医療ガバナンス学会 (2019年6月18日 06:00)
NPO法人医療制度研究会・理事
元・血液内科医 平岡諦
2019年6月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
●「パターナリズム」、「インフォームド・コンセント」は「薬害エイズ事件」から:
「薬害エイズ事件」とは、1980年代、ウイルスを不活化していない濃縮血液凝固因子製剤(非加熱製剤)を治療に使用したため、血友病患者を中心に多数のHIV感染者およびエイズ患者を生み出した事件である。非加熱製剤によるHIV感染の薬害被害は世界的に起きたが、日本では非加熱製剤を使った血友病患者の約4割、総数で約2,000人が、主に1982年から1985年にかけて、感染したとされている。このように多数の被害者を出したのは、次項で述べる「産・官・学のトライアングル」のために、「患者第一」の対策が遅れたためだ。
非加熱製剤の危険を認識した「官」(当時・厚生省)は研究班を発足させた。研究班代表に安部英・帝京大教授(「学」)を充てた。研究班は疑似患者を「エイズ患者とは認定せず」、すなわち危険を過小評価し、「非加熱製剤の輸入継続を認めた」うえで研究班を解散した。その結果、「産」(その代表がミドリ十字)が危険を承知で「非加熱製剤の販売促進」をすることになり、多くの被害者を出したのだ。
「学」による「危険の過小評価」、その評価に甘んじた「産」、「官」の不作為、それぞれの妥当性が裁判で問われた。事件後には、法による患者の人権擁護が図られた。「産」に対する、血液製剤を含む「製造物責任法(PL法)」(1995年施行)、「官」に対する、「感染症予防・医療法」(1999年施行)である。「感染症予防・医療法」では、社会防衛とともに、初めて患者の人権擁護が法律に規定された。「学」に対する規制は法に馴染まず、WMAヘルシンキ宣言に基づく「臨床研究に関する臨床指針」(2003年制定)など倫理による規制となった。このように、「薬害エイズ事件」は患者の人権擁護についてのターニング・ポイントとなったのだ。
事件後、人権意識の高まりとともに、被害者となった患者側からも動きが出た。それは、主治医にお任せの「パターナリズム」の医療から、「インフォームド・コンセント」、「セカンド・オピニオン」など患者の自己決定の医療への、医療界の民主化の動きであった。
●「産・官・学のトライアングル」の構造:
「官」は「国策」を実施するために「産」と手を結ぶ。そこには「天下り先」などの権益とともに、国家予算という金の流れが生じる。「官」は主導する委員会の委員に「御用学者」、「お抱え学者」を「学」より選ぶ。「産」、「官」から「学」への金の流れは、「学」の中に「御用学者」、「お抱え学者」を作る。こうして「産・官・学のトライアングル」ができ上がるのだ。そこでは、「国策」の決定過程は秘匿化され、その内容に国民および国民の代表である国会の意見が届かない、あるいは届きづらいことになる。「産・官・学のトライアングル」は、中央集権による「国策」が不必要になっても、既得権益を守るために続くことになる。
「産・官・学のトライアングル」は、国民からの批判をかわすために取られた方策、と言うこともできる。「官」主導の「委員会」に、「学」から「一見、第三者」を入れることにより「一見、公平・公正」と見せかけることができる。「官」から「学」への金(研究費)の流れも「一見、公平・公正」と見せかけることができる。見せかけの「第三者」、見せかけの「公平・公正」を暴きたくても、現状ではその手段がなかなか見つからない。
もう一つの金の流れが、「産」から「学」への流れだ。これが明らかになれば、「御用学者」、「お抱え学者」であることがハッキリするだろう。しかし明らかにすることは容易なことではない。
●「薬害エイズ事件」の影響は「医師の働き方改革」にも:
患者の人権擁護という、医療界の民主化のキッカケとなったのが「エイズ薬害事件」であった。その時、医療現場で何が起こっていたのか。「HIV感染症の場合、日本で患者が出はじめた1983年ごろ、医療現場でひどい医療差別が起こっていた。『診たくない、来ないでくれ』と、いたるところで医療忌避が噴出したのである」(家西悟編著『家西悟全記録 薬害エイズと闘う』解放出版社、2000、p.67)。
