医療ガバナンス学会 (2018年8月30日 06:00)
1.製薬会社は薬の宣伝を目的の一つとして、多くの資金を講師料などで医師へ提供している。国民皆保険の元、資金の源は国民の税金にある。
2.合法な資金提供でも、医師の判断に影響を与え、不要な処方の増加などにより、患者さんや社会への不利益に繫がる可能性はある。
3.節度ある資金提供の実現には、実態の透明化・情報公開が必須だが、日本では未だ不十分であり、国民みんなで声を上げる必要がある。
*本稿は、2018年8月25日に開催された、特定非営利活動法人ワセダクロニクルと特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所が主催した緊急シンポジウムでの発表を元に作成しました。
http://www.wasedachronicle.org/event/c16/
1. はじめに
製薬会社からのお金が医師に渡るとはどういうことか、また、その情報をなぜ公開する必要があるのか、が本稿のテーマです。上・中・下の3回シリーズで、薬を処方する一般の内科医の立場から考察してみたいと思います。しかし、何かにつけ人間は偏見を持ちがちです。そこでその前に、なるべく視野狭窄に陥って偏った考え方にならないよう、少し俯瞰的な話から入らせて頂きます。
ミケランジェロが16世紀初頭に描いた、バチカン市国のシスティーナ礼拝堂の天井画は、皆さん、どこかで目にしたことがあると思います。中でも、中央にある大画面の、天地創造の第1画面は特に有名です。右側に天使に囲まれた神様が配置され、空を飛びながら右手を左方向に差し伸べています。その指先には、裸のアダムが横たわって神様を見上げ、左手を神様の人差し指へと差し伸べています。
通常は、神様が人間を土から創造したときの聖書の一場面を描いた、と解釈するのが一般的だと思います。つまり右の神様から、左の人間への動きです。ところが、何の本で読んだのか思い出せないのですが(ご存知の方がいらっしゃれば教えて下さい)、これは、本当は逆なのだ、と説いている方がいます。左の人間から、右の神様が想像されて出来たのだ、というのです。つまり、逆の動き、左の人間から、右の神様へ、という訳です。
私はそれを読んで、確かにその通りだ、と膝を打ちました。人間は本当にはないもの、想像上の産物、神様のような権威を必要とします。そして、みんなで想像上の権威を共有し、社会を作り上げる能力があります。想像上の産物は国家や宗教、お金だったり、共産主義や資本主義だったりする訳です。医者の世界で言えば、学会や医局、お役所といった組織や、専門医とか大学教授といった肩書きもそうかな、と思います。これ以上は本題からずれるので、この話は追及しませんが、ご興味のおありの方は、ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」や「ホモ・デウス」、マット・リドリーの「進化は万能である」、リチャード・ドーキンスの「神は妄想である」といった辺りを読まれることをお勧めします。
要するに、何が言いたいかというと、人間、特に男性は権威を求めるということです。そして、その周囲も権威に対してお金を払うということです。今回の製薬会社の話で言えば、会社は権威を利用して薬を宣伝するため、医者にお金を払っているのです。これには、先ほど申し上げた、人間の想像力、権威を必要として社会を作り上げる習性が大いに関係している、というのが私の見方です。
権威や肩書きに人間は弱いものです。お医者さんも例外ではなく、専門医や大学教授、病院長や学会長、お役所の有識者といった権威や肩書きを重視します。勿論、そうでない方も多勢いらっしゃいますが、かくいう私も内科専門医を名乗っている訳で、同類であることは認めざるを得ません。
現在の医学・医療は、厳密な科学に裏打ちされている、というイメージを皆さんお持ちかもしれませんが、案外そうでもありません。病気の治療をする上で、医学的にこれが正しいという唯一の科学的な正解があれば、何も権威に頼らなくても、場合によっては素人でも、勉強すれば算数のように正解に辿り着けます。しかし、現実の世界は白黒が付けられない、正解のない中で臨床的な決断をしなければならない場面が多くあります。
そういう時にどう判断したらいいのか、医者でも迷います。そこで、権威が登場する訳です。この大学教授がこう言っています、学会のガイドラインにはこう書いてあります、という話が大きな影響力を持ちます。業界用語で、キー・オピニオン・リーダーと言ったりします。では、その権威は何を根拠に方針を決めているのか。その曖昧な判断に影響力を与えようというのが、権威ある人へ向けての製薬会社からの資金提供、薬屋さんからのお金の動きの一面ではないのかと考えています。では、その部分も含めて、医療界の実情が少しご説明できればと思います。
製薬会社と医師の関係は、一般の皆様からすると医療の舞台裏、内幕の話で、なかなか関心を持って頂くのが難しい問題です。しかし、これは医療界の内輪だけで済ませる話ではなく、一般の皆様にも関係があります。日本は50年以上前から国民皆保険を導入しており、比較的安く、気軽に医療機関に受診できる、世界的にも恵まれた国です。これは途上国をみれば、また、国民皆保険のないアメリカのような国をみれば、決して当たり前のことではありません。
