眼下には炭鉱として栄えた頃の街の名残を見ることができる。このような家では代々ご先祖を拝み、仏壇に手を合わせる習慣が残っている。なぜ、こんな不便な所にずっとという疑問は、まもなく解けた。ここは彼ら彼女らにとって、紛れもなく城なのだ。城であれば、山になくてはならないし、子孫は代々その城を守り続けなければいけない、しかし、その城を守る人ももうじき居なくなる。

さて、すでに周知のように、今、世界の色んな地域で、“ベーシックインカム(BI)”という社会保障制度についての実験的な取り組みが行われている。この概念を遡れば、1600年代のイギリスにおける救貧法という貧困政策に行き着くらしいが、現代のBIがめざしているのは、決して貧困政策ではなく、安定国家を創るための政策である。簡潔に言えば、年金や雇用保険、生活保護などの個別対策的な社会保障制度は廃止し、国民一人一人に最低限度の生活を保障するために、現金給付(クレジット)を行うものである。
財源は基本的には国の税収であり、自由主義、経済主義の元に行うモノであるから、頑張った人には、勿論、頑張った分から社会資本への還元分を引いたモノが個人のもととして保障される。あくまで、結果平等ではなく、機会平等とするための考え方だ。最低限度をどこにおくかが大切であるが、BIの線引きは、社会的な弱者が、ちゃんと生きていける所に線を引く。詳細は、すでに様々な刊行物が多くあるので参照していただければ良いが、一般にBIの利点は以下に要約される。
(1)社会保障制度の簡素化、一元化により、行政コストを大幅に削減できる。
(2)一定の所得を件に保障することにより、生活保護を受けるほどは困窮していないレベルにある貧困層(所謂ワーキングプア)に対しても社会保障を受ける機会を提供できる。
(3)一定の所得を無条件に保障することにより、生活保護を得るために働かない状態を維持するような負の動機付けがなくなる。
(4)様々な理由により生活保護が得られていない貧困層(例えば、売れるに売れない先祖代々の土地を継承している地方の人々にも無条件に保障され、また現行制度の不公平とも思える生活保護の支給もなくなる。
(5)(税の徴収法にもよるが、)富裕者の中で眠っている資金が中産階級以下に再分配されることにより、市場景気が回復する等々・・。

デメリットとして言われている事も多くあるが、すでに公刊されているものを参照いただきたい。BIの主たる課題は財源となるが、既報によると、日本では月額5万円程度のBIであれば、増税せずとも年金・生活保護・雇用保険・児童手当などの置き換えで可能という試算もある。実際は月額5万円では生活困難者も多くいると思えるので、何らかの冨の再分配システム(税制)の見直しが必要であろう。

注目すべき事に、このBIの導入に積極的に取り組んでいる諸国や地域は、必ずしも、GDPから見た冨の多い国ではない。フィンランド、オランダ、カナダ、スイスなどの一部地域で、一部の対象者に対して、一定期間に限って社会実験として行われている場合が多い。積極的に向き合っているのは、むしろ、GDPを国家、地域の生活指標している地域ではなく、(単なる経済指標としてのGDPからみれば)、むしろ、中程度の国である。
経済は一部の富裕層のモノだが、国民の幸福度志向から見ればたいしたものではない事を、リーダーが認識している地域である。例えば、中国では著しくGDPは上昇したが、国民の幸福度指数は逆に低下している。もちろん、リーダーのめざすべきはGDPの上昇ではなく、国民の幸福であることは疑いないことだが、現代では見失われたり、忘れている事も多い気がする。では、GDPが高い国(米、中国、日本、ドイツ、イギリス)では、なぜBIの導入に消極的か。

理由は、前述したように、冨の多くなった国では、富裕層が、政治的にも影響力を持つので、この階級を動かす(例えば、国民全般に亘る税制改革)のは政策決定プロセス上、至難のことだからだ。国際的には今でも高いGDPを持つ日本も、この考えを進めるのは容易ではない。なぜなら、戦後、富裕層の多くは、一旦は解体されたが、歴史の誤謬により、再び復活した旧財閥系、それにもたれあう政界・学界など、ごく一部の富裕層やエリート層の間で政策決定がなされ、富の分配の行方が決定される。一部、権力を得た人には、残念ながら、対局にある考えは見えなくなる倫理的ジレンマが存在し、権力に在る人、あるいは富める人達の閨閥関係者、お友達のみが、次世代にも権力を握る人、冨を得る人となっているからだ。

現在、高齢者主体の地方は遠からず、その高齢者も居なくなり、そして消滅する。たった100年の間で、時の権力者の間で揺れ動いた東の社会主義、西の資本主義が辿った歴史的御廟を繰り返す必要はない。左でも右でも、上でも下でもない社会、未来の希望の姿が、この国で創れないかといった本質的な議論が求められているように思える。
ランドルフ・ネッセは、「希望とは努力が報われると思うときに生じ、絶望は努力してもしなくても同じだと思うときに生じる。」と説く。高齢者の大多数は絶望し、若者の多くは、その現実を見て、しらけている。また自分たちの将来の姿さえ見えにくくされているのだ。次世代のリーダーは何をすべきか、今、考える時だ。

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