医療ガバナンス学会 (2020年11月26日 06:00)
井上法律事務所 弁護士
井上清成
2020年11月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
平成27年(2015年)4月・6月、厚生労働省(社会・援護局障害保健福祉部精神・障害保健課が所管)は、ある医科大学病院所属の医師23名に対して、精神保健指定医の指定取消処分を行った。さらに、それを契機に、過去に遡って調査をした結果を踏まえ、平成28年(2016年)10月26日付けで、その医科大学病院の件とは全く別々に、今度は全国各地の精神保健指定医89名(指定申請した医師49名、その申請を指導した医師40名)の指定取消処分を行ったのである。
当時の社会状況からして、精神保健指定医制度の改革・改善を行うこと自体は、適切なことであったと評しえよう。ただ、その改革・改善が急激かつ遡及的で厳し過ぎる傾向があったため、その急進的な改革・改善とのギャップ、いわば齟齬が生じてしまった精神保健指定医が続出した。
そのため、合計24名もの医師(申請医が8名、指導医が16名)が、精神保健指定医指定取消処分に対して取消を求める行政訴訟(「処分取消訴訟」と言う。)を、国(厚労省)を相手として、各々バラバラに独自のやり方で全国各地で提訴していったのである。結局、取消処分を受けた医師のうち、3割にも届こうかというくらい(約27%)の大量の者が訴訟に踏み切ったのであるが、しかし、そのように大量な提訴は余り例を見ない。
2.25%もの医師が国に勝訴
その提訴した24名の医師のうち、6名が勝訴して判決が確定した。4分の1(25%)にものぼる高率での勝訴である。刑事訴訟の有罪率と同等の傾向にある行政訴訟では、まことに珍しい。
なお、その6名のうち1名は、(筆者が訴訟代理人を務めたのであるが、)地裁・高裁のみならず最高裁判所でも勝訴した(つまり、国側が控訴のみならず上告受理申立てもしたということである)。ここで問題だったのは、地裁・高裁・最高裁と行くうちに、事がどんどん大きくなってしまい、厚労省の行政実務に甚大な影響を与えるまでになってしまっていた。
3.最高裁決定の行政実務に与えた甚大な影響
実は、地裁判決のレベルでは、単に、当該医師が適切に診療をしてレポートを書いたという事実認定で勝訴したに過ぎなかったのであり、地裁判決の他の医師への影響は限定的であったと言えよう。ところが、国が控訴して高裁判決に至ると、国にとって状況がより深刻になってしまった。
高裁が、精神保健指定医指定取消の実体的基準自体を、それまで厚労省が認定し準拠していた実体的基準より大きく変更した判決を出したからである。(少し不正確だが)大雑把に極めて分かりやすく言えば、精神保健指定医の資格取得時に要求される厳しい基準を満たしていなくても、一旦指定をしてしまったら、特に故意や悪質な不正申請でなければ、厚労省は一旦認めた指定の取消をできない、と判示したと言ってよいようなものであった。厚労省としては、立場上当然納得できず、しかも、この判示が他の医師(指定取消を受けた他の精神保健指定医)にまで通用してしまうならば行政実務に甚大な影響を与えられてしまうと危惧して、最高裁への上告受理申立てに踏み切ったのである。
ところが、この10月末に、最高裁は国のその申立てを受け付けないという決定を下した。そこで高裁判決がそのまま確定したのであるが、問題は、判例を統一する立場にある最高裁がこの高裁判決を追認したことにある。
つまり、厚労省は、この最高裁が追認した高裁判決の実体的基準を、他の医師にも適用して、以前の89名(と言っても、取り消されたのが判決6名プラスその他1名の合計7名なので、差し引き82名)につき再調査して見直しをすべきか否かを判断しなければならない。
もし再調査・再検討をしないで放置しておくならば、他の医師に対して取扱いの不公平が生じうるからである。
4.原状回復と損害補償にはADRも有用
しかしながら、この新型コロナ禍で厚労省も繁忙を極めていて、82名もの医師に迅速な再調査・再検討を期待するのは辛いかも知れない。そこで、他の82名の医師のうち、早めに自ら積極的に原状回復を申し出たい者は、ADR(裁判外紛争解決手続)によるのが適切かも知れないと思う。
実は、ADRが適切かも知れないと思う理由は他にもある。それは、損害の補償にほかならない。指定が取り消されてから4年以上もの間、精神保健指定医としての活動ができなかったことによる精神的な損害は、たとえ厚労省に故意も過失もなかったとしても、また、たとえ結果としてその補償金額が低額だったとしても、やはり補償してあげるのが筋道だからである。これは、主に話合いによって解決するADR(簡裁での一般民事調停がスタンダード)にまさに適する事柄だと言えるであろう。