医療ガバナンス学会 (2019年7月22日 06:00)
この原稿は月刊集中7月末日発売予定号からの転載です。
井上法律事務所 弁護士
井上清成
2019年7月22日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
2 第5分科会の開催趣旨
開催趣旨は、次のとおりである。
「行政手続における弁護士の関与業務の展開~健康保険医療、税務、生活保護の現場で~
これまで、弁護士は行政訴訟という形で行政処分に対して関与する場合が多くありました。しかし、行政手続にあってはその処分の速度が速い上、事後的な行政訴訟等の裁判では、その処分を受けた方の救済は極めて限られており、裁判に勝訴しても真の救済という結果・満足を得られない場合が多くあります。保険医指定の取消、課税処分・これに基づく強制徴収、生活保護申請の却下などの例を見れば、事後的な救済では権利の回復が困難な事態が多々あることが分かります。
行政手続自体に弁護士が関与することは、市民、企業の正当な権利を擁護するとともに、弁護士の重要な業務の拡大に繋がります。そこで、行政庁による行政処分を課す手続自体に弁護士が関与し、行政処分がなされる前に、市民・企業の権利を救済する方法を検討していきます。」
3 石川弁護士・溝部医師の講演
第5分科会においては、山梨県甲府市所在の石川善一弁護士と溝部達子医師が登壇する。両名こそ、いわゆる「溝部訴訟」を遂行した代理人弁護士と当事者たる医師本人にほかならない。
溝部訴訟とは、保険医療機関指定と保険医登録の取消処分を行政庁によって平成17年11月25日に受けた溝部医師が、石川善一弁護士を訴訟代理人に選任して、国を相手に取消処分という行政処分の取消を求めて提訴した行政訴訟である。その結果、溝部医師は甲府地方裁判所(平成22年3月31日判決)においても東京高等裁判所(平成23年5月31日判決)においても、いずれも勝訴し、国が最高裁判所への上告を遂に断念して確定した。
日弁連シンポジウムでの講演では、その辺りの訴訟経過が、全国から集まった多くの弁護士達の前で語られることであろう。
まことに素晴らしい実績である。しかし、大局的に見れば手放しでは喜べない。なぜなら、保険医登録などの行政訴訟で、実体法上も含めて国相手に完全に勝った事件は、裁判史上、このたった一件だけだからである。
つまり、その位、ハードルが高く、確かに溝部訴訟は立派ではあったが、他の弁護士や医師がなかなか真似られるものではない。
4 むしろ事前に行政手続をチェック
溝部訴訟のような成果を得るのは、行政訴訟という手法では余りにも難しすぎるのである。そこで、違法・不当な行政処分が出る前に、できるだけ阻止した方が効率的・効果的であろう。
弁護士達のこういう発想から、行政処分が出される前の段階で、事前に行政手続のチェックに関与する手法が注目されるようになってきた。その成功した1つの類型が、社会保険診療報酬請求に対する個別指導や監査への弁護士帯同である。
理論的には、むしろ事前の行政手続を一般的にチェックするために、弁護士が個別指導や監査に帯同しているのだと言ってよい。決して、不正請求や不当請求の責任を免れさせるために弁護士帯同をしているのではないのである。
この点、今もって、まだまだ誤解が残っているらしい。繰り返すが、弁護士帯同は、不正・不当請求をごまかすのではなく、行政庁の実施する行政の事前手続をチェックすることこそを指向しているのである。
5 日弁連「改善に関する意見書」
現に、日弁連は、すでに5年前(平成26年8月22日)、「健康保険法等に基づく指導・監査制度の改善に関する意見書」を取りまとめ、厚生労働大臣や各都道府県知事宛に提出していた。そのため、行政手続における弁護士の関与は、この「意見書」が重要な指針の一つとなっている。
この「意見書」の趣旨は、大要、次のとおりであった。
「指導・監査が、保険医療に対する診療報酬の返還請求や保険医指定取消処分などの不利益処分に至る契機となる性格を有していることに鑑み、その対象となる保険医等の、適正な手続的処遇を受ける権利を保障するため、以下の点について改善、配慮及び検討を求める。」
そして、この前文に引き続いて、7つの重要項目が挙げられた。
「1 選定理由の開示」
「2 指導対象となる診療録の事前指定」
「3 弁護士の指導への立会権」
「4 録音の権利性」
「5 患者調査に対する配慮」
「6 中断手続の適正な運用について」
「7 指導と監査の機関の分離及び苦情申立手続の確立」
6 今後の展望
以上、概観したように、日弁連においても、指導・監査制度の運用などの改善に向けて、その動きが加速しつつある。この秋の日弁連シンポジウムの後には、さらに一層、現場での弁護士帯同の実務も広がっていくことであろう。
行政手続における弁護士関与の一環として弁護士帯同が普及し、それらを一つの契機として指導・監査制度が改善されていくことが望まれる。