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Vol.231 コロナ禍の大学教員の憂鬱

医療ガバナンス学会 (2020年11月12日 06:00)


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山形大学 学術研究院 准教授
加納寛子

2020年11月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

●大学教員の日常

真実とデマが錯綜したコロナ禍において恐怖と不安に駆られる人がいる一方で、「コロナは風邪の一種、たいしたことはない」といわんばかりに、6月を過ぎると徐々に観光地や繁華街は賑わいを取り戻しつつあった。しかし4月から夏休みまでの前期の時期には、観光地がオープンし始めても対面授業を見送りオンライン授業を継続する大学が多数を占めた。そのような中、「#大学生の日常も大事だ」というハッシュタグがつけられ、「小中高が良くて、ディズニーが良くて、夜のお店が良くて、大学はダメなんですか?(2020年7月13日)」等の多数の投稿が見られ、学生の側から対面授業が望まれた。

筆者の勤務する大学では、前期の間、授業はオンラインのみであったが、キャンパスはオープンされており、図書館も予約制だが利用できる状態であった。後期の現在では、実験・実習・実技を伴う授業は対面、そうでない授業は、オンライン授業か、対面とオンラインを併用したハイブリッド方式がとられている。

後期になってからは、学費の一部返還などの声は聞かなくなったが、前期のオンライン授業の期間、大学教員は楽をしていたのだろうか。前期の時期に大学教員の日常はどうであったのか質問紙調査を実施した1)。

結果は図1~図3に示した。これらの図からわかるように、対面授業の準備の他に、オンデマンドビデオを作るなど、通常の授業の2倍の授業準備時間をかけていることがわかった。そのしわ寄せは、睡眠時間の現状、研究時間の減少につながった。オンライン授業でつらい思いをしていたのは学生だけでなく教員も同様であることがわかった。

http://expres.umin.jp/mric/mric_2020_231-1.pdf
図1 昨年度と今年度の授業準備に費やした時間の比較
(数値は1週間あたりの1日の平均時間)※以下同様

http://expres.umin.jp/mric/mric_2020_231-2.pdf
図2 昨年度と今年度の研究に費やした時間の比較

http://expres.umin.jp/mric/mric_2020_231-3.pdf
図3 昨年度と今年度の睡眠に費やした時間の比較
●コロナ禍における大学教育の課題

この調査では、コロナ禍における大学教育の課題について記述式で回答を求めた。「評価の困難性」「教員(の授業準備負担)」「学生(のオンライン授業に必要なスキルや態度)」の3つの指摘が抽出された2)。
●評価の困難性

具体的には、評価の問題点として、京都府内の大学に勤務する50歳代女性の教員からは、「試験の実施が難しいと感じる教員が多いため、代わりの評価材料として課題が多くなり、学生が疲労困憊している。」という問題点が寄せられた。東京都内の大学に勤務する50歳代男性の教員からは、「正解を求めるような評価手法が無力化してしまうため、試験による評価が困難になってしまうところ。個々の授業でランダム出題などは実質的に無理なため、評価手法自体のアップデートが不可欠になるだろう。」等が挙げられた。レポート型の課題であればこれまでどおり評価できるが、正しく立式し計算できるかなどを計る試験はオンラインでは困難である。さらに高知県内の大学に勤務する50歳代男性の教員からは、「二極化が更に拡がる」のではないかという懸念が示された。

また、福岡県の大学に勤務する40歳代男性の教員からは「実習系の困難さ」という課題が指摘されている。東京都の大学に勤務する50歳代女性の教員からは「とにかく実技教授法なので、オンラインでは授業の核が伝えられない。」という課題が指摘されている。実習は、実物を見たり、実際に実施する体験をとして学ぶことが多い。児童生徒がいないところで、指導案通りに話すことができても、実際の授業では予想しない反応やハプニングがつきものである。オンラインだけで実施するには限界があるだろう。
●教員(の授業準備負担)

教員の授業準備負担に関する課題として、愛媛県内の大学に勤務する50歳代女性教員からは「準備時間が教室授業の倍以上かかる。」という訴え、福岡県内の大学に勤務する50歳代男性教員からは「今回に関しては突然であったので、作成する教材が多すぎた。実習系の授業教材の作成には時間がかかります。」等が挙げられた。

また、大分県の大学に勤務する60歳代男性の教員からは「ミネルバ大学の汎用的能力の育成(全てをオンラインでのチームPBL講義)が気になっています。大学の教養教育の一部分にこれを組み込むべきではないかと思います。」という高等教育に対するコメントが寄せられている。ミネルバ大学は米国カリフォルニア州サンフランシスコに本部を置く総合私立大学で、1年生の時のみサンフランシスコに滞在し、その後ロンドンやソウル、台北など世界7都市に移り住みオンライン授業で学ぶ大学である。オンラインによるディスカッションを中心に学ぶ大学なので、日本でコロナ禍に普及したオンデマンド中心のオンライン授業とは大きく異なる。学生が主体的に発言し創っていく授業であり、理想なのかも知れないが、実現するには、まずは学び手の意識改革からはじめなければならないだろう。