この素晴らしい制度を成り立たせているのは、国民みんなからの税金で、製薬会社の利益も元を辿れば、その多くは税金です。それが、日本の社会の中で、果たして最適な目的に使われているのか。また、皆様ご自身、皆様のご家族や親戚、友人は、いつかは医療機関にかかることになりますが、その時受ける治療で、高額な薬が無駄に使われたりすることは無いのか。そう考えると、これは国民みんなに関わって来る問題になることがご理解頂けるのではないでしょうか。
2.医師の処方の決め方
私は内科医師として20年以上働いてきましたが、内科の仕事は外科医のように格好よくメスを握ることはなく、ドクターXのようなドラマ映えする職業ではありません。勿論、血管カテーテルや内視鏡での治療など、外科に近い仕事をする内科医もいますが、私のような一般の内科医は、患者さんの話を聞き、診察や検査をして、最終的に処方、治療の薬を決めるのが主な仕事になります。手塚治虫先生のブラックジャックのような、漫画の主人公にもなれない地味な感じです。
それはさておき、医者が考えることは、患者さんの病気の種類や症状、年齢、性別、体格や内臓の働き具合、治療後の治り方、さらには本人や家族の考え方まで多種多様です。いろんな要素を加味しながら処方を決めるので、ある程度の大枠の選び方はあるものの、自動で一律に決めることは出来ません。将来的には人工知能によって、内科医の仕事の一部も機械に置き換えられて行くと思いますが、今の所はまだそこまで進んでおらず、医者が患者さん一人一人に対応する必要があります。
医者の経験や考え方もそれぞれ異なるので、ある先生はこの処方だけど、同じ症状で別の先生にかかったら、また違う薬が出て来た、ということは全然珍しいことではありません。それでも、臨床では動物や細胞相手の基礎実験とは違って、いきなり誰もやってないことを始めるような人体実験は出来ませんので、処方が医師の間で異なったとしても常識的な枠内に収まっています。その常識的な線を医師がどうやって勉強していくかというと、おおよそ次のようになると思います。
列挙してみると、教科書、臨床ガイドライン、医学雑誌・論文、周囲の医師の影響、自らの臨床経験、そして製薬会社の営業も含んだ情報提供となります。多くの場合、それぞれ一長一短があるため、どれか一つだけで決定的に決まることは少なく、それぞれを総合的に考えて処方が決まって行きます。例えば、教科書やガイドラインでは、その時々の標準的な病気の考え方や治療法が書いてあり、まず身につけるべきものです。ただ、現代の医療ではどんどん新しい発見や治療法が出てくるので、10年も前のものを使うことはなく、数年おき位に改訂されて行きます。しかし、それでも最新の治療法に追いつかないこともしばしばですし、人間の体は標準に当てはまらないことがよくあります。若い人にはいい治療でも、80歳、90歳の方や複数の病気を同時に持っている人には問題がある、なんてことは日常茶飯事です。
そのため、もっと細かく最新の情報を探そうとすると、医学雑誌や論文の出番になります。ただし、これも問題があって、医学生物学の雑誌は、日本語のものだけでも数百種類はあるでしょうし、英語の雑誌は世界中で1万以上はあるでしょう。そこに毎週、毎月で、年間数十万本以上の論文が発表されるので、とても人間が読める数ではありません。
ただし、雑誌や論文からはいろんな詳しい情報が入手出来るので、特定の病気の状況や治療に焦点を合わせれば、非常に有益な知識を得ることができます。とにかく数が多いので、勉強として論文を読む場合は、医学分野で質と影響力が高い最新情報を載せる雑誌を選びます。そうすると、どうしても英語の雑誌になり、世界最高峰の質があると言われる、アメリカのニューイングランド医学誌やイギリスのランセット、あるいはその日本語の解説を中心に読むことが多くなります。ただ、これも欠点はあって、欧米の情報をそのまま日本人には使えないこともあるし、論文が多少出ても、後々それを検討すると実は間違っていたということも時々起こる訳です。
そこで周囲の医師や自分自身が実際に治療した経験というのも非常に重要な意味を持ってきます。5年、10年と臨床の経験を積んで行くと、様々な患者さんの違いを自然と学んで、経験知として蓄積され、常識的な治療法が身に付いて行きます。教科書や論文で上手く言葉に出来ないような暗黙知はやはりある訳で、決して軽視は出来ないと思います。ただし、これも問題があって、一人の医師、そのまわりの数人、数十人の医師が経験できることはやはり限られています。また、人間の自然治癒力や偶然の力もあるので、必ずしも薬の力でなく、たまたま良くなったということも起こり得ます。そこで、色んな情報をバランスよく取り入れて、総合的に判断する能力というのが、医者の重要な資質の一つになる訳です。
ここで最後に挙げるのが、製薬会社からの営業も含んだ情報提供です。薬のことは、何と言ってもそれを作って売っている製薬会社が一番詳しいので、会社からの情報も決して軽視出来るものではありません。一般の大衆薬の場合は、患者さんが自ら選んでドラッグ・ストアで買うことが出来ますが、処方薬は医師が診察した上での処方箋が必要になります。このため処方薬を販売する製薬会社の顧客、お客さんは、患者さんではなく、お医者さんということになります。法律上も、製薬会社が直接患者さんに宣伝することは禁じられており、薬の宣伝はお医者さんに対して行うということになります。本当のお客さんは患者さんなのですが、専門性の高さから、医師がその仲介人となって代理で判断して薬を提供する、という形になっているとも解釈できます。(中へ続く)