現場の医師による「患者の人権侵害」が起きていたのだ。血友病患者のHIV感染は治療薬剤で起こった感染症だ。患者は薬害被害者だ。それなのに患者は感染源としてさらに加害者扱いもされた。二重の人権侵害が起きていたのだ。
トライアングルの「学」に対する不信とともに、現場の医師による患者の「二重の人権侵害」は、社会に強い医療不信をもたらした。その結果、過剰な権利要求をするモンスター・ペイシェントやコンビニ受診の出現となった。モンスター・ペイシェントとは、医療従事者や医療機関に対して自己中心的な要求、果ては暴言・暴力を繰り返す患者や、その家族などを意味する。コンビに受診とは、一般的に外来診療をしていない休日や夜間の時間帯に、本来重症者の受け入れを対象とする救急外来に、緊急性のない軽症患者が受診することである。24時間営業のコンビニを利用する手軽さで、救急外来を利用するのである。このような状況で、特に、救急外来勤務医や救急診療の多い小児科医、産科医などの、「立ち去り型医療崩壊」の危機が起きたのだ。
「医療現場でひどい医療差別」を起こしたにも拘わらず、反省することも無い現場の医師たちを、世論が守ろうとしないのは当然の結果だろう。そのような「孤立した」現場の医師に対し、「過労死ラインをはるかに超える勤務時間」を「合法化」しようとしているのが、現在の「医師の働き方改革」である。これは「勤務医の人権問題」だ。本来、勤務医を守るべき日本医師会も(日本医師会には勤務医部会がある)、病院管理者の意向を優先させて勤務医を見放している。ちなみに日本医師会・横倉会長も病院管理者だ。今度は、患者に協力をお願いしながら、すなわち「過労死ラインを越えて、医療安全は守れない」をスローガンに、患者側からも声をあげるようお願いしながら、勤務医自身が立ち上がる(自立する)以外に道は無いだろう。それが医療界の民主化につながることにもなるのだ。
●「医師に流れる製薬マネー」の可視化:
不必要になっても、既得権益を守ろうとする「産・官・学のトライアングル」、これを潰すのは容易でない。一つの方策が「産」・「官」から「学」への「金の流れ」の透明化(可視化)である。しかし、その手段が見つからず、閉塞感の漂っているのが日本の現状である。
このような状況にあって、「産」から「学」への「金の流れ」に関する可視化が医療界から起きた。それが『医師に流れる製薬会社の資金』のデータベースの公開である。データベース構築の大変な作業については、次のような記事が紹介されている。「目を皿のようにしてパソコンに向き合い、小さい文字や数字を確認し、30万件を超すデータを整理したのです。和気藹々と作業が進んだわけではなく、教室は殺伐とした空気になり、学生からは覇気が失われていきます。近づくのが怖かったものです」。
この公開により、すでに「産」から「学」への「金の流れ」に変化が起き、学術集会など「学」のあり方が見直されつつあるのだ。また、患者の自己決定にも影響を与え、世論も動きつつあるようだ。「産・官・学のトライアングル」を潰すための好例になるかもしれない。データベース構築は大変だろうが、ぜひとも公開を続けて頂きたい。
●おわりに:
医療界の民主化は、「薬害エイズ事件」をキッカケに、患者の自己決定の要求に始まった。それは「パターナリズム」の医療から「インフォームド・コンセント」、「セカンド・オピニオン」の要求への民主化運動である。いずれも片仮名であることから判るように、海外(権利意識の強いアメリカ)から持ち込まれた運動である。立憲民主主義に基づく日本国憲法が「押し付けられた」、あるいは「与えられた」のと同じように。
「持ち込まれた」、「押し付けられた」、あるいは「与えられた」、いずれの言葉も、日本国民には自立、自律の考えが根付きにくいことを示している。しかし「カタツムリの歩みのごとく」ではあるが、日本の民主化は進んでいるのだ。「過労死ラインをはるかに超える勤務時間」の「合法化」という、「勤務医の人権問題」に対する勤務医の自立とともに、「医師に流れる製薬マネー」の可視化が、医療界の民主化だけでなく日本の民主化の大きな一歩となることを願っている。
『医師と製薬マネー』と題するシンポジウムが、関西で初めて開催されるという(6月30日午後1時開場、場所は灘高校・視聴覚教室)。是非、参加したいものだ。