後期の私が担当する授業はすべてオンラインのみで実施しており、オンデマンド中心ではなく、ZOOMによる学生同士のブレーンストーミング中心に実施している。しかし、日本の子どもは教師主導で学ぶことになれており、ブレイクアウトルームを行っても、時々誰も会話をしないお通夜のようなグループがある。そして学生同士ブレーンストーミングすることに彼ら自身が価値を見いだしていないかのように見える。

大学側の要請により、ZOOMによるリアルオンライン授業を実施する場合も、オンデマンド授業を希望する学生にも対応することが求められているため、私のオンライン授業は、すべて録画し、授業後にパスワードを設定しオンデマンドでビデオを見て課題だけ提出する方法でも授業を履修できるようにしている。課題の達成度を見ると、ZOOM授業に出てブレーンストーミングをして課題に取り組んでいる学生の方が、遙かに達成度は高いにもかかわらず、オンデマンド受講を希望する学生は一定数いる。
オンデマンドでの受講を認めることを義務とされている状況は、コロナ禍前に比べて2倍以上授業に時間を割くことになっている。授業をして終わりではなく、授業終了後に、膨大な作業がスタートするのである。ビデオ配信を行う作業だけならばまだしも、授業に出て質疑応答すれば容易に解決することを、オンデマンド受講の学生はメールで質問をしてくるためにその返信等の作業が膨大なのである。

課題提出の仕方は当然ビデオの中で説明し、質問が多い内容はQ&Aサイトを開設しそこに記載し、読んでも理解できない学生用に、さらに補足ビデオを作成してある。それでも[課題提出の仕方がわかりません]というメールが届く。Q&Aには質問するときには授業名を書くようにという注意事項は記載済みであるにもかかわらず、メールの返信は「何の授業の質問ですか」の質問から始まる。「~の授業です」「補足ビデオは見ましたか?」「見てません。」「Q&Aは見ましたか」「見てもわかりませんでした」そんなやりとりを、1000通近く送る。このコロナ禍に、GoogleのGmailは1日に1000通を超すと、送信ストップが機械的にかかる仕組みになっていることをはじめて知った。Google社が働き方改革に寄与しているわけではなく、1日に1000通送るのはスパム配信者と見なす設定になっているためだろう。

書いてある場所が見つけられないという学生に、仕方なく書いてある部分の画像を送ると、それはどこですかと聞いてくる始末である。後期10月が始まって私が1ヶ月あまりの間というやりとりをして、何度もきいてくる内容をQ&Aにしていくと、膨大なQ&A集ができあがっている。「検索すればいい」という発想にも至らず、結局その中から必要な情報を探すこともできず、回答済みの内容をまた質問をしてくるようだ。自分が必要な情報を見つけるトレーニングを、全く受けてきておらず、レールから落ちないように走らせて貰うことが当たり前なのだろう。

オンライン授業ではある程度事前に説明書を読んだりして準備をする必要があり、それが全くできない学生にとってオンライン授業は苦痛そのものなのかも知れない。筆者が20年前に大学教員になったばかりの頃に勤務していた私立大学で、「テストの範囲は~~です。何か質問ありますか?」と聞くと「テストの範囲を教えてください」という質問をする学生がいて驚いたものだった。黒板に書いて伝えると「プリントにして配ってください」という学生がいた。ノートにメモをしなさいというとノートは持っていませんと。ちょうどモンスターペアレンツという言葉が流行った時代で、できないことは先生のせいだとクレームをいう風潮があったため、こういった環境で育ってくるとこうなるのかな、とかいろいろ考えたものだった。

2004年からは山形大学に移動したがそれほど学生の雰囲気が変わるものではなかった。2004年当時にも黒板に書くと、プリントにして配れという学生がいた。今では、プリントにしたり黒板に書く必要がないよう、すべてテキストにしている。ただ、課題の提出はクラウド操作が必要になってくるため、手順を書いても、手順の質疑をビデオにして見られるようにして、ビデオの中の質問者と同じ動作をしてご覧と書いて貰わないとそれができない。
学問の中身についての議論ならば喜ばしいが、そういったメールは皆無である。Q&Aに書きビデオにもして伝えてある内容を、繰り返し繰り返しメール応答する作業は憂鬱以外のなにものでもない。ミネルバ型の高等教育に日本の学生等自身が価値を認識するためには、初等教育から変えていく必要があるだろう。
●学生(のオンライン授業に必要なスキルや態度)

学生の問題点に関しては、京都府内の大学に勤務する30歳代女性の教員からは「カメラをオフにしていると全く聞いていない学生がいる」、神奈川県の大学に勤務する60歳代男性の教員からは「学生の集中力」が続かないという指摘、宮城県内の大学に勤務する50歳代女性の教員からは「学生の反応がリアルタイムに分かりにくい」というオンライン授業での学生の態度に関する問題点が示された。授業をきちんと聞いているかどうかが目視で不明である点の困難さが指摘された。それ故課題の多さにつながったのであろう。また、滋賀県内の大学に勤務する60歳代教員からは「日本の初中等教育において、ICT活用が顕著に遅れていることが問題だ。高校までに学んできてほしいことが多すぎる。」などのように、学生側のICT活用能力が不足しており、授業に支障を来していることへの指摘があった。

