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vol 58 朝日新聞「医を創る」に報道された医療トラブルに対する感想

医療ガバナンス学会 (2010年2月19日 11:00)


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済生会宇都宮病院
中澤堅次
2010年2月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


1月29日朝日新聞の「医を創る」で名古屋大学の術後死亡をめぐる医療トラブルが詳細に報道されており、趣旨は厚生労働省が推進する医療安全調査委員会設置法案の成立を求める内容だった。その記事に関する感想を述べる。
文中のトラブルは、幼児の発育障害に伴う、重い合併症の回避を目的に手術が行われ、術後数日で死に至った。家族は院内調査の結果に満足せず、病院から勧められた病理解剖を断り、警察に解剖を要請したが実現しなかった。家族は他大学での解剖を要請し病院は断わって交渉が決裂、遺体はそのまま4ヶ月にわたって病院に保管され、その後に中日新聞が介入し事件が公表され、結局愛知県医師会が運営する解剖システムで4ヵ月後に解剖が行われ死因を究明中という。病院側は過誤を認めず、解剖の結論はまだ出ていない。記事は同病院が別のケースで、隠さない、逃げないという方針で院内調査を行い、うまく問題解決ができた事例を引き合いに出しながら、このような例もあるから院内調査には限界があるという結論を導き、厚生労働省が準備中の医療事故調査委員会の法制化が、民主党の政権交代で危うくなったことを問題視している。
このケースには、第三者の医師を含む院内調査が行われ、予期せぬ結果に対しての謝罪と協力体制の不備など、病院方針にそって透明度のある調査と反省がされ、報告がされたようであり、病院は過誤の存在を認めていない。院内調査の結果に納得いかなければ次の手段は訴訟または告訴というのが現在の司法手続きである。過誤の存在を疑う家族が希望する解剖は、犯罪を疑うとして被害届けを出せば司法解剖という手続きで解剖は実現したかもしれない。医療側が届ける必要が無いと考えているケースでも、現実は告発により刑事事件として捜査は行われる。
本来、医療事故は故意の犯罪と区別されるべきであるが、現状も、また検討されている医療安全調査委員会設置法案もこの区別はない。調査委員会が出来ても、通報により医師は容疑者として捜査を受け、殺人罪の弁明に追われ、無罪を勝ち取っても深く傷つく事態は変わらない。犯罪を疑うのであれば、犯罪者を告発するという明確な意図と責任を持って行動してもらいたいし、犯罪を疑わないが納得を求めるのであれば相手は当事者の病院である。カルテ開示を行い、疑問点を明確にして再度文書で説明を求め、それでも納得がいかなければ、弁護士を入れて民事の訴訟にすることは現在でも可能である。
解剖を他の医療機関に依頼することは、医学研究の目的であれば日常的に行われている。しかし、犯罪を疑われる捜査のために解剖を同業の他の医療機関に頼むことは、朝日新聞で起きた問題調査を、透明性確保を理由に読売新聞に解明を依頼するという事態に近い。信用の無さも痛感するが、これを法的に義務つけると、問題は泥沼化することは容易に想像される。またそれだけの根拠を解剖に求めても、割り箸事件のような決定的な証拠がでることは極まれであることも理解して欲しい。
生きているときに行う医療と、死んだ後の解剖は方法論的に天と地の差がある。生命の保持を前提とする医療は、生命維持の必要が無くなった後の解剖と同じ基準は使えない。また死後の解剖で、生前の生態メカニズムを再現することも不可能である。したがって、解剖に基づく議論の大半は推測でものを言うことになり、医学的な研究には用いられても、犯罪確定の手段としては万全ではない。解剖に重きを置いた死因究明で得られる証拠は遺族や本人の幸せや納得には殆んど寄与しない。大掛かりで面倒な実りのない社会システムがまた一つ追加されるだけである。
記事は以後遺体の引取りをめぐって不幸な展開を示す。遺体は引き取られることなく病院が保管することになり、この事態はその後中日新聞の介在でトップ記事という展開になり、最終的に医師会が運営する死因究明のための解剖が4ヵ月後に行われたという経過らしい。医療者で無くとも目を覆いたくなるような次元に発展してしまったと感じる。
記事の論旨を理解するのに何度か読み返したが、最終的に事故調設立の議論であることがわかる。腹腔鏡の手術事故で、透明度の高い院内調査で評価を得た名大病院が、患者側の不信を買った。だから院内調査は意味が無いとしている。今回の事例は記事を読む限り、院内調査によって起きた問題ではなく、困難な病気に伴う深刻な事態に対して行なわれた手術死に関連し、病院側はミスを認めず、過失が無いという病院の説明に家族が納得しない事例といえる。被害を受けた人が最愛の人であればあるほど家族の悲嘆は大きいが、家族の悲嘆の原因は医療の失敗によると言い切ることは出来ない、辛いことであるがそのような現実もある。
両者の齟齬について社会は司法による解決を準備している。公平に判断されるのであれば一国民としてそれに従うことに異存は無いが、刑事訴追は家族の満足にも再発防止にも役に立たず、病院が病人を相手に戦うのは医療にとって最悪の事態である。遺族の悲嘆に着目した北欧では、医療の不完全性を認めた上で、被害者救済に無過失保障制度を導入し国民の理解を得ているが、日本の世論はまだその域に達していない。
記事は一変して民主党の批判に変わる。民主党案を基に制度が出来ると、こうしたトラブルは頻発するだろうという。民主党案は病人の権利に基づいて隠蔽改ざんを禁止し、医療事故と犯罪を区別して扱い、院内調査を主体とする当事者同士の問題解決を基本においている。隠蔽改ざんはそれだけで罪ということを法的に規定した病人権利の基で、院内調査の精度を高めれば事故被害者の納得につながることは、同じ名古屋大学が実例をもって示している。
厚労省の推進する案が通れば、過失の有無係らず、職務遂行上に絶えず起こり得る死という結果に、医師や医療者は、悪意や意図が無くても殺人罪を問われることになる。病人の生命のリスクに責任を負わず、正統な資格も無い官僚や同業者の調査を受け、簡易裁判で罪が確定する。冤罪におびえながら救命にあたる医師はいないし、罪の意識を持つ良識ある医師も苦しみながら現場を去る。人の死をは関わりのない世界で、誤りを犯さず、犯しても責任を問われることもない人たちによって、形だけの安全社会が形成され、憎悪の感情だけが国民の間に醸成される。病院は今まで培ってきた誤りに学ぶという現場に根付きつつある安全風土を捨て、他人の誤りだけを強調する最も危険な組織に変わる。技術の改善も、教育も、倫理も、培ってきた医療の全てに渡る前提条件が根底から崩れることを予感する。
透明性確保を理念に必死で取り組んでいる名古屋大学のような病院を、対応のまずさをかたにつぶさないで欲しい。日本における医の倫理、事故の問題解決はまだ始まったばかり、大学や病院内部にも公表反対の勢力があり一進一退の状況もある。本当の変化はこれからである。長い目で医師の透明性と倫理意識を育てる努力を見守って欲しい。医療版事故調査委員会はこれらの努力を一蹴する打撃となる構造を持っている。名大病院には、せっかく始まった努力の芽を踏みつけられる様なことがあったとしても、隠さない、逃げないという理念を貫き、自らと病人との問題に向き合って欲しいと願う。

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