この点は私自身もひしひしと感じていることである。たとえば、クラウド上の私が作成したフォルダを学生に共有させようと「アクセス権のリクエストを送って」と指示をすると「私のメールアドレス」を送ってきた学生がいた。私が作成したフォルダであれば当然私のメールアドレスは紐付いている。共有してほしい(学生自身の)メールアドレスを送るべきだという考えに至らないのだ。おそらくクラウドの概念そのものが全く理解できていないのだろう。このようなちょっとしたことであってもメールは何通も往復することになり、教員側はその対応で疲弊しきることになる。

学生のつながりに関する指摘に、奈良県の大学に勤務する50歳代男性の教員からは「学生相互のつながり、人間関係の形成が困難な点。図書館利用ができない。」という課題が指摘されている。静岡県の大学に勤務する40歳代女性の教員からは「学生同士が親しくなれないという指摘がありました。」という課題が指摘されており、学生のネットワーク作りの場が必要だろう。ただ、筆者が所属する大学では、前期の時期に、LINEでサークル紹介があり、オンラインでサークルに入学して、先輩からいろいろな話が聞けたという学生もいたので、精度としてだけでなく、学生の自主性も大切にしていく必要があるだろう。
●その他

このほか、埼玉県の大学に勤務する30歳代男性の教員からは「学生から課題の量が多いと聞かれるので、教員間での課題の量の調整が必要だと考える」という課題が指摘されている。千葉県の大学に勤務する40歳代女性の教員からは「著作権の問題。今年は特例措置があると言われてもどの程度なのかはっきりわからず、資料の利用に二の足を踏む。」という課題が指摘されている。石川県の大学に勤務する40歳代男性の教員からは「授業設計に、教員差がありすぎること」という課題が指摘されている。北海道の大学に勤務する30歳代男性の教員からは「教員の習熟度の低さが問題になるケースが多い。
これまで何とか授業を運営し、形になってきたので、今後はより質の高い授業が成立するようにFD研修などを通して教員の習熟度を上げるように大学の関係部局が積極的に動いていく必要がある。非常勤講師への対応・支援も含めて適切なサポート体制を整える必要がある。」という課題が指摘されている。大分県の大学に勤務する60歳代男性の教員からは「グループワークをオンラインで実施し、遠隔でも隣にいるように話し合える場を作り出すノウハウを得たい。」という課題が要望もある。このような課題を解決するためには、人手不足の昨今の状況下では実現は容易ではないが、課題を調整したり、著作権等に関する法的判断をすぐに確かめたり、授業設計を相談することができるような機会や窓口があると解消されるだろう。

他にも様々なコメントを寄せていただいたが、最後に、東京都の大学に勤務する30歳代男性の教員からは、「1学期間オンライン授業を行ったが、教員・学生どちらにも甚大な精神的・身体的負担をかけたというのが実感である。にもかかわらず何とか乗り切ることができたのは、これが「非常事態下での緊急避難的措置」という前提が共有されていたからのように思う。今後コロナ禍が長期化し、オンライン授業が「非常」から「日常」へと転換せざるをえなくなったときに、教員・学生相互に持ちこたえることができるのか(特に学習へのモチベーションの面で)が問われるように思う。」というコメントが寄せられた。究極の所、このコメントは、渦中にいる人すべての賛同を得るところといえるのではないか。誰かを責めるのではなく、相手に負担をかけないよう気を配りつつ、一人一人が、自分は何ができるのかを考え協力しあっていく地道な方法が、このコロナ禍を切り抜ける唯一の道ではないか。

●おわりに
大学教員に対する調査で、教員側のオンライン授業のパソコン操作に対する苦痛傾向については、81.50%に苦痛傾向は見られなかった。観察する限り、50歳代60歳代の多い大学教員に比べ、学生はパソコン操作に長けているように思われがちであるが、観察する限り、四苦八苦してオンライン授業を受け、パソコンでの課題提出を行っているようであった。課題ファイルのクラウド上へのアップロードの仕方を、筆者も50回以上ZOOMで説明してきた。大学入学までの情報教育の中で、タッチタイピングやワード・エクセル・パワーポイントなどの操作は学んでいるが、コンピュータのファイル構造の仕組みなどは全く理解しないで使っている場合が多い。仕組みさえわかっていれば、手取り足取り手順を教えて貰わなくても、ある程度一人で考えてできるはずである。日本の初等中等教育の情報教育の遅れは深刻である。

参考文献
1)加納寛子(2020)コロナ禍における教育と教員の意識に関する実態調査(1)~オンライン授業実施にあたってのICTスキルと生活時間の変化に着目して, 大学マネジメント, Vol.16, No.6_31-35.
2)加納寛子(2020)コロナ禍における教育と教員の意識に関する実態調査(2)~コロナウイルス拡大にともなう不安感に着目して, 大学マネジメント, Vol.16, No.8_40-45.

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